INTERFERE

Aru

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#1 空気の震え、光の導き

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  一度として、俺・見上修みかみしゅうはこの世界に「ちゃんと」存在したと感じたことがなかった。
 教室の隅、カーテンの影に隠れるような席で、声を上げず、視線を交わさず、ただそこにいる。
 誰にも干渉されず、誰の記憶にも残らない風景の一部として。
 
 自分のことを「空気」だと思っていた。
 それでいいと思っていたし、それが正しいとも思っていた。
 
 そんな俺の特技・日課は「観察」だ。別に好きでやっているわけじゃない。そうしていないと、俺は空気にすらなれないというだけだ。
 人の目を避けて生きるには、まず世界を“読む”ことが必要になる。
 
 たとえば、前の席に座る女子は今朝泣いていたはずだ。
 髪で隠れたうなじ。
 その下、薄く赤くなった肌。
 わずかに震える肩先。
 そしてなにより、泣いたあとの肌は、わずかに透明度が上がる。
 目の周りだけじゃない。耳の後ろ、鎖骨、肩甲骨。
 血管が浮いて見える場所に、微妙な“変化”が現れる。
 
 日常に散らばる情報の“癖”を読み、対処することでようやく「空気」になる。
 
 全ては、弟の陰であり続けるため。


⸻ 朝の食卓

 
修兄しゅうにい。たぶん今日、英語テスト返ってくるよね。90点は堅いかな」
 
「……そうか」

「うん。修兄のまとめノート、めちゃくちゃ役に立ったよ」

「それならよかった」

 しょうは、周囲から「天才」と呼ばれることに慣れてしまうほど頭が良く、運動神経もいい。
 だが、それは俺のおかげという部分もある。
 俺が誰にも見えないところで努力をして、翔の補助をしているからだ。
 
 参考書に印をつけ、朝までに予想問題を手書きで作り、翔の机に置いておく。弟の成績が落ちないように、両親や周囲の期待に応えられるように、環境を整えてノイズを取り除くのが俺の仕事だった。
 
 弟の人生に生きづらさが無いように、俺と比べられることが無いように、弟の明るさの背後で、陰として存在することを選んだ。
 翔だけがほんの少し分かってくれていれば、それだけで十分だった。

「あ、そういえばさ。昨日、妙にリアルな夢を見たんだよ。めちゃくちゃ高い白い塔に入って行く夢でさ……」

 俺が、ろくに返事をしなかったから気を遣って話題を変えたのだろう。本当によくできた弟だ。


⸻ 2時間目の英語

 
 プリントを見比べる。俺が作った予想問題と、実際の出題が一部一致していた。
(的中5分の2、文章内容の差による誤差5分の1か。傾向の精査と調整が必要だな)

 その時、ふと違和感に突き刺された。
 窓の外。空が異様に青く、雲が止まり、木々が揺れていないのに葉の音だけが嫌に耳に響く。

 (……おかしい)

 そう思った瞬間、チョークの線が液体のように溶けているように見えた。同時に、背筋を何かが這い上がる感覚に襲われる。
 
 (なんだ…?俺だけなのか?)
 
 落ち着いて思考を巡らせるよりも先にチャイムが鳴り、異変は霧が晴れるように消えていった。

 放課後になっても、「違和感」があった。
 黒板のチョーク跡、机の傷、天井の蛍光灯の色温度。
 すべてが過剰に情報として目に飛び込んでくる。
 それは、思考というより、本能に近いものだった。
 
 その違和感を抱えたまま俺は帰宅した。


⸻ 深夜1時すぎ。

 
 その夜、眠れなかった。 
 布団に潜っても、まぶたの裏に浮かぶのは昼間の“異変”と“違和感”。
 
 スマホを手に取り、SNSを開く。
 タイムラインには、最近多発している異常現象の話題が並んでいた。
 【静岡で季節外れの大寒波】
 【新宿で“声だけ”の生物】
 【九州全域で一時的な記憶喪失】

(昼間の異変も、これの一種なのか? いや、他の異常現象は全部、夜中に起きている……別の原因があるんだろうか)
 それらの投稿のタイムスタンプは、すべて0時から3時の間に集中していた。

 スクロールの途中、スマホ画面が急に真っ白になり、中央に黒い文字が浮かんだ。

「ある場所へ辿り着け」

(……え?)

