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Case 3:逆転の聖域―江藤亮介の場合
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江藤亮介(39)は、実直なシステムエンジニアだった。派手さはないが、一軒家のローンを背負い、家族のために誠実に働いてきた自負があった。
その平穏が崩れたのは、妻・奈緒(35)の隠し口座を見つけたときだ。そこには、亮介が休日出勤までして稼いだ残業代が、見たこともない男、滝沢(24)への「送金」として消えていた。滝沢は、奈緒が通うダンススクールの若手講師だった。
亮介は、冷徹にはなれなかった。
裏切りを知った瞬間、頭に血が上り、心臓が爆ぜるような怒りに支配された。
「説明しろ! 俺の金で、あんなガキと何をしてたんだ!」
リビングで問い詰めると、奈緒は最初は怯えていたが、亮介の罵倒が続くうちに、開き直ったような冷たい目を向けた。
「……何よ。あなたはいつも仕事、仕事で、私を女として見たことなんて一度もなかったじゃない。滝沢くんは違う。私を、一人の人間として愛してくれた。あなたの金? 家族のために使ってるって言えば、満足だったんでしょ?」
その言葉が引き金だった。
亮介は、理性よりも先に拳を突き出していた。リビングのサイドボードが倒れ、奈緒が悲鳴を上げる。しかし、亮介の怒りは収まらない。彼はそのまま、奈緒のスマホから特定した滝沢の自宅へと車を走らせた。
深夜の安アパート。
出てきた滝沢は、寝起きの、まだあどけなさの残る顔をしていた。その「若さ」が、亮介の劣等感をさらに逆撫でした。
「お前が滝沢か! 奈緒に手を出すなと言っただろう!」
亮介は、滝沢を玄関先で突き飛ばし、馬乗りになって殴りつけた。若く、痩せた滝沢は抵抗せず、ただ顔を覆って震えていた。
だが、この瞬間、亮介は決定的な過ちを犯した。
滝沢が隠し持っていたスマホの録音ボタンと、アパートの廊下に設置された防犯カメラ。
一週間後。亮介の元に届いたのは、離婚届ではなく「刑事告訴」と「損害賠償請求」の通知だった。
滝沢は全治二週間の診断書を取り、亮介を暴行罪で訴えたのだ。
さらに、奈緒は賢明だった。
亮介の暴力的な一面を動画で記録しており、それを理由に「婚姻を継続し難い重大な事由」として、亮介を家から追い出し、多額の慰謝料を請求してきた。
結果、亮介は「不倫された被害者」から、一瞬にして「暴力的な加害者」へと転落した。
職場にもその噂が広まり、会社には居づらくなった。
「……どうして、こうなった」
公園のベンチで、亮介は一人、缶コーヒーを握りしめる。
家も、仕事も、貯金も。不倫を暴こうとした結果、全てを失ったのは自分の方だった。
一方、奈緒は亮介から毟り取った金と家で、今も滝沢と笑い合っているかもしれない。
客観的に見れば、あの夜、怒りに任せて家を出ず、弁護士に相談して「不倫の証拠」を積み上げていれば、勝てたはずだった。
知らなければよかった。いや、知ったとしても、何も見なかったフリをして、淡々と離婚の準備を進める冷徹さがあれば。
今や、公になったのは「不倫の事実」ではなく、「江藤亮介という男の暴力性」だけだった。
世間は、加害者となった彼に石を投げ、裏で糸を引く妻と愛人を「悲劇の被害者」として同情している。
「公にならなければ……俺は、まだあそこで笑っていられたのか」
夕闇が迫る中、亮介は自分の拳に滲んだ古い傷跡を見つめ、声にならない声を漏らした。
その平穏が崩れたのは、妻・奈緒(35)の隠し口座を見つけたときだ。そこには、亮介が休日出勤までして稼いだ残業代が、見たこともない男、滝沢(24)への「送金」として消えていた。滝沢は、奈緒が通うダンススクールの若手講師だった。
亮介は、冷徹にはなれなかった。
裏切りを知った瞬間、頭に血が上り、心臓が爆ぜるような怒りに支配された。
「説明しろ! 俺の金で、あんなガキと何をしてたんだ!」
リビングで問い詰めると、奈緒は最初は怯えていたが、亮介の罵倒が続くうちに、開き直ったような冷たい目を向けた。
「……何よ。あなたはいつも仕事、仕事で、私を女として見たことなんて一度もなかったじゃない。滝沢くんは違う。私を、一人の人間として愛してくれた。あなたの金? 家族のために使ってるって言えば、満足だったんでしょ?」
その言葉が引き金だった。
亮介は、理性よりも先に拳を突き出していた。リビングのサイドボードが倒れ、奈緒が悲鳴を上げる。しかし、亮介の怒りは収まらない。彼はそのまま、奈緒のスマホから特定した滝沢の自宅へと車を走らせた。
深夜の安アパート。
出てきた滝沢は、寝起きの、まだあどけなさの残る顔をしていた。その「若さ」が、亮介の劣等感をさらに逆撫でした。
「お前が滝沢か! 奈緒に手を出すなと言っただろう!」
亮介は、滝沢を玄関先で突き飛ばし、馬乗りになって殴りつけた。若く、痩せた滝沢は抵抗せず、ただ顔を覆って震えていた。
だが、この瞬間、亮介は決定的な過ちを犯した。
滝沢が隠し持っていたスマホの録音ボタンと、アパートの廊下に設置された防犯カメラ。
一週間後。亮介の元に届いたのは、離婚届ではなく「刑事告訴」と「損害賠償請求」の通知だった。
滝沢は全治二週間の診断書を取り、亮介を暴行罪で訴えたのだ。
さらに、奈緒は賢明だった。
亮介の暴力的な一面を動画で記録しており、それを理由に「婚姻を継続し難い重大な事由」として、亮介を家から追い出し、多額の慰謝料を請求してきた。
結果、亮介は「不倫された被害者」から、一瞬にして「暴力的な加害者」へと転落した。
職場にもその噂が広まり、会社には居づらくなった。
「……どうして、こうなった」
公園のベンチで、亮介は一人、缶コーヒーを握りしめる。
家も、仕事も、貯金も。不倫を暴こうとした結果、全てを失ったのは自分の方だった。
一方、奈緒は亮介から毟り取った金と家で、今も滝沢と笑い合っているかもしれない。
客観的に見れば、あの夜、怒りに任せて家を出ず、弁護士に相談して「不倫の証拠」を積み上げていれば、勝てたはずだった。
知らなければよかった。いや、知ったとしても、何も見なかったフリをして、淡々と離婚の準備を進める冷徹さがあれば。
今や、公になったのは「不倫の事実」ではなく、「江藤亮介という男の暴力性」だけだった。
世間は、加害者となった彼に石を投げ、裏で糸を引く妻と愛人を「悲劇の被害者」として同情している。
「公にならなければ……俺は、まだあそこで笑っていられたのか」
夕闇が迫る中、亮介は自分の拳に滲んだ古い傷跡を見つめ、声にならない声を漏らした。
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