村で慰み者にされていた私を出世した幼馴染(年下)が強奪に来る

柿崎まつる

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2.イーヴォ

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――イーヴォ……?

 内職の刺繍布を元締めに納めた帰りだった。パン屋に向かおうとしたら、村の広場に人だかりができている。若い女性たちやその母親たちまでが浮足立っていた。彼女たちから頭一つ分高いところに、見慣れない若い男性の顔がのぞいている。ディートリンデは危うく声を漏らすところだった。

 紺色の軍服が光る、眩しいほどの雄姿だった。秋の柔らかい日差しに金の短髪が輝きを増し、街の教会でいつか見た天使の漆喰彫刻のよう。瞳は切れ長の碧色で、鼻筋はすっと通っており、頬骨は高い。形の良い唇は緩やかな曲線を描き、彼の余裕と自信の強さを表していた。八年前の可愛らしい少年の面影を残しながら、すっかり洗練された大人の男性になっている。他所の人は、彼がこの村の出身だとは思わないだろう。ディートリンデの想像以上のハンサムに仕上がっている。
 彼は自分を囲む女性たちに、にこやかな笑顔を向けていた。

 ――挨拶できるはずがないわ。イーヴォだって、人の道から外れたわたしに話しかけられたくないはず。

 慌てて身をひるがえし、ケープを眼深に被った。そこを通らないとパン屋に辿り着かないが、また明日行けばいい。それから数日、ひたすらイーヴォを避けた。彼の実家に近寄らず、人の集まりやすい村の広場にはいかない。遠目に背の高い金髪の青年を見つけては、慌てて身を隠す毎日だ。

 ――あの子、いつまで村に留まるのかしら? 家族に顔を見せに来たんじゃないの? それとも、他に用事があるのかしら?

 そんなことをぐるぐる考えながら家路につくと、玄関の前から聞きなれない男性の声がする。

「ディーお姉ちゃん」

 懐かしい呼びかけに、反射的に顔を上げた。しまったと思ったときには、目の前に秀麗な顔がある。ディートリンデは、八年前より際立つ美貌に息を呑んだ。

「お、おかえり。イーヴォ」
「ただいま」

 近くに寄られると、彼の成長がよくわかる。旅経つときは、彼女のほうが背も高かった。今は彼女の顔の位置にイーヴォの胸板がある。トーマスほど逞しくないが、ディートリンデを圧倒するには十分だった。
 
「すっかり大人になったわね。……久しぶり。お、お茶でも飲んでいく?」

 彼の目を直視できない。ディートリンデは何となく襟元を正す。当たり障りなく対応して、イーヴォが街に帰るまで大人しくしていよう。

「うん、いただくよ。おじさんのこと、聞いたよ。ディーお姉ちゃん、大変だったんだね」
「しかたないわ。こんな田舎で盗賊に襲われるなんて、誰も思ってもみないもの。それに二年も前の話よ」

 扉を閉めるなり、背後からぎゅっと抱きしめられる。熱い体温、硬く引き締まった体躯。上品な甘みと深い森にいるような、二律背反した香りに包まれる。

 ――イーヴォがつけているの、まさか香水……?

 ディートリンデにとっては、もはや小さな幼馴染に似ているだけのまったく知らない大人の男だった。
 彼女は慌てて腕を突っぱねる。
 
「あのっ、……は、離して……っ」
「ここ数日、僕のこと避けていたよね?」

 囁かれる低い声音は熱を帯びていて、彼女の耳から体の奥へと浸透していくよう。トーマスに触られると気持ち悪いのに、イーヴォに抱きしめられているだけでドキドキする。危険な予感しかしなかった。
 
