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第5話 めちゃぶり勝利宣言

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 最前線を戦った魔王軍の精鋭部隊の真っただ中に降り立った哲郎と、両足でかろうじて立ってはいるものの、魔王に抱きかかえられる格好のエリーザは、広場の中心で行き場を失っていた。
 2人の周囲には、エリーザに対して敵意を剥き出しにしているゴブリン兵やオーク兵が溢れ、手を伸ばせば容易に届く距離だった。

「お、おいおい、みんな落ち着けよ」
 その場に膨れ上がる嗜虐的な雰囲気と押し寄せる殺気に、哲郎は危険を感じた。助けを求めてズエデラの姿を探す。しかし、背の高いオーク兵が邪魔になり台車を発見できない。2人を取り囲む輪が、じりじりと少しずつ小さくなっている。人間と戦っていた兵士たちの目的は明白だった。

「くぅっ――― なんとかしなけりゃ」

 焦る哲郎の腕に、自然とエリーザの手が添えられた。白く細い指先が微かに震えていた。
「そりゃ、ビビるよな」
 励ますつもりでエリーザの顔を見た哲郎は、強い意志を宿した黒瞳に射抜かれた。てっきり悲嘆にくれる表情を想像していたのに。

―――糞っ! ビビッてたのは俺の方じゃねえか! しっかりしろよ魔王!!
 2人を取り囲んでいた兵士たちが慌てて後方へ飛び退る。いつの間にか魔王を中心に黒い渦が生じていた。哲郎は気が付いていないが、後方に退いた兵士たちは、その渦の中に蠢く腕からさきの無数の手を見ていた。

「ひぃー!」「ま、魔王様―――」「お許しください!!」
 黒い渦は次第に大きくなってゆき、兵士たちの顔が恐怖に歪む。その時、「お、お待ちください魔王様―――」とズエデラの声が哲郎の耳に届いた。

「―――ズエデラぁ!」
 勘違い野郎と罵っていた哲郎が、この時ばかりは肉親との再会を喜ぶように親しみを込めてズエデラを呼んだ。魔王を中心に生じていた黒い渦が霧散する。魔王の思わぬ反応に、ズエデラはまんざらでもない表情だった。

「おお、魔王様~~~。危うく辺りが消し飛んでしまうところでした」
「やっぱりさっきのは必殺技・・・・・・ 発動条件不明ってところがやべーな」
「なにはともあれ、さすがは魔王様。人質を餌に姫を捕らえる作戦、お見事でございます」
「お、お前、余計なこと喋るな!!」
 最高のタイミングで登場してくれた、とズエデラの評価を爆上げしたばかりの哲郎は、その評価を地面に叩きつけ上から土をかける。

「やっぱり―――、この卑怯者。最初からあなたの言うことは、これっぽちも信用していませんでした。でも―――」

 エリーザの見せる一瞬の逡巡―――。

「―――少しでも、少しだけでも・・・・・・ 私がバカでした・・・・・・」
 エリーザの体からふいに力が抜けた。気を失いうなだれるエリーザを哲郎は強く抱き寄せる。過酷な状況に、体力と気力はとうに限界を迎えていたのだろう。2人のやり取りを見ていたズエデラが、エリーザの処分について哲郎に耳打ちする。

「勝利宣言の前に処刑に? それとも―――」
「―――ダメだ。処刑はない」
「それでは・・・・・・ ああ、なるほど。魔王様もお好きですなぁ」
 勘違いジジイの言いたいことは、下卑た笑いを張り付けた顔に書いてあった。ノープランの哲郎はこの場をやり過ごす口実として、ズエデラの提案に乗っかることにした。

「お察しのとおりだズエデラ! 手出しはさせない」
「仰せのままに」

 ズエデラを先頭に、エリーザを抱えたまま台車の上に戻る。玉座の後ろにはミリーとアーリ。結果的に魔法で魔王を攻撃した形のアーリが、冷たい表情のまま頭を下げて一礼する。
「大丈夫、大丈夫」
 気さくに応じた哲郎の態度に、一瞬だけ驚く表情をしたアーリだったが、抱きかかえられたエリーザの顔を見るとすぐに冷たい表情に戻った。

「聞け! 魔王セシルド様の勝利宣言を前に、皆に申し渡すことがある。魔王様に打ちかかったこの不届きなる人間は、亡国の王女エリーザ姫である。本来ならばこの場で処刑とするのが道理ではあるが、思慮深い魔王様はこの者を奴隷とすることにお決めになられた。よって、手出しは無用。よいか、これよりこの人間の姫は魔王さまの所有物である。勝手な行いは許されぬぞ」
 魔王最側近のズエデラは、その立場に相応の威厳のある物言いで広場を鎮める。赤鬼ガラン将軍以下の兵士たちは誰一人として声を上げない。沈黙が了解の意だったようだ。ズエデラが満足げに頷いてみせた。

