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Case 8:家畜の対価―野上泰典の場合
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野上泰典(47)は、典型的な仕事人間だった。
大手商社の管理職として、深夜まで働き、休日も接待に明け暮れる。すべては、妻の静香(45)に都心のタワーマンションでの贅沢な暮らしをさせ、大学生の息子に不自由のない教育を受けさせるためだった。
泰典にとって、銀行口座の残高が積み上がることこそが、男としての「力」の証明だった。
しかし、その「力」は、静香の手によって別の男を太らせるための肥料にされていた。
きっかけは、共通のクレジットカードの明細に並ぶ、泰典が一度も行ったことのない高級リゾートや、自分の趣味ではない若者向けブランドの購入履歴だった。
泰典が秘かに調べると、静香は10歳以上年下の売れない俳優の卵、レン(32)を、泰典の金で「飼って」いた。
泰典はある日、静香の留守を狙ってレンを呼び出した。
金で解決するつもりだった。手切れ金を渡し、二度と近づくなと警告する。それが「大人の解決」だと信じていた。しかし、現れたレンは、泰典が贈ったエルメスの財布からタバコを取り出し、泰典の顔に向かって煙を吐いた。
「野上さん、これ……静香さんから貰ったんです。あ、この時計も。あなた、毎日20時間くらい働いてるんですって? おかげで僕ら、昼間から高いワイン飲んで楽しませてもらってますよ」
泰典は震える声で言った。
「……いくら欲しい。その金で、二度と彼女に会わないと約束しろ」
レンは腹を抱えて笑った。
「お金? いりませんよ。だって、僕があなたに別れを告げたら、静香さんはもっとあなたから金を毟り取って、僕に貢ぐだけですから。あなたが働けば働くほど、僕の生活は潤う。あなたは僕にとって、最高に優秀な『家畜』なんですよ」
泰典は言葉を失った。
自分が異国の地で胃を痛めながら獲得した契約も、部下を叱咤して勝ち取ったボーナスも、すべてはこの男の酒代と、静香との情事の舞台装置に消えていく。
自分が「稼ぐ力」を誇示すればするほど、寝取った男に注がれる金の総量が増えるという、悪魔のような等式。
帰宅した静香に、泰典は震える手で明細を突きつけた。
しかし、静香は謝るどころか、冷たく鼻で笑った。
「嫌なら離婚すれば? でも、財産分与と慰謝料、それに息子の学費。あなたが一生かかっても返しきれないくらいの額を請求するわ。世間にも言いふらしてあげる。『自分じゃ女を満足させられないから、金で繋ぎ止めてる哀れな夫』だって」
泰典は、膝から崩れ落ちた。離婚すれば、自分がこれまで築き上げてきた資産の半分を失い、さらに社会的評価も地に落ちる。何より、息子に「母親の不倫」と「父親の無能」を知らせたくはなかった。
「……知らなければ、よかった」
翌朝、泰典はいつも通り、重い足取りで会社へ向かった。
駅のホームで、彼は自分のスマートフォンを見た。レンのSNSには、昨日泰典が支払ったはずの金で買ったであろう、最高級のステーキの写真がアップされていた。
キャプションには一言。『パトロンの旦那に感謝(笑)』。
誰にも公にならず、野上家は今日も「裕福なエリート家庭」として街に溶け込んでいる。
だが、その内情は、主人が飼い犬ではなく、寝取った男に餌を運ぶ「家畜」に成り下がった、倒錯した監獄だった。泰典は、満員電車の中で目を閉じ、自分に言い聞かせた。
「俺が働かなければ、家族は壊れる。……壊さないためには、稼ぎ続けなければならない」
その金が、今夜も誰かの情事の代金になることを知りながら。
大手商社の管理職として、深夜まで働き、休日も接待に明け暮れる。すべては、妻の静香(45)に都心のタワーマンションでの贅沢な暮らしをさせ、大学生の息子に不自由のない教育を受けさせるためだった。
泰典にとって、銀行口座の残高が積み上がることこそが、男としての「力」の証明だった。
しかし、その「力」は、静香の手によって別の男を太らせるための肥料にされていた。
きっかけは、共通のクレジットカードの明細に並ぶ、泰典が一度も行ったことのない高級リゾートや、自分の趣味ではない若者向けブランドの購入履歴だった。
泰典が秘かに調べると、静香は10歳以上年下の売れない俳優の卵、レン(32)を、泰典の金で「飼って」いた。
泰典はある日、静香の留守を狙ってレンを呼び出した。
金で解決するつもりだった。手切れ金を渡し、二度と近づくなと警告する。それが「大人の解決」だと信じていた。しかし、現れたレンは、泰典が贈ったエルメスの財布からタバコを取り出し、泰典の顔に向かって煙を吐いた。
「野上さん、これ……静香さんから貰ったんです。あ、この時計も。あなた、毎日20時間くらい働いてるんですって? おかげで僕ら、昼間から高いワイン飲んで楽しませてもらってますよ」
泰典は震える声で言った。
「……いくら欲しい。その金で、二度と彼女に会わないと約束しろ」
レンは腹を抱えて笑った。
「お金? いりませんよ。だって、僕があなたに別れを告げたら、静香さんはもっとあなたから金を毟り取って、僕に貢ぐだけですから。あなたが働けば働くほど、僕の生活は潤う。あなたは僕にとって、最高に優秀な『家畜』なんですよ」
泰典は言葉を失った。
自分が異国の地で胃を痛めながら獲得した契約も、部下を叱咤して勝ち取ったボーナスも、すべてはこの男の酒代と、静香との情事の舞台装置に消えていく。
自分が「稼ぐ力」を誇示すればするほど、寝取った男に注がれる金の総量が増えるという、悪魔のような等式。
帰宅した静香に、泰典は震える手で明細を突きつけた。
しかし、静香は謝るどころか、冷たく鼻で笑った。
「嫌なら離婚すれば? でも、財産分与と慰謝料、それに息子の学費。あなたが一生かかっても返しきれないくらいの額を請求するわ。世間にも言いふらしてあげる。『自分じゃ女を満足させられないから、金で繋ぎ止めてる哀れな夫』だって」
泰典は、膝から崩れ落ちた。離婚すれば、自分がこれまで築き上げてきた資産の半分を失い、さらに社会的評価も地に落ちる。何より、息子に「母親の不倫」と「父親の無能」を知らせたくはなかった。
「……知らなければ、よかった」
翌朝、泰典はいつも通り、重い足取りで会社へ向かった。
駅のホームで、彼は自分のスマートフォンを見た。レンのSNSには、昨日泰典が支払ったはずの金で買ったであろう、最高級のステーキの写真がアップされていた。
キャプションには一言。『パトロンの旦那に感謝(笑)』。
誰にも公にならず、野上家は今日も「裕福なエリート家庭」として街に溶け込んでいる。
だが、その内情は、主人が飼い犬ではなく、寝取った男に餌を運ぶ「家畜」に成り下がった、倒錯した監獄だった。泰典は、満員電車の中で目を閉じ、自分に言い聞かせた。
「俺が働かなければ、家族は壊れる。……壊さないためには、稼ぎ続けなければならない」
その金が、今夜も誰かの情事の代金になることを知りながら。
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