「い……忙しかっただけよ、……放して、イーヴォ」
「家族でもこうして再会を祝うものなのに、ディーお姉ちゃんは冷たいね。八年間想っていたのは、僕だけ?」
 
 熱い胸板に軽く頭を押し付けられ、思わせぶりなセリフを囁かれる。がっちり腕の中に収められ、逃れることが出来なかった。
 
「もう聞いているはずだけど……わたし。トーマスの、その……か、囲われ者になったの。だから、その……こういうのは良くないわ」

 舌が喉に張り付いたかのように、言葉が出てこない。イーヴォと自分の間に一刻も早く線を引かなくてはいけない。そうしないと、いつまでも彼を忘れられなくなってしまう。

「それが僕に会わない理由?」
「わたしと話さないほうがいいわ。あなたまで悪く言われてしまうから」
「そんなことはどうでもいいよ。僕もうすぐ戻るし」

 イーヴォが早く帰ることを願っていたのに、その口から言われるとショックだった。彼にとってもはやこの村も自分も帰るべき場所ではないのだ。
 顔を隠そうとしたら顎をとられ、イーヴォの顔が下がってくる。

 「ん……っ」

 八年ぶりに触れた他人の唇の感触はサラサラしていたが、しばらくすり合わせているとしっとりと熱を帯びてきた。子どもの頃とは違い、唇を合わせるだけではない。イーヴォの舌が彼女の唇を突いたと思えば、無遠慮に入ってくる。ディートリンデの胸は大きな音で脈打った。本能が、自身の心臓を賭けて警告を発しているようだ。

「んっ、イーヴォ……っ、ダメよ……離して……っ」

 顔を避けて、突っぱねた両手首を容易く束ねられる。
 
「どうして? ようやくディーお姉ちゃんの顔を見られたのに、キスも許してくれないの?」
「ダメ……っ、ん……っ」

 開いたほうの手で、再び顎をとられキスされた。急き立てるように、咥内に侵入してくる舌。上顎の裏をなぞられ、頬の裏を舐められる。逃げようとするディートリンデの舌は絡めとられ、擦られた。互いの唾液が潤滑剤となって、恥ずかしい水音が室内に響く。奪うような唇と舌の動きに翻弄されて、酸素も足りなくて何も考えられない。水もないのに溺れてしまいそうだ。

「ふぅ、はぁ……っ」
 
 ようやく解放されて目を開けると、そこには濡れたイーヴォの唇がある。その色っぽさときたら言葉にならなくて、彼女は愛おしさのあまり続きをねだりそうになった。まるで夏の灯りに引き寄せられる蛾のよう。

 ――正気に戻るのよ、ディートリンデ。あなたが彼に何をしてあげられるというの?
 
「……帰って。……わたしは、あなたに相応しくないわ」

 すると、イーヴォはディートリンデの両肩を強く掴む。柳眉が険しく吊り上がって目が座っていた。それまでとの印象の違いにどきりとする。
 
「トーマスのほうが僕よりいいって? それ、本気で言ってる?」
「そん……」

 そんなつもりで言ったわけがない。イーヴォがそう受け取るとは考えてもみなかった。だが、これを利用しない手はない。
 
「好きなように取ればいいわ。とにかく、ここにはもう来ちゃだめよ」
「どうして?」
「小さな村なのよ。広い所に住んでいるあなたには分からないだろうけれど、ここでは一挙手一投足が監視されているの」
「変わったね。僕の知るディー姉ちゃんは人一倍好奇心旺盛で弁が立って、大人相手でも絶対にひるまなかったのに。あのころは、人の噂なんて気にしていなかったでしょ?」

 昔はディートリンデの父親を怖がって、誰も彼女に手出ししなかった。そして、小さくて弱いイーヴォを守るのに必死だった。父親は亡くなり、イーヴォは知らない大人になった。今のディートリンデには守ってくれる人も守りたい人も残っていない。だが、それを目の前の青年に言えるものだろうか? ディートリンデは仕方なく、ありきたりの言葉を口にした。
 
「あなたが変わったように、わたしも変わったのよ。八年もたったんだから」

 しかし、彼は意外なことを言われたとばかりに、目をぱちくりさせる。

「僕は僕のままだよ。何も変わっていない」

 ディートリンデもまたイーヴォの言うことが理解できず、相手の上から下まで見返した。

 ――変わってないですって? どこがよ。

「イーヴォ、あの……」
「また来るよ。次会うときは色よい返事が聞きたいな」

 そう笑った彼の笑顔はたしかに昔のままで、ディートリンデは明後日のほうを見るしかほかなかった。
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