囁きは蜘蛛の糸

深緋莉楓

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第67話 変わらぬ景色を求めて

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※柚葉視点になります。

 道端の小さな紫のスミレの蕾の側で足を止め、穣安じょうあんに抱えられた子供達の魂が満足するとまた歩き出す。
 飛影ひかげが見つけてくれた早咲きの桜まで辿り着くにはまだまだ時間がかかりそうだった。

「痛っ! いったい! ごめんってば!」

 ほのぼのとした目の前の光景とは不似合いな声が隣から聞こえるのは、枝を折ったと濡れ衣を着せられた飛影が腹いせに紫苑しおんの髪をたまに引っ張るからだ。

「むむんっ」
「ごめん……ひと枝持って来ちゃうからびっくりしたんだってば! 言葉の綾! 飛影がそんな事しないの、解ってる!」
「解っておれば良いのだ。しかしながらお夕食にマヨネーズは当然つくのだろうなぁと思ってはおる!」
「つく! マヨネーズたっぷりのポテトサラダ、美味しそう! ね? 柚葉ゆずは……柚葉ってば、もう、飛影を止めてぇ!」
「あーもう、子供達が景色を楽しむのを邪魔するな。マヨネーズは好きなだけ使ってもいいからこれ以上紫苑の髪を引っ張るな」

 言質取ったり! と大はしゃぎの飛影は首を伸ばして絢風あやかぜを覗き込み、聞いたであろう? と証人の確保に躍起になっている。

「ぽて……?」
「ポテトサラダとは美味しいお芋さんのおかずでな、きっと絢風も気に入ると思うのだ。あとは何であろうか……マヨネーズは万能なのでさすがの私も迷ってしまうな!」
「お芋さん!」

 ジャガイモの方だよーとのんびりとした紫苑の声に、絢風は何故か興奮したように首を縦に振った。

「私がいた森ではジャガイモは自生していなかったので、とても楽しみです! お料理してあるとホクホクで微かに甘くて大好きになったんです!」
「飛影ー、リンゴも入れる?」
「リンゴも!?」
「入れるに決まっている。ハムとキュウリとリンゴは仲良し三人組なのだ」
「ぷっ! それは初耳だよ」

 吹き出した紫苑に、人参も入れるぞと告げると案の定、食べられるから! との返事があった。

「あの……皆様はいつも人間ヒトの食事を……?」
「ああ。俺と紫苑は特別でな。互いがいれば、それで妖力は満たされる。食事はまあ、楽しみの一つだな」

 ほう、と感嘆の声を上げた黒緋くろあけ達には到底理解できないに違いない。今となってはどす黒い念を喰らい妖力を蓄えていたのが俺とて信じられないのだ。

おさと伴侶様は桁違いの深い絆で結ばれたのですね……いつか私も素晴らしい伴侶を得たいものです」
「その時は教えてくださいね。お祝いしなくちゃ」
「なんと!」

 黒緋が驚くのも無理はない。紫苑はいつもの調子で口に出したのだろうが、頭領が祝いの席に顔を出したのは一度きり。約二百年程前の事だ。そんな事は隣でにこにこと揺れる翳狼かげろうの尾を見て笑っている紫苑は知るよしもないのだが。

「その時がくれば、だな。いつになる事やら」
「すぐかも!」
「いや、それは……ははっ」

 当分なさそうです、と小声で付け足した黒緋はスッと下がり再び俺は紫苑と二人並んで歩く。頭の上では相変わらず飛影がマヨネーズを使った料理名をあれやこれやと連呼し、絢風はうるさがるでもなく心底興味深そうにじっと聞いている。

「絢風、あまりこいつの言う事を真に受けるなよ。刺身にさえマヨネーズをつけるようなヤツだぞ?」
「マヨネーズを生み出した者は天才だと思うのだ!」
「じゃあ節度なく使うお前が阿呆あほうだな」

