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55.王太女に戻るとき②
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アンバーはどうしてか、王宮までの抜け道を知っていた。飛べないわたしを配慮して、生垣の隙間や壁と壁のわずかな隙間を通り抜ける。わたしは歩きながら、幼いころ、生垣の下に潜り込んだ記憶を思い出していた。
王宮が見えてきたところで、グレードサラマンダーがピィッと鳴く。わたしはトランクを受け取って、その小さな頭を撫でた。
「ありがとう、アンバー」
大きな瞳をきゅるんと輝かせ、空へと羽ばたいていくアンバーを見送る。使用人用の入り口では、侍女のキャロルが落ち着きなく待っていて、わたしを見つけるや否や駆け寄ってきた。
「ご無事でよかったです。アリス様」
「心配かけたわね、キャロル。さあ、中に入りましょう」
着替えを済ませ『王太女アリス』に戻ると、キャロルがワゴンを押して入室してきた。ワゴンの上には温かくて柔らかいパンとクリームソースのかかったオムレツ。ソースの上にはミントの葉。ほかにも、搾りたてのオレンジジュースに、トマトや生ハムが乗った色鮮やかなサラダまでついていた。以前は何も考えずに食べていたが、硬いパンを一週間食べ続けた身には贅沢な朝食だった。わたしが豪華な食事にありつけるのは、王太女の務めと責任の対価であると、あらためて認識する。
「ありがとう、キャロル。世話をかけたわ」
「無事のお戻りで安心致しました。よい収穫はございましたか?」
キャロルの言葉に、わたしは曖昧に笑う。婚約者の本性を暴きに行ったら、自分の気持ちを否応なく確認させられた。まさにミイラ取りがミイラになったのだ。
「この製本はいかがいたしますか? アリス様」
わたしが最初の紅茶一杯を飲んだところで、キャロルが尋ねてくる。茶色いブックカバーのついた日記帳。グラシアンがメイドのトランクに忍び入れたのだろう。メイドのキャロルとはもう会えないのに、どうして彼はこんなことをしたのか。直接返しに来いということか?
「ありがとう。もらうわ」
開いてみると、アビゲイル嬢の三冊目の日記だった。確か、グラシアンはこの三冊目の日記を最初に読んだと話していたから、グレードサラマンダーの記述が一番多いのだろう。悪筆のアビゲイル嬢だが、三冊目が一番ひどく乱れていた。素のグラシアンが頭を掻きむしりながら解読に取り組んだ姿が浮かんできて、わたしは思わず笑んでしまう。そんなわたしをキャロルがほほえましく見ていることに気が付き、恥ずかしさに咳ばらいした。
「今日のわたしの予定は、どうなっていたかしら?」
「午前は何も入っておりません。陛下から殿下と昼食をともに取りたいとのお言葉を預かっております」
「もちろんよ、返事を頼むわね。陛下にお会いできるなんて、嬉しいわ」
こうして王太女に戻ってくると、メイドでいたときよりも自分が生き生きしているように感じる。
――やっぱり、ここがわたしの居場所なのよ。
グラシアンに一時の寵愛を受けた、あの冴えないキャロルは今朝、霧のように消えてしまった。誰にも思い出されることもないし、誰にも待たれることはない。わたしは、わたしのやるべきことをやるのだ。
まずは、この日記帳を解読しよう。朝食が下げられたあと、わたしは早々にライティングデスクに移動した。アビゲイル嬢はPの病気を治すことのみを考えており、グレードサラマンダーを探し求めていた。
『無謀だとわかっていたが、わたしは北の保護区に単身行ってみることにした。わたしはそこでグレードサラマンダーの成体をみつけたのだ。なんて運がいいのだろう。体長は一メートルほどで、思ったより大きくない。全身が赤く、まさに伝説上のドラゴンをほうふつとさせた。後をつけていくと、卵が五つ入った巣を発見した。卵は親が守っている。わたしは、数日そこにとどまり、観察を重ねることにした。だが、何故だかわからないが、親はその日を最後に、姿を見せなくなってしまったのだ。卵を放置したのか。わたしは意を決して、グレードサラマンダーの卵を持ち帰ることにした。早速、自分の研究室に運び込み、なかに冷気を流し込み凍らせた。これで卵が孵ることはないし、火を吹かれる心配はない。Pの病気を治すことができる』
