月の瞳に囚われて

深緋莉楓

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第14話 使者と現実

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 相変わらず夢を見る。

 潤んだ金眼で俺を見つめて、しどけなく身体を開いたルナを抱く。
 俺の欲望丸出しの夢はルナをひどく淫らにさせて、目が覚めた後は罪悪感と下半身の不快さに溜め息が出る。
 俺だってそれなりに対策は立てている。寝る前にこっそりヌいて、俺は今は完璧に賢者だ、と自分に言い聞かせてルナの隣に潜り込む。
 なのにだ。それでも夢を見てしまえば確実にそうなってしまっている。
 隣ですぅすぅ寝息を立ているルナはこんな欲望塗れの俺を見たらどう思うのだろう……何度も何度も繰り返しルナを穢した俺を許してくれるだろうか。
 
 シャワーを浴びよう。汚い欲望を洗い流そう。

 心は充分に満たされているのに、身体はバカ正直にルナが欲しいと訴える。コントロールできない自分が歯痒い。

 シャワーから戻った俺の気配にルナがピクリと反応した。

「深海?」
「ごめん、起こした? も少し寝る?」
「ううん。もったいないから起きる。任せて、こぉひぃ淹れてくる」

 寝起きの少しぼんやりしたルナがそれでもベッドから抜け出してキッチンへ向かった。

「……一杯二杯、お水も……完璧! 美味しくできますように!」

 コーヒーメーカーにお願いしている声が明るくて頰が緩む。ルナはいつもお願いしてスイッチを押す。

「ルナ? 来て?」
「はーい」

 パタパタと駆けて来たルナが胸に飛び込んで来て、抱きしめてキスをする。

「おはよう」
「おはよう、深海」

 抱き合っていればすぐに胸が温かくなって、ルナに想われているのが解る。

「そろそろ衣替えだな。長袖一枚じゃ寒いだろ?」

 ルナがヒトの姿を見せてくれるようになって三ヶ月。もうすぐ九月が終わる。
 白玉粉を捏ねて団子を作って二人で部屋からお月見をした。
 両手を真っ白の粉塗れにして嬉しそうに団子を捏ねるルナにちょっかいばかりかけて怒られて、早く茹でてってせっつかれた。
 無何有郷では料理はしたことがないと言うルナは余程楽しかったようだ。
 はしゃぐルナを見るのは俺も本当に嬉しかった。

 月の光を受けたルナの目がいつも以上にキラキラと輝いて、青味がかった髪もいつもより鮮やかに見えて、俺は月よりルナを見ていた。
 見過ぎだよって照れ臭そうに笑うルナは本当に綺麗だった。
 窓に張り付いて月を見上げるルナを背後から抱きしめて、タイミングを見て口に白玉団子を放り込んであげると、月から視線を外すことなく、もごもごと口を動かしていた。

「ねぇ深海、この世界のお月見って沈むまで見てるの?」
「そんなことないよ? お月様綺麗だねーって言って、あとはお団子とお茶で良いよ? 多分ね」
「深海、お月様綺麗だね!」
「うん……ぷっ……はい、お団子どうぞ」
「あいがひょね」

 ありがとね、と言って振り向いたルナはお茶が欲しくて八の字眉毛だった。

 ルナとの思い出が増えていく。

 さすがに海水浴や花火はできなかったけど、大きな花火大会の生中継をテレビで見た。ルナの目に映り込んだ花火がこれまた綺麗で俺はどんどんルナの虜になっていく。
 それが少しも嫌じゃない。

 ルナが笑えば胸が温かくなって、それに気付いたルナがまた笑う。
 ケンカ一つない穏やかな日々がゆったりと流れて、いつの間にか腕の中がルナの定位置になった。

「ルナはどんなのが似合うかなぁ?」
「服? あまり苦しいのはイヤだ。今みたいなのが良い」
「あー、そっか。無何有郷じゃ着物なんだっけ?」
「深海の服は大きくて苦しくないから、深海の服が良い」
「明日探してみよっか? 秋物と冬物」

 押し入れの奥の段ボールに確か服を詰め込んでおいたはず。

「その必要はありません。和子わこ様、お帰りいただきます」

 凛と響いた第三者の声に反射的に顔を上げた。

 窓辺に立つ厳しい顔付きの年配の男がさも汚いモノを見るかのような目で俺を見ていた。ルナは俺の腕の中で身体を固くしてぎゅうっと服を握りしめる。無意識で庇うように抱きしめた。
 心臓がドキドキする。ものすごく嫌な感じがする。