 すぐに画面は暗転し、ホーム画面へと戻った。
 それと同時に、部屋のドアノブがうっすらと光り始める。

(……これを辿れってことか)

 音を立てないように部屋を出て、翔の部屋の前を通る。
 中から安らかな寝息が聞こえることを確認して、階段を降り、玄関を開けた。

 外は無風。

 静寂に包まれた住宅街で、家の角や電柱、ポストまでもがぼんやりと光を放っていた。
 街灯の消えた通学路に靴音だけが響く。
 何かに導かれ、巻き込まれていく感覚が確かにあった。
 だが、不思議なことに不安や恐怖は全くない。

(もしかしたら俺、これを待ってたのかもな)

 誰にも見えず、見せてこなかった自分。何者にもなれなかった自分。
 その「空白」を道端の光がひとつずつ埋めていく、そんな気がした。

  



 たどり着いたのは、学校だった。
 正門はまるで招き入れるように、半開きになっている。
 校舎は闇に包まれていたが、ただ一室、いつもの教室の窓から淡い光がこぼれていた。
 見慣れた校内も闇に包まれていると、まるで異世界のように思える。
 窓から差し込む月明かりが、かろうじて現実を認識させてくれる。
 
 そして、淡い光に導かれ、辿り着いたのは俺の席。
 そこだけが明確に光を放ち、「ある場所」がここであることを示していた。
 期待と不安を抱えながら椅子にそっと腰を下ろす。

 そして——

 感覚が溶けた。
 
 視界が反転し、色が混ざり、音が消える。




 
 次に落ち着きを取り戻した時、眼前の景色は全く違うものになっていた。
 教室は歪み、黒板が床にめりこみ、天井が液体のように波打つ。おまけに俺は自分の部屋のハンガーに掛けておいたはずの制服を着ている。

 そして——“それ”が現れた。

 姿はない。だが、怒りと焦燥の感情が風のように皮膚を裂いた。

 「ギギァ!?」

 その声は、冷たく鋭い恐怖を植え付けるように脳を直接突き刺す。直感で敵であることを理解した。
 
 廊下に飛び出しても、敵は追ってくる。
 走りながら、俺は観察していた。
 目には見えない。だが、確かに“そこ”にいる。
 
 背後の手すりが揺れ、天井の蛍光灯がパリンと割れた。破片が床に当たる前に消えていく。

 「ガァァァァ!」

 その声と同時に、何かが俺の脇をすり抜けた。
 空気が裂ける音すらなく、ただ冷たい風だけが残る。
 
 いや、風じゃない。
 怒り、哀しみ、焦り。名付けられない感情の残骸が、皮膚を舐めていくようだった。

(こいつは……感情の塊?)

 走りながら、俺は無意識に“あること”を観ていた。
 足元に転がった紙くずが風もないのに、敵の通過に合わせて揺れた。

(風圧じゃない……静電気でもない……)

 そして、通路の奥に落ちていたモップが、わずかに軋んだ。

(接触してないのに、反応してる……?)

 何かがズレている……五感のどれかじゃない、第六感に近い違和感が、脳の後頭部をじわじわと刺激する。

 そして、俺は1つの仮説を立てた。だが、それを立証するには静止する必要があった。
 
 (もしも、仮説が間違っていたら……)

 不安がよぎる。
 しかし、体力的に考えてこのまま逃げ続けることも不可能だ……。
 
 そして俺は覚悟を決め、息を殺して静止した。
 
 その瞬間、敵は俺を探し始めた。

(……やっぱり)

 次に、ポケットの中のシャープペンを持ち、親指にゆっくりと力を入れて1回だけノックしてみる。

 ⸻ カチッ
 
 その瞬間、敵が一気に近づいてくる。

(思った通りだ。音を感知して俺を捕捉している)

 直線で距離を稼いだところで、音を立てないよう、慎重に歩く。
 すると、それの動きが鈍った。
 しかし、「鈍った」だけで「止まる」ことはなく、俺が歩みを進める度に確かに距離を詰めてきていた。

 (音だけじゃないのか……?)
 
