名器と呼ばれて…

MisakiNonagase

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第36章:名器の終焉、泥濘に沈む(最終章・後編)

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どれほどの時間が経っただろうか。  狭く汚れたアパートの一室には、重苦しい血の匂いと、絶望が沈殿していた。

 康助は、もはやピクリとも動かなくなった加代子の体から、ゆっくりと離れた。  加代子は畳の上に大の字に投げ出され、焦点の合わない瞳で天井の一点を見つめている。彼女の「名器」と呼ばれた場所からは、止めどなく赤い液体が溢れ出していた。物理的な限界を超えた酷使により、彼女の肉体はついに内側から崩壊したのだ。

「……終わったよ、父さん」

 康助は冷めた瞳で、震えながら加代子を見つめる謙介に言い放った。

「母さんは、もう誰の名前も呼べない。誰を愛することも、誰を拒むこともできない。……ただの、使い古された肉の袋だ」

 謙介は、震える手で加代子の頬に触れた。  肌はまだ温かいが、そこに「心」は存在しなかった。加代子は、息子にすべてを捧げ、すべてを奪われ、文字通り使い潰された。かつての「聖母」としての面影も、「美魔女」としての艶も、泥濘のような絶望の中に溶けて消えた。

「加代子……加代子……。すまない……っ、俺が……俺が……!」

 謙介の慟哭が響く中、康助は一度も振り返ることなく部屋を後にした。  彼にとって、この「実験」は終わったのだ。母という神聖な偶像を破壊し、ただの肉塊へと堕とす。その目的を果たした彼の背中に、もはや家族への執着は微塵もなかった。

 数日後。  そのアパートからは、一人の女が運び出された。  命こそ取り留めたものの、彼女は生涯、言葉を発することはなく、排泄の感覚すら失ったまま、療養所のベッドでただ天井を見つめ続けるだけの日々を送ることになった。

 時折、彼女の指先が、何かを求めるように微かに動くことがある。  だが、それがかつての夫を求めているのか、自分を辱めた男たちを求めているのか、それとも自分を破滅させた愛しい息子の面影を追っているのかを知る者は、誰もいない。

 「名器」と呼ばれたその呪いと共に、武田加代子の人生は、誰にも知られることなく、無惨に、そして完全に、散っていった。
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