囁きは蜘蛛の糸

深緋莉楓

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第12話 戻された思い出

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 軽いノックに返事をすると、想像通り笑顔の朱殷しゅあんが入って来て、ソファの背もたれをぴょんと飛び越えて、白群びゃくぐんの膝にすとんと落ち着いた。

「笑い声が聞こえたん。仲良うなった?」
「そうだなぁ……仲良くなれたよな?」

 活発なお人形さんを抱えて、白群が照れ臭そうにチラリと俺を見たので、大きく頷いてみせた。

「白群のおかげで、ちょっと気が楽になりました」
「ホント? そりゃ良かったわぁ! 辰臣シンシンもおもしろいお話聞けた?」
「あぁ、すごいぞ! 最先端の映画は映像が飛び出したり、風が吹いたり、なんかすごいらしいぞ? 今度こっそり行ってみよう!」
「デートやね! うふふ、楽しみ」

 何着て行こう? とはしゃぐ朱殷に声をかけても良いものかと悩む俺は暫く二人を眺めていた。

 二人が連れ合いになって二百年くらいだと聞いた。
 二百年経っても昨日結婚したばかりのような初々しい二人が羨ましいと思った。

「なん?」
「あ、仲良いなって……」

 俺の視線に気付いた朱殷が小首を傾げて俺を見る。きょとんとした朱殷が視線を白群に戻して、からからと笑う。

「当たり前やん! 辰臣大好きやもん。紫苑しおんだって……あ、長が呼び捨てて良いって! 紫苑だって長の事、好きやろ?」
「……はい……って、あの、柚葉ゆずはは?」

 何をバカ正直に答えているんだと顔が熱くなる。朱殷はそんな俺にツッコミはせず、長い髪を指に巻いて

「久しぶりにマトモな人間の食事が食べたいて長におねだりしたん。大急ぎで来たんやもん、それくらいはええやんね?」

 と白群に甘えてみせた。その優しい顔が俺に柚葉の元へ行って来いと言っているようで、俺は二人を残してキッチンへと急いだ。

「辰臣、お昼遅うなるかもよ?」

 って言う朱殷の囁きには聞こえないフリをした。
 何を言えば良いのか解らない。どう切り出せば良いのかも解らない。
 でも白群も言っていた──時間はあるんだって。だったら。

「柚葉、手伝うよ」

 これくらいなら言えるし、隣にも立てる。

「何作る? マトモなって言われても困るよね……」
「そうだな……出し巻き卵と味噌汁と鮭の塩焼きじゃ朝飯みたいだと怒るかな?」
「ハンバーグ、作る?」

 そうしようか、と答えて冷蔵庫を閉めた柚葉に手首をがっしりと掴まれて、視界が柚葉の胸でいっぱいになると、不安も戸惑いも消えて、俺は広い柚葉の背中に両腕を回していた。

「話が、ある」

 真剣な眼差しの柚葉に見つめられ、頷くのが精一杯の俺も充分にヘタレだ。

 柚葉に手を引かれ、廊下をずんずん進む際、一つのドアの前で柚葉が大声を出した。

「朱殷! ちゃんとマトモな飯の用意はするから、しばし待て!」
「んー! 解った! 長、ちゃんとしぃや!?」

 柚葉はどんな説教をされたんだろう?
 今、どんな顔して俺の手を引いているんだろう?
 廊下の突き当たりの窓の結界を解いて、俺を抱えた柚葉は無言のままで裏庭に降り立った。

「情けないけど、このまま。このままで話を聞いてくれ」

 抱きしめられたままで柚葉の顔が見えない。
 柚葉の心臓の音がいつもの何倍も早く聞こえて、俺まで緊張してくる。

 俺達は似てるのかも知れない……ひどくヘタレだ。

「全部俺のせいなんだ。俺が仕組んだ、と言って良い。俺は……紫苑を失うのが怖くて、言うべき事もちゃんと伝えられていなかった。でもそれじゃダメだな。多分、紫苑が鬼化きかできないのは俺のせいだ」
「待って……意味解んない……」
「昔な、俺達は会ってるんだよ。でもその時の紫苑の記憶は俺が封印した。ここを思い出さないで生きていければそれが一番だからな……けどお前はここに来た……来て欲しいと思っていた、来ちゃダメだとも思っていた……」