 俺は歩みを止め、敵の動きが止まったことを確認しつつ、敵の動きが変化する瞬間をもう一度思い返す。

 — 走っていた時。
 — 止まった時。
 — 歩いた時。

 そのたびに、敵の挙動が変わっていた。

 (「音」以外で、動きに関係する要素……)

 シャツの裾を軽く揺らしてみる。
 すると、“それ”が一歩、前に出た。

 (『熱』か)

 俺の中で、点と点が繋がった。
 動けば音と熱が出る。
 息を吐けば空気が揺らぐ。
 視覚の代わりに、その痕跡を嗅ぎ取って捉えている。

 ―― なら、 その空間を壊せばいい。

 俺は逃げながら火災報知器のボタンを探す。
 この歪んだ空間では壁・床・天井どこにあっても不思議じゃないが、教室の位置・物の場所にそれほどズレが無いと分かった。曖昧な記憶を基に創られた「夢」のような構造をしている。
 そして、化学室のドアガラスに火災報知器のボタンがはめ込まれているのを発見した。
 
「化学室か…丁度いいな」
 
 俺は火災報知器のボタンを押し、そのまま化学室へ入る。
 
 ⸻ ジリリリリ!
 
 敵は鳴り響くベルの音で混乱し、俺を見失っているようだ。
 俺は実験用バーナーを点火し、天井に向けて、スプリンクラーの熱感知器を刺激する。
 敵がガスバーナーの熱を頼りに化学室内に入ってくる。

⸻ 数秒後

「カチン」という音とともに水が噴き出した。
 俺は消火器のピンを抜き、白い粉末を敵に向けて噴射する。

 ⸻ ブシュウウウッ!!

 細かい粉塵と水蒸気が入り混じり、室内の視界がゼロに近づく。

 (これで、捉えられないはずだ)

 音も熱も、煙と水で乱反射して拡散する。

 すると、消火器の粉によって、霧のように曖昧な敵の身体が浮かび上がった。
 迷ったように揺れているその隙を、俺は逃さなかった。
 床にあった椅子の脚を掴み、螺旋のようなコアらしき部分めがけて、渾身の力で投げつける。
 視界は曇っていたが、手応えはあった。

 ⸻ ガシャン!

 何かが崩れる音がした。
 霧の塊がぐしゃりと潰れ、気配も空気の歪みも一瞬で消えた。

 (終わった……)

 粉塵と水で濡れた床に膝をついたまま、俺はゆっくりと呼吸を整えた。
 視界が回復していく中、静寂が戻る。

 


 
 翔もまた、夢の中で目覚めていた。

(学校…?)

 辺りの景色が、かすかに揺れている。廊下の先がゆらゆらと波のように歪み、空気の粒が見える気さえする。
 自分が夢の中にいるという実感だけは、確かにあったが、妙にリアルさを感じていた。

 そして、背後に“それ”は現れた。

 形が曖昧な黒い霧のような存在。目も口もなく、存在感だけが強く脳に圧をかけてくる。

 「トモダチ……イタ」

 翔は反射的に走り出した。
 足音に敵が反応する。空気が粘り、背後から怒りのようなものが肌を刺してくる。

 (ヤバい、ヤバいって……!)

 その時、脳の奥で別の声が響いた。

 《敵は、見ていない》

 一瞬、時間が止まったような感覚になった。
 声は重ねて囁く。

 《敵は視覚を持っていない。だが、確かにお前を捕捉している》

 (……今の、誰の声?)

