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第二章

体験ツアーその1

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「いらしたことがある方もいらっしゃると思いますが、こちらがカフェ『ケルークス』です。皆さんにはここで精霊たちの暮らしを体験してもらいます」
「ケルークス」の店内に、元気な女性の声が響いた。
 声の主は光の精霊エインセルのイサベル。
 普段は存在界で精霊界移住の宣伝活動を担当しているが、今日は精霊界の暮らしを体験するツアーの案内役を努めている。

「私はここは初めてですけど、他の方はいらっしゃったことがあるのですか?」
 四人のツアー客の中で最も若く見える女性が周りの客に尋ねた。
 今回のツアーに参加したのは男女二名ずつの四名で、男性二人は私も顔を見たことがある。
 イドイさんという文化人類学の学者とウエバヤシさんというどこかの会社の社長だった人だ。
 女性二人は初めて見る顔だ。

「当相談所の所長のアイリスです。本日は相談員も私を含めて三名おりますし、気になることがあれば相談員かこちらの店主のユーリに聞いてくださいね。今日の相談員は……」
 アイリスが相談員を紹介していく。
 今「ケルークス」にいる相談員はアイリスと私とエリシアの三名。相談員はツアー終了まで三交代で対応する。

 ツアーは最初に相談員と精霊たち、そして参加者の自己紹介の後、精霊たちと一緒に精霊界の主要な食事であるマナづくりを行う。
 その後はセイレーンやエコー、パンによる演奏と歌を聞きながらの夕食会となる。

「じゃ、今日の夕飯になるマナを作っちゃおう。私は地の精霊ノームのピアだよ。皆のテーブルにも担当の精霊がつくから、説明の通りやってみてね」
 相談所の近くに住むピアが先生役となって、精霊たちと共同でマナを作る。ノームには男性型と女性型の両方がいるが、ピアは女性型だ。
 各テーブルに参加者一名と、サポート役の精霊が一体つく。
 参加者と精霊がペアになって作業を進めるのだ。

「まずはマナの実を切っちゃおう! 一個は細かく、もう一個は親指の幅くらいに大きく切って」
「あのー、このマナの実、って私たちの世界にあるパンノキと関係あるのかしら? こっちのマナは私たちの世界のパンみたいなものだと聞いたけど……」
 ピアの説明の直後、アカヌマさんという老齢の女性が質問してきた。
 彼女は何度か相談に来ているそうだが、自己紹介では「ケルークス」の店内に入るのは初めてだと言っていた。

「うーん、ちょっとアタシにはわからないなぁ。イサベルはわかる?」
「存在界にあるパンノキは、こっちのマナノキを参考に作ったものだけど、別のもの。私も存在界のパンノキの実を食べたことはないけど……」
 イサベルが絆創膏の上から頬を掻きながら答えた。
「パンノキは南アメリカとかそっちの方でしょう。日本では一般的ではないですし、私も実物を見たことはないですね」
「イドイさんはそういうのが専門でしたか。なら間違いなさそうですな」
「いえ、私の専門は日本国内でして……」
 ツアー客の会話も徐々に盛り上がってきた。

 マナづくりは精霊たちとツアー客が担当し、相談員たちは材料や道具を持ってきたり、逆に必要なくなった道具を片付ける役割だ。

「相談員の皆さんのところでは、どのくらいの頻度でマナを作っていますか?」
 エノキモリさんという参加者の中では一番若そうに見える女性が尋ねてきた。若いと言っても四十代くらいだろう。
 基本的に「精霊界移住相談所」に相談に来る客は年配の人が多いから、四十代というのは若手の部類に入る。

「オイラのところはあまり食事をしないからね。二、三ヶ月に一回くらいじゃないかなぁ?」
 エリシアの答えに参加者たちが顔を見合わせた。精霊界には飲食店が多いのではないかと自説を述べている人もいるが、これは不正解。
「精霊や魂霊は必ずしも食事を必要としないのです。私のところは月二回くらいです。マナは保存がきくので、まとめて作るという感じですね」
 精霊界の飲食が充実しているなどという幻想を抱かれては困るので、慌てて私はフォローした。
 
「なるほど、便利というか難儀というか難しいところですな」
 そう言いながらマナを成形しているのは今回最年長と思われるウエバヤシさんだ。
「うわぁ、何だかわからないけどスッゴくキレイだねー!」
 ウエバヤシさんとペアを組んでいる火山の精霊ヴルカンの女性が感心している。
 ウエバヤシさんは練ったマナの生地を成形した後、へらで器用に模様を入れていた。
 幾何学的なその模様は精霊界ではまずお目にかかれない代物だが、見る者を引き込むような美しさがある。

「何か食べるのが勿体なくなるわね。私はシンプルにホットケーキの形にするわ」
 アカヌマさんが手際よくマナの生地を成形し、ホットケーキの形をした丸いマナをぽいぽいと作り上げていく。

 エノキモリさんは生地を薄く平らに広げた後、三角形に切ってくるくると巻いている。クロワッサンの作り方みたいだ。
 一方、文化人類学の研究者イドイさんは、生地を少し厚めに広げて、ナイフで長方形に切っている。
 このあたりは個性が出るところだ。