「全くどこに姿を隠したのかとどれ程お探ししたか。まさかこんな所にこんな人間と共におられるとは。おい人間、その汚い手を和子様から離せ」
「嫌だ」

 この男は嫌だ。無何有郷の人だろう。でもルナと違って俺には悪意しか向けてこない。

尾白おじろ、俺の伴侶に対して偉そうな口を利くな」
「伴侶? 伴侶ですって? とんでもない! 認めません。無何有郷の全ての者が認めませんよ。つまらぬ駄々を捏ねていないで早くお帰りのお支度を」
「帰らない。そもそも出て行けと言ったのは帝だろう」
「その帝の御命令です。お帰りいただきます」
「はっ! 連れ帰る? そしてどうする? 俺を消すか?」
「今にも消えそうな貴方に凄まれても、この尾白怯みませんよ」

 今、このオッサン、何て言った……?
 今にも消えそうなって……何?
 あまりの展開と二人の言い争いに麻痺しかけた頭が動いた。

「待て。今にも消えそうって……何? どういうこと? ルナ?」

 見下ろしたルナの顔に笑顔はなかった。きゅっと噛み締めた唇は開きそうもない。
 ムカつく……けどオッサンに聞くしかない。
 眉間に縦皺が深く刻まれたオッサンを見上げて口を開いた。

「消えそうって、何ですか? どういうことですか?」

 情けない程に声が震えていた。
 そんな俺をオッサンは鼻で笑った。

「和子様の苦しみも解らぬお前が伴侶とは笑わせる! 和子様、貴方、変化する力ももう残っておりますまい」

 確かにここ最近ルナの子猫の姿は見ていなかった。
 いつから……? だってずっと俺の腕の中にいた。心地良いよって笑って、たくさんキスをして……なのに消える?

「俺の気が濁ったのか?」
「違う!」

 ルナの否定にオッサンが言葉を被せてくる。

「しょせんここは無何有郷ではない。人の傲慢、強欲に塗れた穢れた世。お前が少しばかり清涼な気を出せたからと言って和子様に限界が来るのは当然のことよ。それに気付かぬとはとんだウツケよの」
「口を慎め! 御魂が決めた! 俺の伴侶はこの深海以外はない!」

 しっかりと俺の服を握りしめたまま、ルナは怒鳴った。こんな風に怒鳴るなんて知らなかった、口振りからしてルナの方が格上なんだな、と冷静に思うどこかに取り残された俺がいた。
 怒鳴るルナを宥めるより大切なこと……ちゃんと知らなきゃいけないことがある。

「消えるってことは、どうなるんですか? 死ぬってこと……ですか?」

 芯の冷えた頭で必死に動きの悪い口を動かして、ルナとオッサンを交互に見た。

「そうだ。和子様はこの世の者ではないからな、魂は煙のように、肉体は灰のように。そよとでも風が吹けば消えるだろう。何も残らん」

 まるでタバコじゃないか。いや、タバコはまだフィルターが残る。でもルナは何も残らないという。

「お前、ツラかったのか? 苦しかったのか? じゃあなんで俺の胸はいつもあったかかったんだ?」
「それは……深海と一緒にいられることがとても嬉しいからだよ。深海の傍が幸せだからだよ」

 嬉しいはずの言葉が痛い。痛くて、痛くて泣くルナを抱きしめることしかできない。

「解った。ルナ、帰れ」
「えっ、イヤだ深海!」
「尾白……さん、今ならまだ間に合いますね? ルナ……こいつ消えたりしませんね?」
「間に合う。だから来た」
「ヤだってば深海!」
「ルナ? お前俺の気持ち、考えた? こんな大事なこと教えてもらえずにさ、朝起きたら? 大学から帰ったら? バイトから帰ったら? いるはずのお前がどこにもいなくて、骨も残ってないなんて、俺どう思うと、思う? あぁ夢だったのかな、出てったのかな、嘘だったのかな、裏切られたのかって思う──」

 俺まで泣いちゃダメなのに……ルナが泣くから涙が溢れる。
 それでも言わなきゃいけない。
 ルナが死ぬなんて俺はこれっぽっちも望んでなどいない。

 こつん、と額をつけて俺の大好きな金眼を見つめた。
 じわっと涙が浮かんではぽろぽろと頬を零れていく。その度に頬を包んだまま、親指だけ動かして涙を拭った。

「だから帰れ。こうして心配して迎えに来てくれる人もいるじゃん。ちゃんと自分の世界に帰んなきゃダメだよ。帰って、元気になってまた遊びに来れば良い。な? そうだろ?」

 すすり泣くルナの背中を撫でながら、これで良いんだ、と何度も言い聞かせる。
 ルナの胸に届くように消えて欲しくない、と何度も強く願う。

「どうしても?」
「どうしても! 絶対だ」

 ルナの願いは何でも叶えてやりたいが、これだけは別だ。絶対譲れない。
 俺の意志の強さが通じたのか、ルナはひどく寂しそうな顔をして、ふと目を伏せた。

「……解った……尾白、深海と二人で話がしたい。外せ」
「和子様、手短に」

 それだけ言うと窓辺にいたはずのオッサンの気配が消えた。

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