一輪の花

N

文字の大きさ
上 下
5 / 26

ニナ

しおりを挟む
 俺はまたナハンと、あのナハンおすすめの店に来ていた。
「俺の仕事相手にちょっと嫌な奴が居て」
「ん?怒りっぽいのか?」
「そーじゃなくて、あの子は騙したって大丈夫とか、そんな感じのことを言うんだよ。良い大人がさ、キモくない?」
「ま、この世界に居れば、そういう輩とも時々出会うさ。ほとんどの人がいい人だけど、中には、地位や名声ほしさに汚い手を使うものもいる。そういうのに、惑わされない人になれよ」
「地位や名声欲しさねぇ」
なんか、それに関してはちょっと違う気もするが、ナハンの言うことは正しいのかもしれない。

「お邪魔します、ルクエです」
「ニナです」
ルクエはナハンの正面に碁盤を挟み座る。ニナはカフウの横に座る。

ルクエとナハンは早速、碁を始める。
「ここで、碁ばかりするなら、いっそのこと、碁の教室で酒と料理を提供するようになれば良いとは思わないか?」
「碁の教室であっても、ルクエさんような腕の持ち主はなかなか居ませんよ」
「そういうものなのか?」
「えぇ」
「じゃあ、何でこの店で働いているんだ?」
「本当に、全然、何も知らないんですね」
「え?」
「ここで働く人たちは最低限の暮らしと給与を保証されていますが、多くは生活難で、借金をしていたり、身内に犯罪者がいたりするんです。それで、売上金を店が集めて、借金の返済とかに回してくれるんです。あんまり、大きな声では言えませんが」
「じゃあ、ルクエさんも」
無言で頷いたニナ。
ナハンがどうしてこの店を気に入っているのか、わかった気がした。きっと、この人たちの生活を助けたいんだ。見るかぎり、本人の借金というわけではなさそうだし。普通に楽しんでいる部分もあるだろうが。

「ニナさんもそれで、お金を必要としているんですか?」
「はい、まぁ」
「そうだったんですか」
「ほら、私は、文字が書けないんです。だから、良い職に就けなくて」
「じゃあ、俺が、文字を教えますよ。文字を覚えて、良い職に就ければ、トンさんみたいな人に嫌なことをされることも無いですよ」
言ってしまったー、俺。
「え?本当ですか?文字を教えてくださるんですか?」
目を輝かせて、ズイッと近づいたニナ。ちょっと、目をそらしながら、俺は頷いた。こんな、目で見られたら、断れないじゃないか!

「今、筆と木札を持ってきます!」
意気揚々としていて、目がキラキラしているニナは直ぐに、店のカウンターに置いてあった、筆と木札を持ってきた。


「じゃあ、俺が文字表を書くんで、見といてください。法則があるので、簡単です」
すぐ側で、ニナは俺の手元を見つめる。
「良いですか?まず、全ての音の母音である、あいうえお。線と点で表して、こうやって、アからオまで一本の縦線と点で表します。点は、あ がなし。い が1つ。う が2つ。え が3つ。お が4つ。縦線の右側に書きます。つまり、一つずつ点は増やすんです。次は、かきくけこ、点を増やすルールは変えずに、線を2本にしていきます。さしすせそ は線を3本に、たちつてと は4本。なにぬねの は5本。はひふへほ は、線を縦から横に変えて、一本の線と点。まみむめも は、2本の横線と点、やゆよ は3本の横線、や は、点なし、ゆ は点2つ、よ は、点4つに変える。らりるれろ は、4本の横線と点。わをん は5本の横線。わ は、点なし。を は、特別で、線の上下を、二つの点で挟む。んは、5本の横線の上に一本の縦線。濁点は点を反対側に、半濁音は斜めの線を加えて」
そう言いながら、さらさらと、木札に文字表を書いた。ニナはこくこくと頷きながら話を聞いて、しばらく木札をじっと見た。
「初めて、知りました」
「どう?案外、簡単じゃないですか?」
「これなら、私でも」
「絶対に出来ます!まず、名前とかから、書いてみましょうか」
「はい」
ニナは、ゆっくりと慎重な手つきで、点と線からなる大衆文字で、ニナ と名前を書く。
「そうです!」
ちょっとした感動さえも覚える。カフウは胸の前で拍手した。
「大袈裟です」
「大袈裟なことありません。ニナさんは、綺麗な文字をお書きになりますね」
歪みのない、まっすぐとした線とサイズの揃った点。はにかむように笑ったニナ。
"ありがとうございます"
そう、書かれた木簡をニナは俺に差し出した。俺は、それを丁寧に受け取る。
「どういたしまして」
「ニナさんは凄いですね、もう、ほとんどを覚えてしまったのですか?」
「いえ、カフウさんの文字表が見やすいからです。これから、もっと、スラスラと書けるように練習します」
謙虚で真面目で向上心もあるのか。もし、俺が上司であれば、どんどん出世させるだろうな。いや、上司でなくとも、例え、この今の姿勢が演技であったとしても、俺の目には、「良い人」として写っている。
「ニナさん、」
「はい?」
カフウは少し声のボリュームを下げて話す。
「もしも、次に向こうの店にトンが来たときには、俺でも、俺以外でも、誰かを呼んでください。先輩に確認したところ、王宮で働く資格の推薦は王宮での勤務経験がある人物からしか出せません。だから、トンが言っていることは嘘なんです」
「え?!」
「だから、金銭だって、何だって相手が要求する時には必ず断るようにしてください」
戸惑った顔を浮かべたニナ。
「トンが行こうとする時には、なるべく俺も同伴できるようにしますので、少し安心してください」
しおりを挟む

処理中です...