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番外編
79.林哲海商会(6)
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指定された店は、高級官僚御用達の山萃館。夜は赤提灯がいくつも並び、艶麗に殿方を誘うのだろう。しかしながら溪蓀は、過剰に掃き清められた石畳が冷然と踏む者を見据えているような、居心地の悪さを感じた。
案内係に林哲海商会の名前を出すと、宴席に案内される。表玄関から広いホールを抜ければ、大きな両扉が控えていた。それをお仕着せ姿の二人の給仕がうやうやしく開ける。
卓子は長方形、席は十二、上座は空席。黒を基調とした壁や家具は重厚。ただ、上座の後ろの屏風だけが燃えるような赤だった。溪蓀は宴席というのに花も飾られていないことに、違和感をおぼえる。
客の半数が既に来ていたが、皆立ち話に興じていた。彼女たちが末席に通されるなり、腹の突きでた壮年の男が近寄ってくる。
「あんたたち、見ない顔だね。わしは黒満道、今日の宴席の幹事さ」
「林哲海商会の黄溪蓀と申します。よろしくお願いします。林哲文が急用にて欠席することをお詫び申し上げます。こちらは付き添いの」
立ち上がった彼女の紹介を最後まで聞かずして、黒満道は巨体を乗り出してきた。
「なんだって。林哲文さんも欠席かい。だったら、わざわざあんたたちがくる必要はなかったね。元を辿れば林哲文さんが雇われ商会主だと問い詰めたのは、王綿鷹殿だったからね。主人を連れてこないと組合から外すと脅しをかけたときは、さすがにわしたちも驚いたものさ。今日だって、その主人が来れないから代わりの者を寄越すと言われて、王綿鷹殿はひどくおかんむりさ」
「えっ?」
――浩海さんを連れてこないと組合から外す? そんな話になっていたの!?
黒満道は混乱におちいる溪蓀と無表情の游莞をじろじろ見てから、はんっと鼻で笑う。
「菊に芙蓉ねぇ。秘蔵っ子に店の用事を任せるなんて、哲文さんの雇い主は、道楽で商売をやってるんだね。まぁ、ここの料理はおいしいから味わっていってよ。その代り、ちゃんとあんたたちのご主人様に宣伝しておいてくれね」
黒満道が笑い声を残して去ると、溪蓀は連れの耳もとに唇をよせる。
「菊に芙蓉とは、どういう意味ですか?」
游莞は眉間にしわを寄せたが、彼女の純粋な眼に渋々口を開いた。
「溪蓀さんと拙が、林哲海商会主の愛人だと揶揄したのです。芙蓉は花言葉の『恋人』、菊は菊慈童の事を指しています」
慈童は周の穆王の寵童で、罪を得て山に捨てられたが、菊の露を呑んで不老不死になった仙人のことだ。
游莞は溪蓀のために、貴重な休みを使ってくれた。最初こそ同行の申し出を固辞した彼女だが、身分ある女性が付き添いなしで出歩くと不謹慎と受け取られかねないと説得され、確かにそうだと游莞の厚意に甘えることにしたのだ。自分が愛人といわれるのは癪だが、それ以上に游莞に対して申し訳がなかった。
「誤解を解いておかないと」
「ただの言葉遊びに付き合う必要はありません。すでに拙の記憶のなかから消しました」
「申し訳ありません」
「あなたが謝ることではありません。言われたとおり、宴席を楽しみましょう」
感情の切り替えが早い游莞は、周りの雑念を払うように静かに目を伏せた。しばらくすると十一の席が埋まり、最後に王綿鷹と思しき老人がゆっくりと部屋に入ってくる。黒々とした髪と髭、鋭い眼光と大きな鼻、名前の通り老練な鷹をほうふつとさせた。服装も黒一色の道袍で、赤屏風の前に座るといやでも存在が浮き立った。実際より一回り大きく見える。
――ああ、そうか。ここは王綿鷹氏のための宴席なんだわ。
部屋の内装も家具も、この老人のためだけに揃えられている。氏がそれを強いたという訳ではなく、幹事の黒満道が忖度して取り計らった結果だろう。さすが、北都で知らぬものがない大商人だ。
