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13.専属メイド①
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一旦グラシアンの部屋に戻ると、彼がわたしの顔を覗き込んできた。
「キャロルさんの配属は、決まっていますか?」
「配属ですか?」
「そうです。どこで、何の仕事をするかです」
「コリン様からは何も言われていませんが、多分リネン室ではないでしょうか?」
新入りは表に出なくて、比較的ツラい仕事をさせられるものだと、本物のキャロルが教えてくれた。一か月の特訓の甲斐あって、雇い始めのメイドの仕事は一通りマスターしたから、洗濯でも掃除でもどんとこいの心境なのだ。
だが、グラシアンが腕を組んで、眉間にしわを寄せる。普段見たことがないくらい険しくて、わたしは思わずガン見してしまった。
「あなたが洗濯を? 本気ですか?」
「はい。もちろん本気です」
「あなたが、コリンのシャツや靴下を洗うと言うのですか?」
「グラシアン様のシャツや靴下も洗わせていただきます」
当たり前だが、人力で時間をかけて桶のなかで洗濯する。でも、周りに人がいなかったらちょっとぐらいは精霊の力を借りるつもりだった。
グラシアンは腕を組んで、再び考え込んだ。
「洗濯は他の者に任せてください」
「はい?」
「わたしは、あなたの手にあかぎれができるところを見たくないのです」
「はぁ」
そんなことを言っていたら、メイドの仕事ができるはずがないのに。呆れるわたしに、グラシアンはなおも呆れることを言った。
「一週間の勤務なら、他の者の仕事を引き継ぐわけにもいかないでしょう。わたしの専属になってください、キャロル」
「え? 今日初めて入ったメイドを専属に? ご冗談ですよね?」
面食らったわたしの手をグラシアンが握る。すらりとした長い指、形よく切り揃えられた爪。つるっとした肌質なのに、手の甲に浮き出る血管にどきりとする。
今はメイドなので振り払うこともできず、わたしはすっかり固まってしまった。
「冗談ではありません。キャロルさん、お願いします。明日からわたしは一週間の休暇に入ります。その間、従僕のガスが世話を焼いてくれることになっていますが、高齢なので日々仕事がきつくなってきています。彼を手伝うつもりで、やってもらえませんか?」
カニア侯爵家に潜入したのは、グラシアンの裏の顔を探るため。わたしが彼の専属メイドになるのは願ったり叶ったりだ。しかし、これはうまく行きすぎではないだろうか?
いや、それよりも。貴族の男性は普通、メイドを傍にはおかない。男性の主人には男性の従僕が付き、メイドは夫人や令嬢につくのが習わしだった。
「グラシアン様の評判に傷がつきませんか? もし、誤解する人がいたら……」
「あなたが、わたしの心配をしてくださるのですか?」
「グラシアン様は、王太女殿下と婚約していらっしゃるんですよね?」
そのことでしたらと、彼はサラサラの前髪の下で笑みを深めた。
「構いません。殿下は、小さなことを気にされる方ではありませんよ」
小さなこと? どうだろう? 結婚直前の婚約者が歳若いメイドを傍に置いたら、王太女は不快にならないだろうか。
「そうでしょうか? わたしにはそうは思えません」
メイドに言い返されたのが意外だったのか、グラシアンはうん? っと片方の眉毛を上げた。それから、何故か面白そうに親指の腹を顎につける。
「では、あなたがもし王太女殿下だったら、この状況をどう思いますか?」
――この男、メイドのわたしにそれを聞く!?
とはいえ、ここは何と答えようか悩む。わたしたちはあくまで政略結婚だが、わたしにも守らねばならないプライドがあった。
「王太女殿下は不愉快になられるかもしれません。この屋敷で起きたことを殿下が知られるまで、多くの人の耳と口を経由します。殿下はグラシアン様に恥をかかされることになり、お二人の信頼関係が完全に崩れます」
「なるほど。それは一大事ですね」
グラシアンは真面目な顔で腕を組んだが、次に言ったのはろくでもないことだった。
「例えばの話ですが、わたしが今ここで、あなたの頬にキスしたとします。わたしたち二人以外にその事実を知る者はなく、王太女殿下に知られる心配はありません。それなら問題ありませんよね?」
――この男、どういう屁理屈をこねてるのよ!? あって間もないメイドにキスですって? ありえないわ! 涼しい顔して、とんでもないスケベね!
