あやめ祭り~再び逢うことが叶うなら~

柿崎まつる

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第一章

4.友の幻(2)

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 銀錠橋インディエンチャオのたもとまで来ると、湖の氷は水の色が見えないほど厚く感じた。幾人かの子供たちが、木で作られた刃を靴にくくりつけて、スケートに興じている。

「あ、お姉ちゃーん!」

 そのなかの十二歳くらいの少女が手を振ってきた。人形のように整った姉にくらべると、可愛らしくも親しみやすい印象だ。

藍珠ランジュ!」
 
 溪蓀シースンは喜色満面で妹のところに駆けていった。浩海ハオハイはそれを眩しく追いながら、ふと氷に当たる太陽の光に目を向ける。

「あれ?」
「どうしたの?」

 彼女が後ろを振りかえれば、浩海ハオハイは珍しく険しい表情を浮かべていた。

「まずいな。春が近いせいで見た目ほど、ここの氷は厚くないみたいだ」
「え?」
「みんなっ! 早く陸にあがるんだ! 氷が割れるぞ!」

 突然大声を出した浩海ハオハイに子供たちの動きが止まった。次の瞬間、地鳴りのようなゴゴゴゴーッという音がし、危ないと思ったときにはもう遅かった。藍珠ランジュの足許の氷がごぼっと抜けたのだ。派手な水しぶきが上がると同時に、少女の身体が水面に吸い込まれていく。

藍珠ランジュ!」

 叫び声をあげた溪蓀シースンは、今にも塀を乗り越えようとしていた。彼女の腕を浩海ハオハイがつかむ。

「離してっ、妹が! 早く助けないと!」
「大丈夫、僕が助けるから。君はそこにいて」

 彼は口早に言うと、自分の深衣となかの着物を手早く脱ぎ始めた。呆気にとられる彼女のまえで、割れた氷の中に身を沈ませる。

「浩海《ハオハイ》さんっ!」

 彼は大きく息を吸って、極寒の湖にもぐった。身を襲う冷たさに心臓が驚いて、鼓動を止めてもおかしくない。氷の下の緑色の世界は一辺の慈悲もなく、彼の身が死のあぎとに堕とされるのを今か今かと待ちかまえていた。
 息苦しい。肺が空気を切望し、身体はすぐにも水面に戻ろうとする。浩海《ハオハイ》は本能を無視して、少女を必死に探した。痛いほど冷たい水の中で、手足を懸命に動かす。

「……!?」

 目のまえに何かがあらわれた。幻影に驚いて思わず水を飲んでしまった。

――将弓ジエンゴン……! 

 それは書生服を着て幽鬼のように水中を漂いながら、何かを訴えるように浩海ハオハイを見ていた。服装は結果発表の日のままだったが、肌が紙のように白い。親友がこんな目で自分を見たことなど過去になく、彼に憎まれているのだと実感する。
 一瞬のことであったが、彼にはとても長く感じた。その幻影は見る見るうちに小さくなって、少女に姿を変えた。

――見つけたっ!

 自らの手足を叱咤しったして、少女を抱きかかえる。たゆたう水面の明るいところ目掛けて、なんとか泳ぎのぼった。

「ぶはっ!」

 浩海ハオハイが水面に顔を出すと、店番や客達が一斉に声を上げる。

「上がってきたぞ! 早く、縄を投げてっ」
「若様、縄をつかんでください!」

 言われて、とっさに目の前の縄をにぎった。

「せいのっで引っ張るんだ!」
「いくぞっ!」

 居合わせた売り子も通行人も構いなく、男衆は息を合わせて縄を引っ張る。

「若様、頑張ってください! もう少しです!」

浩海ハオハイはもうろうとする意識のなか、氷上へと引きずりあげられ、何とか岸までたどりついた。

藍珠ランジュ! しっかりして!」

 聞き慣れた声に頭をあげると、溪蓀シースンが必死に妹を抱きしめている。気を失っていることにがく然とするが、近くにいた男性が少女の身体を下にかしげて水を吐かせてやった。

「ごほっ、ごほっ……」
藍珠ランジュ!」

 眼に涙を浮かべた姉に、少女は火が付いたように泣き出す。

「お姉ちゃん……っ? うわーん、怖かったよぉー! 地面がバンってなくなっちゃってね、水のなか、すっごく冷たかったの……っ!」
「そうね、すごく怖い目に遭ったわね。でも、もう大丈夫よ」

 それをみたみんなは、安堵の声をあげた。溪蓀シースンは妹を抱きしめながら、しきりに頭を下げ始める。

浩海ハオハイさんもありがとう。本当に」
「どういたしまして」

 上下の歯がかち合わないくらい震えたが、なんとか返事が出来た。茶館の店主が、大判のタオルを浩海ハオハイに肩にかけてくれる。水中もさることながら、陸に上がったあとの虚脱感も計り知れない。

「さあ、若様も温まりましょう。うちで部屋を用意します」 
「助かるよ、身体が凍りつきそうなんだ」 

 浩海ハオハイは男衆に支えられながら立ちあがった。去りぎわ、穴の開いた湖を振りかえる。自分が飛びこんだ穴は、外から見ると黒くよどんでいた。

――将弓ジエンゴン。おまえ、ここに居たんだな。
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