「まあ、一応紹介しておきますよ。皆さんも咲き誇る花が気になって、会合どころではないでしょうから」
苦笑する黒満道にうながされ、溪蓀は立ち上がった。
案内係に林哲海商会の名前を出すと、宴席に案内される。表玄関から広いホールを抜ければ、大きな両扉が控えていた。それをお仕着せ姿の二人の給仕がうやうやしく開ける。
卓子は長方形、席は十二、上座は空席。黒を基調とした壁や家具は重厚。ただ、上座の後ろの屏風だけが燃えるような赤だった。溪蓀は宴席というのに花も飾られていないことに、違和感をおぼえる。
客の半数が既に来ていたが、皆立ち話に興じていた。彼女たちが末席に通されるなり、腹の突きでた壮年の男が近寄ってくる。
「あんたたち、見ない顔だね。わしは黒満道、今日の宴席の幹事さ」
「林哲海商会の黄溪蓀と申します。よろしくお願いします。林哲文が急用にて欠席することをお詫び申し上げます。こちらは付き添いの」
立ち上がった彼女の紹介を最後まで聞かずして、黒満道は巨体を乗り出してきた。
「なんだって。林哲文さんも欠席かい。だったら、わざわざあんたたちがくる必要はなかったね。元を辿れば林哲文さんが雇われ商会主だと問い詰めたのは、王綿鷹殿だったからね。主人を連れてこないと組合から外すと脅しをかけたときは、さすがにわしたちも驚いたものさ。今日だって、その主人が来れないから代わりの者を寄越すと言われて、王綿鷹殿はひどくおかんむりさ」
「えっ?」
――浩海さんを連れてこないと組合から外す? そんな話になっていたの!?
黒満道は混乱におちいる溪蓀と無表情の游莞をじろじろ見てから、はんっと鼻で笑う。
「菊に芙蓉ねぇ。秘蔵っ子に店の用事を任せるなんて、哲文さんの雇い主は、道楽で商売をやってるんだね。まぁ、ここの料理はおいしいから味わっていってよ。その代り、ちゃんとあんたたちのご主人様に宣伝しておいてくれね」
黒満道が笑い声を残して去ると、溪蓀は連れの耳もとに唇をよせる。
「菊に芙蓉とは、どういう意味ですか?」
游莞は眉間にしわを寄せたが、彼女の純粋な眼に渋々口を開いた。
「溪蓀さんと拙が、林哲海商会主の愛人だと揶揄したのです。芙蓉は花言葉の『恋人』、菊は菊慈童の事を指しています」
慈童は周の穆王の寵童で、罪を得て山に捨てられたが、菊の露を呑んで不老不死になった仙人のことだ。
游莞は溪蓀のために、貴重な休みを使ってくれた。最初こそ同行の申し出を固辞した彼女だが、身分ある女性が付き添いなしで出歩くと不謹慎と受け取られかねないと説得され、確かにそうだと游莞の厚意に甘えることにしたのだ。自分が愛人といわれるのは癪だが、それ以上に游莞に対して申し訳がなかった。
「誤解を解いておかないと」
「ただの言葉遊びに付き合う必要はありません。すでに拙の記憶のなかから消しました」
「申し訳ありません」
「あなたが謝ることではありません。言われたとおり、宴席を楽しみましょう」
感情の切り替えが早い游莞は、周りの雑念を払うように静かに目を伏せた。しばらくすると十一の席が埋まり、最後に王綿鷹と思しき老人がゆっくりと部屋に入ってくる。黒々とした髪と髭、鋭い眼光と大きな鼻、名前の通り老練な鷹をほうふつとさせた。服装も黒一色の道袍で、赤屏風の前に座るといやでも存在が浮き立った。実際より一回り大きく見える。
――ああ、そうか。ここは王綿鷹氏のための宴席なんだわ。
部屋の内装も家具も、この老人のためだけに揃えられている。氏がそれを強いたという訳ではなく、幹事の黒満道が忖度して取り計らった結果だろう。さすが、北都で知らぬものがない大商人だ。
「まあ、一応紹介しておきますよ。皆さんも咲き誇る花が気になって、会合どころではないでしょうから」
苦笑する黒満道にうながされ、溪蓀は立ち上がった。
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