「それでは魔王様―――、勝利宣言をここに」
「やっぱりするんだ・・・・・・」

「仰せのままに」
 ため息をついた哲郎は天を仰ぐ。いくらなんでも知識不足だ。宣言の文言が何一つ浮かばない。

 玉座の後ろに立っているミリーに、素早い動きで近づき小声で話しかける。
「頼む! 早口で、手短に、この戦いの歴史について教えてくれ」
「うーん難題です。でも魔王様の頼みなので、ミリー行きます!」
 難題と言いつつ、嬉しそうに応じたミリーが続ける。

「人間に虐げられてきた種族を率い、魔界からやってきた我ら魔族が戦端を開いて早300年。多くの犠牲がありました。一進一退を繰り返す中、魔王様が代償と引き換えに得た力で形勢は一気に魔王軍へ傾き、人間が治める最後の国、ここメラルニカ王国を滅ぼし世界征服完了」

「簡潔によくできました。サンキュー、ミリー!」
 難しい話ではない。人間と魔族の立場を逆転させれば王道のストーリーだ。代償という引っ掛かるワードには目をつむり、哲郎は短時間で思いを馳せる。
 300年という長く苦しい戦い。多くの人間が死に、また、多くの魔族、魔王軍の兵士が死んだのだ。異世界だろうが、哲郎が生まれた地球という星となんら変わりはなく、常に何処かで戦いが生まれ、悲しみ苦しむ存在がいる。平和な日本に生まれ正義感の強い哲郎は警察官になった。悲しむ人を見たくない。困っている人を助けた。それが常にヒーローにやられる弱い悪役でもいいじゃないか。みんなを守りたい―――、強い気持ちが、心から願う心が。この異世界で魔王に転生しても哲郎の本質はなにも変わっていない。

 世界を征服した魔王―――、山田哲郎は赤い双眸で気を失っているエリーザの顔を見た後に、広場を見渡す。多くの兵士たちが魔王の宣言を待っていた。

「わ、我らは―――、戦った。よく戦い抜いてくれた。よく我に従ってくれた。それは長くて辛い戦いだったと思う。想像することは難しいけど、多くの仲間を失ったんだよな。それに同情ってやつじゃないんだけど、人間も多くを失ったのは事実だと思う。そうだろ、人間も強かったんだよな。ちょっと自分でも何を言ってるのかわからなくなってるけど・・・・・・」

 頭の中が混乱し、言葉が途切れた。広場の兵士たちは哲郎の宣言を静かに聞いていた。あるものは魔王の顔を凝視し、あるものは目を瞑り、あるものは天を仰ぎ、あるものは虚空の一点を見つめて―――。
 深く深呼吸すると哲郎は続けた。

「今日ここで、我ら魔王軍が勝利した。だから、もう――― やめにしないか。これからは憎み合い殺し合いをしなくていい世界にしたい。これが俺の勝利宣言だ」

 水を打ったように静まり返る広場。司会進行役のズエデラも言葉を発しない。
「魔王様、自分のことを俺って言ってますよ」
 小声でミリーがツッコミを入れる。宣言を終え上気した哲郎は、ツッコミにノーリアクション。

―――パ、チ。パチ。パチ、パチパチ。パチパチパチ、ウォーーー!!

 まばらに聞こえた小さな音は拍手だろうか。次第に広がりをみせ兵士たちの歓声と重なり合った。一応は成功と捉えていいのだろう。途中から自分でも何を言っているのかがよく分らなかった。魔王キャラが崩壊していた自覚がある。
 魔族や魔王軍の兵士たちの暮らしや文化について、転生したばかりの哲郎に知識はない。しかし広場の反応を見れば、少なくとも気持ちの部分で人間と重なるものがあるのも事実だ。

 この後のことはノープラン。エリーザというこの国の姫の命は、勘違いジジイ―――、ズエデラのおかげで奴隷という形にはなったが、とりあえずは繋ぐことができた。
 魔王も疲れる。腹が減る。なんとか宣言を終えた哲郎は、緊張の糸が緩んだためか、強烈な眠気に襲われた。台車上、世界征服を成し遂げた魔王は姫を抱きかかえたまま、睡魔という難敵と戦うことになる。
 とりあえず、休憩しよう。お疲れ、俺―――。お疲れ、魔王―――。
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