「好きな形にしていいと言われたけど、みんな形がバラバラね。これでいいのかしら?」
 アカヌマさんが焼く前のマナを見比べて不思議そうな顔をしている。

「大丈夫だよ! 精霊によって形はバラバラだしね。これから焼くから、私について厨房に来てね」
 ピアの号令で参加者がぞろぞろと「ケルークス」の厨房に向かう。

 ピアの言っていることは正しい。
 ちなみに私のところでは、私が作るときはイドイさんと同じで厚めの生地を長方形に切った形にする。
 ニーナが作るとパンケーキの形になるし、カーリンが作ると紐を結んだ形になる。
 精霊が百体いれば百通りとまでは言わないが、二〇通りくらいのバリエーションはあるはずだ。

 今回は二通りのやり方でマナを作ってもらっている。
 ひとつめは細かく切ったマナの実を練って作るパターンだ。思い思いの形に生地を成形していたのはこちらのパターンだ
 これとは別にマナの実を切ってそのまま焼くというパターンでもマナを作る。
 練ってから焼くと全体的に同じような硬さになり、実を切ってそのまま焼くと外がカリッとして中がしっとりした食感になる。

「マナを焼く方法はいくつかあるけど、今回は一番ポピュラーなやり方、火の精霊さんに焼いてもらうよ」
 石でできた台の上にマナを置く。台は二つ用意されている。
 するとヴルカンの女性が進み出てきた。

「では、焼いちゃうねー!」
 ヴルカンは台の上に手をかざした。
 念のため参加者には少し離れてもらう。

 ゴォォォォォォ

 ヴルカンの手のひらから小さな炎が吹き出している。
 徐々に生地が膨らんできて、マナらしくなってきた。

「そろそろだね、熱いから冷めるのを持って籠に入れてね。今度はこっち」
 今度は切っただけのマナの実が置かれた台に手をかざす。
 先ほどよりは手のひらから出ている炎が少し小さくなっている。切っただけのマナは弱火でじっくり焼くのがコツなのだそうだ。

「よしっ! できたよ!」
 たっぷり一五分ほどかけてマナを焼き終えたヴルカンが自分の肩を叩いた。

「お疲れさまでした」「ご苦労さま」「少し休むといいですぞ」「この後はお茶だったか」
 ぞろぞろと参加者たちが「ケルークス」の店内に戻っていく。

 ヴルカンがマナを焼いている間、私を含めた相談員やユーリは店内のテーブルを片付けていた。
 マナを焼き終わった後はティータイムとスケジュールで決まっていた。
「ケルークス」の店内は時期によって異なるものの、座席数は三〇ほどで決して広くないから作業に使った物を片付けないと、お茶を飲むスペースが確保できない。

 焼き上がりまでニ〇分ほどあったので余裕をもって片づけはできたが、さすがに今の人数だとカフェスペースの拡張は難しそうだ。

「あの量で何日分くらいになるのかしら?」
「一日三食食べたら二人で二日か三日分じゃないでしょうか?」
 私は隣に座ったアカヌマさんからの質問に答えていた。
 反対側の隣には闇の精霊シャドウの男性の姿がある。彼はアカヌマさんのテーブルを担当していたはずだ。

「精霊にとって食事は娯楽なのです。この量なら私一人なら一ヶ月分くらいになります」
 シャドウは丁寧な口調で話した。このシャドウは確かクアンという名前だ。アイリスが連れてきたようだが、私は今までに彼に会ったことがない。
「食事をしなくていいというのは不思議よねぇ。私も億劫になることはあるけど」
「食事は楽しい場ですが、毎回しなければならないというと億劫というのは理解できます。精霊にとって一日三度の食事は忙しすぎます」
 クアンが苦笑した。
 私も魂霊になってクアンの感覚が少しは理解できるようになったと思う。
 私の場合、精霊界の住人としては食事の回数が多めだと思うが、それでも一日一回より少し少ないくらいだと思う。

「人間のままだと精霊界には入れないといったけど、精霊界はどんな感じなのかしら?」
「この近くなら窓から見えますから案内します」
 確かに精霊界の景色がどのようになっているかは気になるだろう。
 窓からなら建物の近くは見渡せるから、それを見せたほうが早い。ただ、このあたりだと近くの存在界の景色と大して変わらないのだが。

「あまり私たちの世界と変わらない感じね……」
「このあたりはそうですね。クアンさんのお住まいだと少し違うと思いますが」
 アカヌマさんの言葉に、私は苦笑しながら答えた。
 建物の周辺はノームやメリアスといった精霊が多く、こうした場所は一日中明るい場所が多いが、シャドウのような闇属性の精霊が住む場所は異なるのだ。
 
「私の住んでいるあたりは、常に夜ですから月が出ていない間は真っ暗です」
 私の言葉を聞いてクアンが説明した。
「あら? それは大変ねぇ」
「シャドウは明るすぎる場所が苦手なので、薄暗いくらいでちょうどよいのです。部屋の灯りくらいは気になりませんが」
「そういう方もいらっしゃるのねぇ」
 今回の主役はあくまで参加者、そして彼らと交流する精霊たちだ。
 私のような相談員が出しゃばり過ぎるのはよくないから精霊たちと参加者が会話するのに任せることにした。

 そうこう話しているうちに、三〇分のティータイムはあっという間に終わってしまった。
 この後はマナにつけるディップ作り、そして夕食会になる。
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