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第12章:不可逆な境界線
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夕食後の片付けを終えた優子は、乾燥が終わったばかりの洗濯物の山を抱え、二階へと上がった。受験生の彩花、そして三女の結衣へ順番に洗濯物を届け、最後は真ん中にある陽菜の部屋だ。
軽くドアをノックし、返事を待たずに開けた瞬間、部屋の中に流れていた「声」に、優子の全身の血が凍りついた。
「……反射を利用すれば、北側の部屋でもこれだけ光を採り込める。君の視点はとても面白いよ、陽菜さん」
画面の中には、白いシャツを着た男――瀬戸拓也が、設計図に囲まれたデスクで穏やかに微笑んでいる。その声が鼓膜に触れた瞬間、優子の腕から洗濯物が崩れ落ちた。
「あ……お母さん、勝手に入らないでよ!」
陽菜が慌ててタブレットを隠そうとしたが、もう遅かった。画面の中の拓也が、ドアの方へ視線を向ける。
優子はとっさに、画面から逃れるように顔を背け、床に落ちた洗濯物を拾うふりをして深く腰を屈めた。長い髪で顔を隠し、震える指先でブラウスを掻き集める。
「陽菜……。お母さん、言ったわよね。例え先生だとしても、中学生の女の子が成人男性と二人きりで、そんなふうに親しくするのはよろしくないって。それが、今の時代の常識なのよ」
精一杯の「母親としての正論」を絞り出すが、声は微かに震えていた。
画面越しの拓也は、一瞬の出来事に目を見開いた。
カメラの端に映り込んだのは、顔を隠してうずくまる女性の背中。その細い肩のライン、動揺した時に耳元を触る指の癖。そして、今の掠れた、けれど聞き覚えのある「声」。
「……陽菜さん」
画面の中から、拓也の静かな、けれど射抜くような声が届いた。
「今の方は、お母様……ですか?」
優子は返事をすることができず、顔を伏せたまま、強張った指先で陽菜の肩を掴んだ。
「もうおやめなさい。お相手の方にも、こんな夜分に失礼でしょう。ほら、ちゃんと挨拶して切りなさい」
「お母さん、どうしたの? 急にそんな怖い顔して。瀬戸先生は、ただ私のスケッチのアドバイスをしてくれてるだけだよ……」
陽菜は母の異常な剣幕に困惑し、しぶしぶ画面に向き直った。「……すみません、先生。母が来たので、今日はここまでにします」
「……分かりました。お母様にも、失礼いたしましたと……よろしくお伝えください」
拓也は、息を吸うことさえ忘れたかのように、画面を見つめ続けていた。
不鮮明な画質の向こう側、必死に自分から目を逸らそうとするその女性の「影」。それが、十三年前、雨の中に置き去りにしてきた彼女だと、拓也の直感が叫んでいた。
陽菜が通話終了のボタンを押すと、画面は静かに消えた。
「……お母さん、いくらなんでも失礼だよ」
陽菜が涙を溜めて優子を振り返る。
「『成人男性と二人きりは良くない』って、そんなの、ただ勉強を教えてもらってるだけなのに……。どうしてそんなに怯えてるの? 私、ちゃんと約束守って、一人で会いに行ったりしてないのに!」
優子は答えることができなかった。
画面は消えても、拓也のあの沈黙のあとの熱を帯びた視線が、まだ部屋の中に漂っている。
洗濯物が散乱した床の上で、優子は自分の罪が、娘の無垢な情熱によって白日の下にさらされようとしている恐怖に、ただ声を殺して耐えることしかできなかった。
軽くドアをノックし、返事を待たずに開けた瞬間、部屋の中に流れていた「声」に、優子の全身の血が凍りついた。
「……反射を利用すれば、北側の部屋でもこれだけ光を採り込める。君の視点はとても面白いよ、陽菜さん」
画面の中には、白いシャツを着た男――瀬戸拓也が、設計図に囲まれたデスクで穏やかに微笑んでいる。その声が鼓膜に触れた瞬間、優子の腕から洗濯物が崩れ落ちた。
「あ……お母さん、勝手に入らないでよ!」
陽菜が慌ててタブレットを隠そうとしたが、もう遅かった。画面の中の拓也が、ドアの方へ視線を向ける。
優子はとっさに、画面から逃れるように顔を背け、床に落ちた洗濯物を拾うふりをして深く腰を屈めた。長い髪で顔を隠し、震える指先でブラウスを掻き集める。
「陽菜……。お母さん、言ったわよね。例え先生だとしても、中学生の女の子が成人男性と二人きりで、そんなふうに親しくするのはよろしくないって。それが、今の時代の常識なのよ」
精一杯の「母親としての正論」を絞り出すが、声は微かに震えていた。
画面越しの拓也は、一瞬の出来事に目を見開いた。
カメラの端に映り込んだのは、顔を隠してうずくまる女性の背中。その細い肩のライン、動揺した時に耳元を触る指の癖。そして、今の掠れた、けれど聞き覚えのある「声」。
「……陽菜さん」
画面の中から、拓也の静かな、けれど射抜くような声が届いた。
「今の方は、お母様……ですか?」
優子は返事をすることができず、顔を伏せたまま、強張った指先で陽菜の肩を掴んだ。
「もうおやめなさい。お相手の方にも、こんな夜分に失礼でしょう。ほら、ちゃんと挨拶して切りなさい」
「お母さん、どうしたの? 急にそんな怖い顔して。瀬戸先生は、ただ私のスケッチのアドバイスをしてくれてるだけだよ……」
陽菜は母の異常な剣幕に困惑し、しぶしぶ画面に向き直った。「……すみません、先生。母が来たので、今日はここまでにします」
「……分かりました。お母様にも、失礼いたしましたと……よろしくお伝えください」
拓也は、息を吸うことさえ忘れたかのように、画面を見つめ続けていた。
不鮮明な画質の向こう側、必死に自分から目を逸らそうとするその女性の「影」。それが、十三年前、雨の中に置き去りにしてきた彼女だと、拓也の直感が叫んでいた。
陽菜が通話終了のボタンを押すと、画面は静かに消えた。
「……お母さん、いくらなんでも失礼だよ」
陽菜が涙を溜めて優子を振り返る。
「『成人男性と二人きりは良くない』って、そんなの、ただ勉強を教えてもらってるだけなのに……。どうしてそんなに怯えてるの? 私、ちゃんと約束守って、一人で会いに行ったりしてないのに!」
優子は答えることができなかった。
画面は消えても、拓也のあの沈黙のあとの熱を帯びた視線が、まだ部屋の中に漂っている。
洗濯物が散乱した床の上で、優子は自分の罪が、娘の無垢な情熱によって白日の下にさらされようとしている恐怖に、ただ声を殺して耐えることしかできなかった。
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