 吹く風は暖かく、注ぐ光は柔らかい。前を行く翳狼は銀色に輝き、紫苑の髪がふわりと揺れる。

 天照アマテラスからの使いが来た時は覚悟してた残酷絵図とはかけ離れた情景に、何故か胸の奥がちくりと痛む。その瞬間、紫苑がグッと俺を手を引いた。

「多分ね、それは痛いんじゃなくて、嬉しいんだよ? 俺は、嬉しい……子供達が楽しそうで、うん、嬉しいよ」

 これが嬉しいという感情なら──俺もずいぶん甘くなったものだ。

 ふふ、と小さく笑い声を洩らした紫苑は眩し気に目を細めて俺を見上げると

「魔でも妖でもない子供達だって解った時、柚葉、俺に賛成してくれたじゃん。俺ね、殺したくなかったんだ。賛成してくれたって事は柚葉も殺したくなかったんだよ」

 と穏やかな声音で告げると、視線を再び前へと戻した。

 神殺しの任が下れば、そこに俺個人の感情など存在しなかった。少なくとも今までは。
 堕ちた神とも魔ともつかぬ存在を消滅させる事に特段心痛める事もなく、目の前のソレを塵に帰す事に僅かな躊躇ためらいすらなかった。断末魔の雄叫びも、命乞いも悪態も俺に届きはしなかったのに。

 紫苑がいなければ、俺はただ魔にまとわりつかれただけの子供達の魂をいとも簡単に消し去ったのかもしれない。

「なぁ、紫苑……お前と出会うまでの俺は、本当に虚無だったんだな」

 紫苑からの返事はなかった。ただ繋いだ掌を通じて想いが流れ込んできただけだ。

「翳狼、遠回りになるが獣道を使うのはやめて欲しいのだ。薄暗くてせっかくの太陽も届かぬ」
「承知。こんなに陽気が良いのだから遠回りしても良いですか?」
「もちろん! 獣道じゃきっと菫も咲いてないよね? あったかくて綺麗で素敵な世界を見て欲しいんだ」
 
 この世界はまだ、綺麗で素敵な世界だろうか? 紫苑が見せたいと言うのならば、そうなのかもしれない。

「あの子達が生きていた時代を俺は知らないけれど、今は今の美しさがあると思うんだ。ひょっとしたら変わっていない景色もあるかもしれない。懐かしんでくれるかもしれない。それが良い事かは解らないけれど……喜んでくれたら良いなって、勝手に思ってるだけなんだけどさ」

 きっとこの山と穣安さんってさ、と言葉を続けた紫苑は照れくさそうに頬を掻く。

「俺にとっての柚葉なんだと思うんだ。生まれ育った家とか家族じゃなくてさ、うーん、なんて言うか、こっちが本当の自分の場所っていうか。だから、再び眠る前にいっぱい見ておいて欲しいなって」

 心を残させる事はある意味酷な事だ。
 だが、心を満たして眠りにつかせる事は慈悲なのかもしれない。
 夢の中で今日見た景色を繰り返し、いずれはその一部と化す。それがあの子達の魂の光となり、消えゆく瞬間の道標となるならば……桜のひと枝を持たせてくれたこの山の神の願いにも添えるだろう。

「……黒緋、ここ数百年、人の手の加わっていない所はあるか?」
「山頂付近の小さな小さな滝ならば手は加えられておりません。今やその滝の存在を知ってはいても訪れる者はおりませぬ」
「行くの?」

 弾む紫苑の声に頷けば、早速絢風に滝へ行くよ! と嬉しそうに声をかけている。

「何故伴侶様がそんなに嬉しそうなのです?」

 不思議そうな黒緋を振り返った紫苑は翳狼に目をやったあと、目的の山を指差した。

「あの山を行くんでしょう? きっと険しい山道で、大きな岩があったり、激しい段差があったりしますよね?」
「まぁ、確かに……人間の足で行くのは大変難儀な場所です」
「となると、翳狼はあの子達を乗せて、段差を飛び越えたり、岩を駆け上がったりするわけで、きっと子供達も楽しいと思うんです!」