わたしはその文章を読んで、心が凍り付きそうだった。従兄の命を救うためとはいえ、グレードサラマンダーの卵を躊躇なく凍らせるなんて。愛とはそこまで、人を追い詰めるものなのだろうか。
王宮が見えてきたところで、グレードサラマンダーがピィッと鳴く。わたしはトランクを受け取って、その小さな頭を撫でた。
「ありがとう、アンバー」
大きな瞳をきゅるんと輝かせ、空へと羽ばたいていくアンバーを見送る。使用人用の入り口では、侍女のキャロルが落ち着きなく待っていて、わたしを見つけるや否や駆け寄ってきた。
「ご無事でよかったです。アリス様」
「心配かけたわね、キャロル。さあ、中に入りましょう」
着替えを済ませ『王太女アリス』に戻ると、キャロルがワゴンを押して入室してきた。ワゴンの上には温かくて柔らかいパンとクリームソースのかかったオムレツ。ソースの上にはミントの葉。ほかにも、搾りたてのオレンジジュースに、トマトや生ハムが乗った色鮮やかなサラダまでついていた。以前は何も考えずに食べていたが、硬いパンを一週間食べ続けた身には贅沢な朝食だった。わたしが豪華な食事にありつけるのは、王太女の務めと責任の対価であると、あらためて認識する。
「ありがとう、キャロル。世話をかけたわ」
「無事のお戻りで安心致しました。よい収穫はございましたか?」
キャロルの言葉に、わたしは曖昧に笑う。婚約者の本性を暴きに行ったら、自分の気持ちを否応なく確認させられた。まさにミイラ取りがミイラになったのだ。
「この製本はいかがいたしますか? アリス様」
わたしが最初の紅茶一杯を飲んだところで、キャロルが尋ねてくる。茶色いブックカバーのついた日記帳。グラシアンがメイドのトランクに忍び入れたのだろう。メイドのキャロルとはもう会えないのに、どうして彼はこんなことをしたのか。直接返しに来いということか?
「ありがとう。もらうわ」
開いてみると、アビゲイル嬢の三冊目の日記だった。確か、グラシアンはこの三冊目の日記を最初に読んだと話していたから、グレードサラマンダーの記述が一番多いのだろう。悪筆のアビゲイル嬢だが、三冊目が一番ひどく乱れていた。素のグラシアンが頭を掻きむしりながら解読に取り組んだ姿が浮かんできて、わたしは思わず笑んでしまう。そんなわたしをキャロルがほほえましく見ていることに気が付き、恥ずかしさに咳ばらいした。
「今日のわたしの予定は、どうなっていたかしら?」
「午前は何も入っておりません。陛下から殿下と昼食をともに取りたいとのお言葉を預かっております」
「もちろんよ、返事を頼むわね。陛下にお会いできるなんて、嬉しいわ」
こうして王太女に戻ってくると、メイドでいたときよりも自分が生き生きしているように感じる。
――やっぱり、ここがわたしの居場所なのよ。
グラシアンに一時の寵愛を受けた、あの冴えないキャロルは今朝、霧のように消えてしまった。誰にも思い出されることもないし、誰にも待たれることはない。わたしは、わたしのやるべきことをやるのだ。
まずは、この日記帳を解読しよう。朝食が下げられたあと、わたしは早々にライティングデスクに移動した。アビゲイル嬢はPの病気を治すことのみを考えており、グレードサラマンダーを探し求めていた。
『無謀だとわかっていたが、わたしは北の保護区に単身行ってみることにした。わたしはそこでグレードサラマンダーの成体をみつけたのだ。なんて運がいいのだろう。体長は一メートルほどで、思ったより大きくない。全身が赤く、まさに伝説上のドラゴンをほうふつとさせた。後をつけていくと、卵が五つ入った巣を発見した。卵は親が守っている。わたしは、数日そこにとどまり、観察を重ねることにした。だが、何故だかわからないが、親はその日を最後に、姿を見せなくなってしまったのだ。卵を放置したのか。わたしは意を決して、グレードサラマンダーの卵を持ち帰ることにした。早速、自分の研究室に運び込み、なかに冷気を流し込み凍らせた。これで卵が孵ることはないし、火を吹かれる心配はない。Pの病気を治すことができる』
わたしはその文章を読んで、心が凍り付きそうだった。従兄の命を救うためとはいえ、グレードサラマンダーの卵を躊躇なく凍らせるなんて。愛とはそこまで、人を追い詰めるものなのだろうか。
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