 幼い頃の記憶はあまりない。
 良い思い出が少ないからか、俺自身が引っ込み思案で思い出になるような出来事もなかったのだろうと思っていた。

「ね、会ってたって、いつ?」
「うん……上手く説明できないし、だから、返すよ」

 やっと緩んだ腕の中で柚葉を見上げると、深い緑の瞳が哀し気に揺れていた。

 こつんと当たった額。そっと柚葉の指先がこめかみから顎までを撫でて、小さく聞こえた

カイ

 の呪文。

 あ、と声が出たのかは解らなかった。
 頭の中に映像が流れ込んで来る。
 胸の中に感情が溢れ出して来る。

 置き去りにされて、寂しかった。
 多分こっちだとアタリをつけて、てくてく歩いて疲れて、迷子になった。独りぼっちが怖くて、歩き続けて、森は走って抜けた。
 大きな洋館が見えて、お兄さんが掃除をしてるのが見えて、安心した俺は初対面のその人に駆け寄って、脚に抱きついて泣いた。
 お兄さんはびっくりしたような顔をして、わざわざ俺に目線を合わせる為にしゃがんでくれた……そんな事をしてくれたのは幼稚園の先生だけで、それだけですごく嬉しかったんだ。

「あれ? どうしたの? 迷子?」

 って困ったような笑顔のお兄さんがすごく綺麗で。すごく綺麗な緑の瞳で見つめてくれて、一瞬見惚れて、慌てて頷いた。

「泣かなくて良いよ? えぇっと、名前は? 鞄、見せてね?」

 その日はお兄さんが家の近くまで送ってくれて、あの洋館にどうしても行きたくて、次の土曜日に朝っぱらから、またてくてく歩いて……。

 また来た俺を見てもお兄さんが怒らなかったから、嬉しくて、すっと差し出されたお兄さんの手を握った。

「へぇ、お絵描き好きなんだ? 上手だね」
「でもお母さんに怒られるから、お家じゃ描いちゃいけないの」
「もったいない! すごく上手だよ! そうだ、こっちおいで」

 綺麗な庭。木がいっぱいあって、森も近くて、色がいっぱいだった。
 お兄さんはここでお絵描きしなよって言ってくれて、お菓子やジュースを出してくれて。

「好きなだけ描いて良いよ! お母さんには秘密ね」
「来週も、来ても良いですか?」
「お父さんとお母さんは?」
「お父さんはしごとで、お母さんはお出かけ」

 怒られるかと思ったらお兄さんは笑って来て良いよって言ってくれて、毎週俺は絵を描いて過ごしていた。

「……あのお兄さん、柚葉だったの?」

 俺の忘れていた幸せな記憶に柚葉がいた。
 俺は流れる涙をこらえる事もできずに、柚葉にしがみついていた。

飛影ひかげに命じてずっと監視してもいた……母親が暴力を振るわないように。紫苑にもしもがあれば皆殺しにして紫苑だけここへ連れて来いって。でも紫苑はずっと我慢してたな。俺は知ってるよ、紫苑が弟を本当に可愛がってたの。言ったろ?」
「っじゃ、本当に全部知ってるの? 俺がここへ来た理由も?」

 うん、と頷いた柚葉の目は相変わらず哀しそうで、それを見たらまた涙が溢れてくる。

 弟──優希ゆうき──が俺と同じ学校の中等部に入学すると決まった時、俺は嬉しかった。
 一緒に通えるんだって。俺が卒業するまで同じ制服着て、同じ電車に乗ってって。でも違った。

「紫苑さんは進学の事もあるし、時間がもったいないから、寮に入ると良いわ」
「そうだな、寮だと食事や時間の管理もしっかりしてくれるし、何より先生が身近だ。解らない問題もすぐに聞けて良いだろう」

 もう俺の入寮は決まっていた。

 俺の為に考えたけどそれが一番良い結論だと、普段はあまり喋らない父が珍しく饒舌だった。俺の意見は必要ないんだって理解した。

卒業まで残り二年で寮に入って、俺が優希の姿を見るのは中高合同の朝礼の時くらいで、会話する機会もなかった。それでも優希はいつも友達と一緒で楽しそうに笑っていたから、漠然と良かったと思った。
 高校三年、受験勉強に本腰を入れる季節を目前に両親から呼び出され、今まで興味も示さなかった進路の話をされた。

──子供に恵まれなかった遠縁の親戚の家に養子に行け。

 どの大学のどの学部に興味があるのか、なんて聞かれもしなかった。
 血の繋がらない母は、とても素晴らしい人達で環境も素敵だし、大学なんて浪人して入ったって人生長い目で見ればそんなに変わらないわと力説していた。

 そんなに俺が邪魔なのか……俺を養子に出したら戸籍はどうなるんだろう? 俺の名前の上に大きなバツが書かれるんだろうか? それとも名前すら消されてしまうんだろうか?

