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第二章

アーベル、パートナーと旅行する その4

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「我らはマーマン、見ての通り海を司る精霊だ。属性は水になる……」
 最初はマーマンという精霊の紹介だった。
 マーマンには男性型と女性型とがいるが、水属性の精霊では男性型と女性型の両方がいるのはマーマンだけになるそうだ。
「男性、女性どちらもイケる、という魂霊で水属性と相性がよい者ならマーマンと契約するのはオススメである。魂霊にはこのような嗜好の者もおるだろうしの……」
「「「……」」」
「契約相手は今のところ間に合っていますので」
 いきなり契約相手の売り込みか! と思って私もつい冷たい口調で断ってしまった。

「なら良いだろう。そのような嗜好の魂霊がおれば、我々マーマンをオススメするのも手だぞ」
 そう言ってカラカラとマーマンのライムントが笑った。
 我々の様子を見て彼が (少なくとも我々に対しては)それ以上売り込みをしてこなかったので、冗談半分なのかもしれない。

「ところでそこの魂霊の男よ、我らが存在界に出入りしていることを知っているだろうか?」
「アーベルといいます。存在界に出入りとは『精霊界移住相談所』の広報の仕事で、ですか? マーマンのメンバーは存じていないのですが……」
「な?! アーベルは相談所が広報の仕事を仕切っているのを知っておるのか?!」
 ライムントが目を見開いた。

「アーベルさまは緑の地の一レイヤにある相談所の相談員です」
 リーゼが私の代わりに答えるとライムントは
「なんと! アイリスのところの相談員か?! うーむ……」
 と言って考え込んでしまった。

「すみません。相談員だと何かマズかったでしょうか? とりあえず話を続けてもらいたいのですが」
 さすがにこのまま考え込まれてもこっちが困る。

「……わ、わかった。続きを聞くがよい」
 汗をぬぐう仕草をしてライムントが話を再開した。

「存在界には精霊や妖精をモチーフにした絵画やら文学があるのは知っておるかの? アーベルなら知っておると思うが……」
 ライムントの問いに私はうなずいた。さっきもマーマンを見て「本で見た通り」という感想を持ったくらいだ。知らないわけがない。

「……不思議だと思わぬか?」
「……確かに妖精はともかく、人間は精霊の姿を見ることができないですね」
「その通り。それに魂霊となった人間は二度と存在界に足を踏み入れることはできん。なら、精霊の姿は存在界にどのようにして伝わったのか?」
 ずずいっとライムントが身を乗り出してきた。

「……存在界にいる妖精が絵を描いたか、人間に教えたのでは?」
 これを言ってしまって良いのか迷ったのだが、私がアイリスのところの相談員だということはライムントにバレてしまっているわけで、言わずにいるのも不自然かと思った。

「……む、その通りだ。ところで最初に人間に精霊の姿を教えたのは誰だか知っておるかの?」
「存在界に出張している組の誰かですかね? どこの相談所のメンバーかはわかりませんけど」
 そう答えると、ライムントがニタリと満足げな笑みを浮かべた。

「最初に人間に精霊の姿を教えた者こそ、我らマーマンなのだ! アスクというマーマンが最初に精霊の絵を描き、人間に見せたのが始まりじゃ!」
 ライムントがどうや! と言わんばかりに身を乗り出してきた。

「……どのような絵を描いたか、記録などは残されているのでしょうか?」
 ニーナが冷静に尋ねた。
「むろん存在する。これだ!」
 ライムントが杖の持ち手を引き抜き、中から丸まった布を取り出した。
 なるほど、杖ではなくて布をしまって持ち運ぶための道具だったのか。

「広げます」
 リーゼが布を受け取って広げた。
 布の左半分にはありがちな人魚の描かれており、右側には読めない文字らしきものがびっしりと書かれている。
「「「「「……??」」」」」

「これがアスクが描いた人魚の絵と物語だ。存在界に瞬く間に広がり、彼の真似をする者が多数出るようになったのだ!」
 ライムントが拳を握って力説した。
 本当か嘘かはわからないが、マーマンの間ではそうなっているのだろう。
 メラニーとニーナが疑わし気な表情を隠そうともしていなかったが、私は「ここはそういう設定を楽しもう」と二人に耳打ちした。

「(びしっ!)」
 メラニーは私の意図を理解してくれたようで、片目をつぶって敬礼してみせた。
 ニーナはよく理解できていなかったみたいだけど、とりあえずうなずいてくれた。まあいいか。

「何か聞いてみたいことはあるか? 質問はいくらでも受け付けるぞ」
 ドヤ顔でライムントが胸を張った。

「存在界の人間にマーマンの絵を見せて、どうやってその存在を信じさせたのだろうか?」
 その点は気になっていた。存在界には精霊に関する話は多くあるが、存在界に精霊は存在しないからだ。
 存在しないものを信じさせるのは結構難しいと思うのだが……

「よくぞ聞いてくれた! マーマンが最初に存在界に精霊の姿を伝えることができたのには理由がある!」
「それは?」
 ここはライムントに付き合っておくのが良いだろう。
「マーマンは妖精のときに魚の尾と人の脚のどちらの姿にもなれるからな。アスクは仲間の女性型マーマンに魚の尾と人の脚の両方の姿になってもらって、周囲の人間に説明したそうだ」
「?!」
 これは驚いた。
 マーマンの妖精形態に二パターンあるというのは初耳だったからだ。
 ライムントによれば、他にも妖精形態のときに複数の姿をとることができる精霊もいるそうだ。割合としてはそう多くないらしいが。