 優希ゆうきが来た時も翳狼の背を楽しんでいた紫苑だ。俺には解らない人間ヒトの気持ちがあるのだろう。足場が悪ければ翳狼に頼めばいい。それが無理なら己の力で編んだ結界を駆使すればどうとでもなる。山道に難儀する事も、山道を楽しむ事も俺は知らない──。

「これから……一緒に山登りだよ!」
「妖力なしでか?」
「んー、バテたら使う。その時は助けて」

 あっけらかんと言ってのけた紫苑は翳狼に駆け寄ると、穣安にも滝の存在を確認し、これから行くのだと告げている。途中険しい山道があると聞いても翳狼は何の心配もないと尾を振り、紫苑に頭を擦りつける。

「楽しみだね!」

 紫苑の言葉に答えるように穣安の腕の中の球がぽわりと輝く。その様はまるで、生まれたての赤児のはち切れんばかりの頬のようだ。
 死に際には痩せこていた肉体が、集合体とはいえ魂となった今、丸々とした姿で顕現している事が何故か微笑ましいと思う自分に驚きだ。
 更にはこの俺が妖力も翳狼も使わず山歩きをし滝を目指すと言うのだから、朱殷しゅあんが知ったら腹を抱えて笑い転げた挙句に泣き出すか呼吸困難になるか──どっちにしろ、うるさいのがいなくて良かった。

「長、今回の失態、どのような処罰も覚悟しております」

 紫苑が距離をとった途端に重々しい黒緋の声が鼓膜を揺らした。

「あぁ。そうだな。考えておこう」

 黒緋の実力及び序列を考えてこそ、この地を任せたのだ。大事には至らなかったとはいえ、天照から俺がこの地に遣わされた事はそれなりの意味を持つ。
 
「今は子供達の魂の安寧を優先しろ」
「御意」
 
 道はどんどんと細り、砂利が大きな石へと変わり、根強い雑草が地面を覆う。行き止まりかと思われた巨大な岩の前で、穣安がなんとも申し訳なさそうな表情カオで振り返った。

「この岩を越えねばなりません」
「第一関門、と言ったところか」
「いえ、これはまだ序の口でございます」

 ゆうに紫苑の身長を超える巨岩の前に立ち尽くした紫苑がぽつりと呟く。

「……柚葉、結界紐使お」

 岩肌を触って、早々に諦めた紫苑は岩を越えた先に見える太い杉の木の枝に巻きつかせる為の紐を黙々と編み出した。

「ははっ! 早い降参だな?」
「戦略的撤退って言って! これで序の口なんでしょ? それでこの先想像したらムリだよ! むーりー!」

 半ば自棄ヤケ気味の気恥ずかしそうな悲鳴に口元が緩む。
 飛影と絢風は自らの羽で行くらしく、既に空を舞っている。 
 
「がんばるのだ。ここを越えて、ひょひょいのひょいで小川を越えて、ぴょぴょっと進んだ先に早咲きの桜があるのだぞ。とても見事で美しいのだ」
「飛影の言うひょひょいのひょいとぴょぴょっとは全く信じられない!」

 その意見には同意だ。ただでさえ口が達者な上に、翼を持つものとしても小柄で身軽な部類に入る飛影の言葉は例え励ましのつもりであっても今回ばかりは鵜呑みにしてはならないだろう。

「ほらね! 小川じゃないじゃん!」

 雪解けで水かさが増したのか、小川と呼ぶには激しい濁流を前に紫苑が叫ぶ。飛影は空の上でくるりくるりと旋回し、聞こえぬフリを決め込んでいる。

──お兄ちゃん、大丈夫?──
──狼さんに乗る?──
 
「だいじょーぶ!」

 悲壮な紫苑の声が水音を掻き消して辺りに響き渡った。

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