筋トレ民が魔法だらけの異世界に転移した結果

kuron

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227・乙女の純情

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「………メッ ……ン……サィ…… 」

 遠くで誰かの声が聞こえる。

 両手で耳を塞いだ時の様に、身体の中でドッドッと響く心音がいつも以上に騒がしい。何を言っているかは聞こえ無いが、その声が酷く哀しみを含んでいる事だけは何となく読み取れた。

 今にも泣き出しそうなその声を聞いているうちに「何か答えてやらなきゃ」と気持ちが昂ったが、喉が詰まった様にまるで言葉が出て来ない。

 そうこうしている内に、その声は次第にーー、





 深い眠りから目覚めたばかりの曖昧な現実。未だ夢を引き摺ったままのシェリーの耳に聞こえて来るのは、さっきまで鬱々と聞こえていた消え入りそうな声では無く、聞き慣れた男の声だった。

「あー、もうやるしかないかっ! これは人助け、人助けだから仕方ない! むぅー」

 若干言い訳じみたその言動セリフに野生の勘ーーいや、乙女の危機感が反応する。

 ゾワッとしたうなじざわ付きにハッと目を開けばーー危機一髪、目を瞑りながら唇を尖らせた男の顔が、今まさにシェリーの目の前に迫っている所であった。
 
「ーーう、うわぁあああっ!!」

 起き抜けにファーストキスを奪われるなど、寝起きとしては最悪どころかトラウマレベルである。思わず手が出たシェリーの気持ちは推して知るべしだ。

ーーガリッ!

 思い切り爪を立てた容赦の無い一撃は、無防備に近付く男の左頬を盛大に引っ掻いた。

「痛ったぁっー!!」

 意識が無いと思っていた者からの思いもよらぬ攻撃。驚いた男は顔に似合わぬ間の抜けた声を出しながら、仰け反る様に天を仰ぐ。

 一方、寸での所で乙女の純情を守ったシェリーは、すぐさま両足を跳ね上げると、ゴロゴロと後転しながらその場を離脱。
 流れる様な動作で距離を取ったシェリーは、フシャーッと歯を剥いて威嚇しながら警戒をあらわに男を睨み付けた。

「ーーな、何しやがるっ!! アタシが寝てるのを良い事に…………」

 そこまで言ってシェリーは気付く。先程まで自分が冷たい水の中、空気を求めて必死に水面を目指していた事をーー。

「あれ? アタシ、確か溺れて……」

 記憶の相違に首を傾げたシェリーは改めて辺りを見渡す。水の牢獄に囚われていた筈が、いつの間にか何処かで見た景色にすり替わっている。
 
「ここは、一角兎アルミラージの巣?」

 壁に無数の穴が空いた薄暗い空間、そこは間違い無く今朝方に来た当初の目的地である一角兎アルミラージの巣であった。
 その証拠と言わんばかりに、シェリーとヘイズが朝一番に穴から引っ張り出した何匹かの一角兎アルミラージの死骸が足下に転がっている。

(夢、じゃ……ないよな)

 まるで時間が巻き戻ったみたいな光景に、全てが夢だったのではとの考えがシェリーの頭にぎるが、ズキリと痛んだ腕の傷がそれを明確に否定する。

 ガウルやヘイズがボロボロになって川を下って行った事も、崖から落ちる魔獣人マレフィクスへ手を伸ばし、一緒に滝壺へと落ちた事もーー確かに起こった現実だ。

 そんな、未だ収まらない混乱に頭を悩ませるシェリーに向かって、不満気な男の声が飛んで来る。

「もうっ、介抱してたのにいきなり引っ掻くとか酷くない? あぁっ、ほらっ、血が出てるじゃん!」

 頬を押さえた手に付いた血を見ながら、男はやや大袈裟に騒ぎ立て始めた。

「はぁ、介抱だって? あれの何処が介抱なんだよ! ア、アタシの……その、く、唇を奪おうとしてたクセに!」
「ーーっば、ばっか! 違うって!! あんまりにもシェリーが起きないからっ、俺は人工呼吸をだなーー」

「……人工……呼吸?」

「そうだよ、人・工・呼・吸! 救・助・活・動!! マジで助けようとしてただけなんだって!」

 人工呼吸ーー聞き慣れない単語だが、男が嘘を言っている様には見えない。溺れた記憶もある事から、癪ではあるが助けられたのは間違い無いのだろう。

「そ、そうなのか? そうか、わりぃな。助けてくれたのに爪立てちゃってさ……」

 素直に頭を下げるシェリーに男はホッと胸を撫で下ろす。そして気分が良くなったのか、これまでの事を饒舌に語り始めた。

「いやぁ、まぁ分かれば良いんだ! それにしても大変だったんだぜ~? 何とか水から上がってからもシェリーがピクリとも動かなくてさ。顔なんて真っ青通り越して真っ白だったし、これはヤバいと思ってシェリーを逆さにして振り回したんだ」

「逆さにして……振り回した??」

「あの時は俺も焦ってたからね。冷静に考えれば心臓マッサージだってのに、喉に水が詰まってる~って、思わず逆さにーー、」

 今考えたら、逆さにするのは子供が誤飲した時だったかもーーと男は笑う。

「でもそれが結果良かったみたいでさ、シェリーの口からマーライオンみたいに大量の水が吹き出したんだ!」

 マーライオンが何かは知らないが、男のジェスチャーから碌な状態じゃなかった事は伝わって来る。
 シェリーは失態を晒した事で、なんだか男に弱味を握られた様な気がして顔を顰めた。

「その後、息を吹き返したシェリーが暫く咳き込ん出たんだけど、途中からガタガタと震え出したもんだから、キャンプ道具がある此処までおぶって戻って来たって訳さ」

 凡その経緯を把握したシェリーは、改めて男に礼を伝えると共に、一つだけ腑に落ち無い事柄に付いて尋ねる。

「なぁ、因みに人工呼吸ってのは……どんな時にやる救助方法なんだ?」
「ーーえっ? そりゃあ人工呼吸ってのは言葉の通り、呼吸が止まった相手に対して強制的に呼吸をーー」

「アンタ、さっきアタシが息を吹き返したって言ってなかったか?」

「…………あ、あれ? ど、どうだったかなぁ?」

ーー鮮血が飛んだ。

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