抗議の声が喉元まで出てきたが、ぐっとこらえる。わたしはメイド、わたしはメイド。呪文のように心の中で唱えていたら、グラシアンはぷっと吹き出した。
「冗談ですよ、そんなに警戒しないでください」
なんて質の悪い冗談なのかしら。何が『完璧な』グラシアン卿よ、充分いい性格しているじゃないの。
「すみません。しかし、あなたにわたしの専属になっていただきたいのは本心です」
そうよ。グラシアンの本性を暴きに来たのだから、これは願ってもないチャンスなのよ。
わたしは組んでいた腕を膝の上に添え、頭を下げる。
「かしこまりました。微力ながら、グラシアン様のお世話をさせていただきます」
「ありがとうございます。これで、ガスを休ませることができます」
いつもの気持ち悪い笑顔かと思ったが、そうではなかった。なによ、この男。普通に笑えるじゃないの。
「ありがとうございます。──早速、お茶をもらえますか?」
「はい。ご用意してまいります」
「キャロルさんの配属は、決まっていますか?」
「配属ですか?」
「そうです。どこで、何の仕事をするかです」
「コリン様からは何も言われていませんが、多分リネン室ではないでしょうか?」
新入りは表に出なくて、比較的ツラい仕事をさせられるものだと、本物のキャロルが教えてくれた。一か月の特訓の甲斐あって、雇い始めのメイドの仕事は一通りマスターしたから、洗濯でも掃除でもどんとこいの心境なのだ。
だが、グラシアンが腕を組んで、眉間にしわを寄せる。普段見たことがないくらい険しくて、わたしは思わずガン見してしまった。
「あなたが洗濯を? 本気ですか?」
「はい。もちろん本気です」
「あなたが、コリンのシャツや靴下を洗うと言うのですか?」
「グラシアン様のシャツや靴下も洗わせていただきます」
当たり前だが、人力で時間をかけて桶のなかで洗濯する。でも、周りに人がいなかったらちょっとぐらいは精霊の力を借りるつもりだった。
グラシアンは腕を組んで、再び考え込んだ。
「洗濯は他の者に任せてください」
「はい?」
「わたしは、あなたの手にあかぎれができるところを見たくないのです」
「はぁ」
そんなことを言っていたら、メイドの仕事ができるはずがないのに。呆れるわたしに、グラシアンはなおも呆れることを言った。
「一週間の勤務なら、他の者の仕事を引き継ぐわけにもいかないでしょう。わたしの専属になってください、キャロル」
「え? 今日初めて入ったメイドを専属に? ご冗談ですよね?」
面食らったわたしの手をグラシアンが握る。すらりとした長い指、形よく切り揃えられた爪。つるっとした肌質なのに、手の甲に浮き出る血管にどきりとする。
今はメイドなので振り払うこともできず、わたしはすっかり固まってしまった。
「冗談ではありません。キャロルさん、お願いします。明日からわたしは一週間の休暇に入ります。その間、従僕のガスが世話を焼いてくれることになっていますが、高齢なので日々仕事がきつくなってきています。彼を手伝うつもりで、やってもらえませんか?」
カニア侯爵家に潜入したのは、グラシアンの裏の顔を探るため。わたしが彼の専属メイドになるのは願ったり叶ったりだ。しかし、これはうまく行きすぎではないだろうか?
いや、それよりも。貴族の男性は普通、メイドを傍にはおかない。男性の主人には男性の従僕が付き、メイドは夫人や令嬢につくのが習わしだった。
「グラシアン様の評判に傷がつきませんか? もし、誤解する人がいたら……」
「あなたが、わたしの心配をしてくださるのですか?」
「グラシアン様は、王太女殿下と婚約していらっしゃるんですよね?」
そのことでしたらと、彼はサラサラの前髪の下で笑みを深めた。
「構いません。殿下は、小さなことを気にされる方ではありませんよ」
小さなこと? どうだろう? 結婚直前の婚約者が歳若いメイドを傍に置いたら、王太女は不快にならないだろうか。
「そうでしょうか? わたしにはそうは思えません」
メイドに言い返されたのが意外だったのか、グラシアンはうん? っと片方の眉毛を上げた。それから、何故か面白そうに親指の腹を顎につける。
「では、あなたがもし王太女殿下だったら、この状況をどう思いますか?」
――この男、メイドのわたしにそれを聞く!?
とはいえ、ここは何と答えようか悩む。わたしたちはあくまで政略結婚だが、わたしにも守らねばならないプライドがあった。
「王太女殿下は不愉快になられるかもしれません。この屋敷で起きたことを殿下が知られるまで、多くの人の耳と口を経由します。殿下はグラシアン様に恥をかかされることになり、お二人の信頼関係が完全に崩れます」
「なるほど。それは一大事ですね」
グラシアンは真面目な顔で腕を組んだが、次に言ったのはろくでもないことだった。
「例えばの話ですが、わたしが今ここで、あなたの頬にキスしたとします。わたしたち二人以外にその事実を知る者はなく、王太女殿下に知られる心配はありません。それなら問題ありませんよね?」
――この男、どういう屁理屈をこねてるのよ!? あって間もないメイドにキスですって? ありえないわ! 涼しい顔して、とんでもないスケベね!
抗議の声が喉元まで出てきたが、ぐっとこらえる。わたしはメイド、わたしはメイド。呪文のように心の中で唱えていたら、グラシアンはぷっと吹き出した。
「冗談ですよ、そんなに警戒しないでください」
なんて質の悪い冗談なのかしら。何が『完璧な』グラシアン卿よ、充分いい性格しているじゃないの。
「すみません。しかし、あなたにわたしの専属になっていただきたいのは本心です」
そうよ。グラシアンの本性を暴きに来たのだから、これは願ってもないチャンスなのよ。
わたしは組んでいた腕を膝の上に添え、頭を下げる。
「かしこまりました。微力ながら、グラシアン様のお世話をさせていただきます」
「ありがとうございます。これで、ガスを休ませることができます」
いつもの気持ち悪い笑顔かと思ったが、そうではなかった。なによ、この男。普通に笑えるじゃないの。
「ありがとうございます。──早速、お茶をもらえますか?」
「はい。ご用意してまいります」
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