「羽の生えたピクシーやフェアリー、などというのもパックやメリアスあたりが妖精になったときの姿だからな。むろん、彼らも存在界では人間の姿になることもできる」
「……」
 ちなみにパックというのは悪戯心を司る闇属性の精霊で、人間の子供の姿をしている。
 メリアスは草花を司る風の精霊だ。

「……ニーナ、そうなのか?」
「アーベル様、パックについては存じておりませんが、メリアスについてはその通りです」
 私の問いにニーナが耳元で囁くように答えてくれた。

 本当かどうかわからないが、どうやら存在界のファンタジーの元ネタは相談所から移住の宣伝に行っていた精霊たちによって持ち込まれたらしい。
 事実だとすると何か残念な気分ではあるが……

 他にもいくつか質問させてもらい、私のパートナーたちもいくつか質問を投げかけた。
 ライムントの答えが真実かは結局よくわからなかったが、マーマンたちが相談所の業務で存在界に出入りしていたのはほぼ間違いなさそうだ。
 人魚が泡になって消える、という話に至っては存在界で傷ついて存在を維持できなくなったマーマンが精霊界に強制送還されたという話から生まれた、などとも聞いた。

「セイレーンも我らマーマンと同じように魚の尾と人の脚の両方の姿になれたな。川の人魚だと奴らかも知れん」
「「「「「……」」」」」
 私たちは思わず顔を見合わせてしまった。
「ケルークス」に出入りしているメンバーに心当たりがあるのがいるからだ。
 それもかなりのトラブルメーカーなので、存在界でやらかしている可能性も十分考えられる。
 というか存在界でしょっちゅう痛めつけられて、精霊界に強制送還されているのだよな。
 彼女なら、求められれば人魚の姿で人前に出るくらいのことはやりかねないし、その後トラブルに巻き込まれるというのはあり得る話だ。

「どうした? 皆微妙な顔をしているが……」
「……うちの相談所にセイレーンがいるのでね」
「そ、そうか……」
 私が微妙な表情のまま答えたためか、ライムントもそれ以上ツッコんではこなかった。
 彼にバネッサのことを話しても仕方ない。

 何はともあれ、いい経験はできたと思う。
 実は受付のヴァルキリーは「マーマンの話は笑い転げまわるほど面白い」と言っていたのだが、どちらかというと苦笑するタイプの話だった。
 ヴァルキリーの笑いのセンスは私にはよくわからない。
 個体によるのかもしれないが。

「興味深い話を聞かせてもらった。ありがとう」
 ライムントに礼を言って、私たちはマーマンの住む岩を後にした。

「アーベルさん、もう少し海を散歩しませんか?」
 カーリンの案内で私たちは、更に沖へと進んでいった。

「このあたり、ですね」
 カーリンはマーマンの住処より二回りほど小さな岩の上に下り立った。
 少し流れがあるようで、岩のでっぱりに捕まっていないと身体が流されてしまう。

「これは……這いつくばっていないと流されそうね。このくらいなら走れば戻れるけど……」
 メラニーは岩のでっぱりではなく、私の左脚にしがみついている。
 カーリン、リーゼ、ニーナは水属性の精霊のためか、流れへの対処も慣れているようで、姿勢を低くして流れをやり過ごしている。

「??」
 不意に上の方が暗くなった。それまで日光が差し込んでいたのに、薄暗くなったのだ。

「アーベルさん! 上です!」
 カーリンの声で海面の方を見上げると、大きな黒い影が私たちのいる岩の上を横切っているのが見えた。

「鯨か?! それにしても大きすぎる!」
 形は鯨なのだが、問題はサイズだ。長さは電車三、四両分くらいある。幅は電車の倍くらいだろうか?

「アーベル様! あれは精霊界を支えるとも言われる精霊バハムートです! わたくしも初めて目にしましたが……」
 ニーナが興奮気味に教えてくれた。
「大きいです……」
 リーゼが目を見開いてバハムートの雄姿を見守っている。

 その泳ぎは決して速くはない。
 悠然と岩の上を横切ったのち、岩の周囲を旋回しだした。

「ちょ、ちょっと、大きすぎるわよ!」
 メラニーが文句を言ったが、バハムートは意に介していないようだ。

「マーマンの話を聞いているときにそれらしい影が見えたのでもしかして、と思ったのですが……」
「カーリン、いいものを見せてもらった。よく見つけたね」
 私はカーリンの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 しっかり者に見える彼女だが、頭を撫でられるのは大好物なので、ここぞとばかり労った。

 バハムートは岩の周りをゆっくりと三周したのち、悠然と沖の方へ泳ぎ去っていった。

「す、すごいとしか……」「……」
 ニーナとリーゼが言葉を失っていた。

「そろそろ戻ろう。午後の予定もあるしね」
 バハムートの姿が見えなくなったところで、私はパートナーたちを突いた。
「はい」
「わかりました、アーベルさま」
「だねっ」
「承知しました」
 最後に思いもよらない大物を見ることができて、午前中の散歩は大収穫だったといえよう。

 興奮冷めやらぬまま、私たちは海岸のテントへ向けて出発した。
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