 俺さえいなければ、この人達は完璧な家族になれるんだと思った。

 俺は完璧な家族の中に混じった埃で、ヒビで雑音なんだ……そう思ったら、進路とか養子縁組とか、全部。
 全部どうでも良くなって、気付いたらここへ来ていた。

「なんで消しちゃったのっ」

 覚えていたら、消されていなかったら、俺はもっと早くここへ来れたのに。

「すげえ嬉しかったのに! お兄さんが、柚葉がいてくれて、すげえ嬉しかった! ヘッタクソな絵を描いても上手上手って頭撫でてくれて、寂しくなかった、幸せだった! 大事な思い出だったのに、なんで消しちゃったんだよ、柚葉のバカ!」

 消されていなかったら、もっと早く、もっと素直に正直に

「柚葉が好きだって言えたのに!」

 どれが心の声でどれが実際に口から出たのか……全部聞かれていたとしても良かったと思う。

「紫苑、すまない」
「あんた……鬼のくせに、なんで変なトコでマジメなんだよ!? 鬼ならさっさと掻っ攫ってずっと監禁でもなんでもすりゃ良かったのに!」
「……それは……紫苑も鬼になったから言えるセリフだと思うぞ?」

 やっぱりマジメな柚葉の言葉に、泣きながらもくすりと笑ってしまった。

 涙でぐしゃぐしゃの顔を柚葉のシャツに押し当てて、深呼吸を一つ。
 とくんとくん……いつも俺を包んでくれる柚葉の音、体温。匂い。

「……ホントにずっと見てた?」
「見てた。飛影に命じるだけじゃ不満でな。こっそり変質者になってた」

 自嘲する柚葉につられて俺も笑った。
 変質者だって。こんなにカッコ良いお兄さんが、がきんちょの俺の事を気にかけて、こっそり見に来ていたのかと思うと笑ってしまう。

「じゃあさ、小一の運動会で…」
「ああ、かけっこ一等だったな」

 柚葉が俺の思い出を共有してくれているって事がものすごく嬉しかった。

「最初は可哀想な子供だと思った……でもどんどん俺の中で紫苑の存在が大きくなっていって……目が離せなくなって……ずっと見てた。俺の世界こんなトコに来ないですむ人生を送ってくれればと思いながら、俺は鬼だから、本心ではずっと待ってたよ」

 ぎゅうっと抱きしめられて、柚葉の想いの強さが伝わってくる。
 俺も力いっぱい抱き返す。

「……朱殷にも怒られた。一番大事な事を伝えてないって。ヘタレが過ぎるって言われた」
「ぷっ、柚葉ヘタレ……飛影も言ってた」
「ったく朱殷に言われるならまだしも、飛影……あいつ主人あるじに向かって失礼なヤツだ」

 俺の髪を掻き撫でる柚葉の掌に甘える。
 気持ち良い。

「記憶を返してくれてありがとう」

 無いと思っていた大事な思い出がちゃんと俺にもあって、それには既に柚葉がいて、今も柚葉がいる。
 俺にはずっと柚葉がいた──それを知れただけで、ずいぶん心が軽くなった。

 わしゃわしゃとまるでシャンプーをするように髪を混ぜ返すのは照れているからか……。

「俺も白群に言われた。ちゃんと聞けって。だから、聞くね? 柚葉は長だけど……俺のモノ?」

 ぴたっと止まった手の動きに柚葉を見上げると、柔らかい深緑と見つめ合う形になる。

 あぁ……と溜め息のような掠れた音が柚葉の薄く開いた唇から零れて、俺は呼吸を忘れた。

「そうだよ。初めて会った時から、ずっと紫苑だけのモノだ」
「そ、か。柚葉も俺のモノなんだ……」

 胸の奥がふわふわする。
 柚葉の言葉を何度も何度も胸の中で繰り返した。

 柚葉は俺のモノ。俺だけのモノ。

 視界が滲んだのは嬉しかったから。

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