 戸惑いながらも、翔は思考を続けた。

 (視覚がない……でも、追ってきている。……視覚以外の情報……)

 廊下の突き当たり、左右に道が分かれている。右に曲がったところで、思い切って静止してみる。

 すると…… 敵の動きも一瞬、止まった。

 (……止まった?)

 試しに、ポケットに入れていた小銭を1枚そっと取り出し、指で弾いて、左の道へ飛ばしてみる。

 ⸻ キーン!

 高く響いたその音とともに、敵が左の道へ飛び込んだ。

 (『音』か)

 息を吐き、肩を揺らすと、一歩こちらへ近づいてくる。

 (……音だけじゃ無い? でも、1つ分かれば……)

 翔はもう1枚小銭を取り出し、通ってきた道の方へ全力で弾いた。
 敵が離れて行くのを確認しつつ、後方の音楽室へ飛び込んで慎重にドアを閉める。

 (これでルートは1つだけ……)

 音楽室では黒く大きなピアノが、揺らぐ空間の中でただ一つ堂々と存在していた。
 ドアを閉めたことで敵が迫ってくるのを感じる。

 (まだ距離がある……大丈夫)

 ピアノを開け、ジャケットを脱いでピアノの脚とダンパーを結び、音が鳴り続けるように細工した。

 「頼むぞ……」

 そう囁きながら鍵盤を叩いた。

 澄んだ音が、空気を震わせて響く。

 敵がピアノの音へと吸い寄せられるように、開いているドアからやってきた。
 まるで音に入り込むかのように黒い体を鍵盤に擦り寄せている。

 (今のうちに……)

 翔は慎重に音楽室を出て扉を閉める。

 「あ゙ぁ゙あ゙あ゙ぁ゙ア゙ァァ」

 中から気が狂いそうなほどの怒りと恨みが脳を突き刺してくる。しかし,出てくる様子はない。

 (よし……!)

 手が震えていた。だが、やり遂げたという確信があった。

 その時、またあの声が囁いた。

 《光を辿れ》

 視界の端がねじれる。床がぐにゃりと曲がり、光の道が浮かび上がる。

(さっきも僕にヒントをくれてた……こっちは敵じゃ無さそうかな?)
 半信半疑ながらも、指示通りに光の道を辿る。
 
 そして……兄がいた。
 
 音と熱を使って科学室で敵を正確に撃破する瞬間を目撃する。
 兄の動きは迷いがなかった。
 自分が対峙した敵とは違い、敵の姿は見えていなかったにも関わらず、まるで全てを見通しているかのような精度で、敵の知覚と構造を理解していた。
 その姿は、ただの秀才じゃない。明確な“能力”を感じさせた。
 
(修兄、すごい……)

 驚きと尊敬が、胸を満たしていく。
 そして、兄がこちらに気づいた。

 「修兄、マジで一人でやったの?」

 兄に近づきながら、問いかけた。

 「翔?どうして……」
 
 兄は少しフラつきながら立ち上がろうとする。
 
「立たなくていいよ!あんなに凄いことしたら疲れたでしょ?」

 そう言いながら慌てて兄の肩に手を置いた。

 「別に、すごくないだろ」

 兄がいつものように視線を逸らして呟いた。
 修兄はいつも自分が認められることを避ける。それを知っているからこそ、僕はここで引き下がらない。

 「すごいよ!僕なんて音楽室に閉じ込めるのが精一杯で、『倒す』なんて考える余裕も無かった。修兄が倒した奴と違って、もっと黒くて見やすかったのに」 

 「……お前も襲われたのか?家で寝てたはずだろ?」

 兄が珍しく驚いた表情でこちらを見て問いかけてくれた。

 「最初は『夢の中で学校に来てる」って自覚があったんだけど……」

 その時、会話を割くように光が降りてきた。

 白く、透明な光。

 世界が、止まった。
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