一輪の花

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 文字を教える約束をしてから、カフウとニナの距離は近づいていく。
 仕事でニナの村に赴くことが多く、よく時間を決めては、一緒に勉強をしていた。
お決まりの、公園の屋根のある一角。小さな椅子と机がある。
隣に座り、色んな文の読み書きをする。
「今日は、こんな本を持ってきてみました」
「これは?」
「図鑑と言って、植物や動物、いろいろなものを詳しく、図を交えて書いている本なんですよ」
「あ!図鑑、昔、見たことがあります」
「きっと、文字が読めるようになるだけで、見方が変わりますよ」

カフウはパラパラとページをめくり、山桜のページで止めた。

「あ、ここに書いてあるのはいつ頃咲くのかということですか?」
「そうです。ほら、こっちには大きさや、近縁にあたる他の植物」
「絵を眺めるだけではないのですね」
「えぇ」
「あ!ここには、山桜の花びらを使った料理の作り方まで」

目をキラキラと輝かせているニナ。その横顔を見ていると、こちらまで、明るい気持ちになる。

「カフウさん」
「はい」
「私に文字を教えてくださり、ありがとうございます」
「私なんて、全然、教えるなど。ニナさんの努力の賜物です」
時間はかかるが、ニナは簡単な文を書き、読めるようになった。
ニナは自分から、パラパラと各ページに目を通し、時々、カフウのことを見ながら、ニコッと笑う。
目があって、思わず口角が上がっちゃう。
「もう、何、笑ってるんですか?」
「だって、ニナさんが笑うから」
「笑ってないですってば」
照れ隠しか、ニナは筆に墨をつけて、文を書き始める。
「あ、ニナさん、そこは、わ じゃなくて は ですよ」
「うん?あー、ほんとだ」
「その、使い分け、私も習いたての時はよく間違えていました。難しくないですか?」
「はい」
「名詞の時は、 わ を使ってそれ以外は、は を使います。例外もあるかもですけど。ほら、例えば、こことここを比べたら、名詞かそれ以外かってなってるでしょう?」
「確かに」
ニナは俺の言ったことを、メモする。
「ちょっと、おかしかってきます」
俺は一度席を立って、お菓子を買う。前に、ニナが好きだと言っていた、干し葡萄と干し柿。

「少し、休憩にしましょうか。干し柿と干し葡萄です。一緒に、食べましょう」
「わー!好きって言ったの、覚えていてくださったんですか?」
「私も、両方とも好きで、それで、覚えていたんです。喜んでくださったのなら何よりです」
「カフウさんって、もしも女性で私の勤め先に勤めていらっしゃったのなら、すごい人気でそうですね」
「なんでですか?」
「だって、知性も品格も申し分なくて、人を喜ばせる術をお持ちで優しいですし、お顔立ちも良いので」
バッと顔が赤くなる。
「そんなことを言われたのは初めてです」
「そうですか?」
「ニナさん、さては、私のことをからかっているのではありませんか?」
「からかっていませんよ」
「へ?」
「どうですか?少しは上達しましたか?」
「何がです?」
「お客様を喜ばせるお話の仕方ですよ。初めて、カフウさんと会った時の対応について、あとから、ルクエ先輩に注意を受けていて」
「私は、あの時の、素直で真っ直ぐな受け答えも、好きでしたけどね」
「だったら良かったです。もし、不快にさせていたらと」
「いえ、今、こうやって普通にお話をしているときのニナさんも、商売の時のニナさんも、どちらの話し方も好きですよ。そうじゃないと、こう、何度も会いませんよ」
ニナを見ると、ちょっと口角をあげてから、髪の毛を肩に払いあげた。
「カフウさんに会えて良かったです。カフウさんでなかったら、クビでもおかしくないですし、こんな風に、私など卑しき身分の者に学を与えてくださることもなかったでしょうから」
「卑しき身分など、私は、貴女を一度もそんな風に思ったことはございません。それに、私自身、ニナさんと勉強をするこの数時間を楽しみにしていますし、学を与えるなど、そんな立派そうなことをしているつもりは無いですよ」
謙虚で真面目な雰囲気と、丁寧な言葉選びをするだんせいだ。
「カフウさん、ありがとうございます」
急な感謝の言葉。ちょっと驚くが、すぐさま、俺からもニナさんに感謝を伝える。
「私の方こそ、ニナさんと一緒にいると、楽しいですし、ニナさんのことを尊敬もしているので、その、私こそ、いつもありがとうございます」
「おかしな人」
ニナはハハハハッと声を出して笑った。
「失礼だなー、先に言ったのはニナさんじゃないですか」
ニナの笑いにつられて笑ってしまうカフウ。
「わ!もう、仕事の時間だ!まったく、ニナさんといると時間の進み方、変わっちゃうんですよ!」
慌てて、荷物をガサッとまとめて、ニナに手を振り別れを告げる。


こんなことが、週に2回から4回ほど行われていた。知れば知るほど、彼女は魅力的で、お喋りを通じて、心が近づくのに気がついた。
    
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