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第4話 魔王と黒瞳の姫騎士

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 城に近づくほど、肉の焼け焦げたような臭いが強くなる。生ごみが腐ったような臭いを、更に凝縮した異臭は腐敗臭だろう。道端には、街の衛兵だったのだろうか、鎧を纏った黒焦げの塊が多く目にするようになる。
 いわゆる民間人の死体ではないことは、哲郎には何の気休めにもならない。

「冗談だろ・・・・・・ 夢見が悪すぎだぜ」
 魔王の中の哲郎に疑念が生じ始めていた。

 視覚、嗅覚を刺激されるリアルな情景。そもそも、夢は夢として認識できるものなのか・・・・・・。
 考えれば考えるほど、哲郎の心臓の動悸が激しくなってゆく。

「魔王さま、到着でございます」
 気が付けば、いつの間にか城壁を越え、崩れ落ちた城を正面に見据える大きな広場の中央に台車は停止していた。城の大きな屋根部分は、下方に張り出しているバルコニー付近まで崩れ落ち、無残な敗北の姿を晒していた。

 台車の周りには、魔王を待ちかねていた多くのゴブリン兵やオーク兵が片膝をついて頭をたれている。多くの兵士の中にあって、立った姿勢で頭をたれているのは、マントを羽織った屈強な一本角の赤鬼。その威風堂々とした立ち姿に最前線の指揮官だと知れる。

 その指揮官に向かってズエデラが言った。
「ご苦労、ガラン将軍。貴殿の働きは後世に伝わるものである。魔王様もご満足じゃ」
「う、うむ。大儀であった」
 ズエデラの労いの言葉に、場の雰囲気を壊さないように考えて、哲郎は時代劇のセリフを適当に被せてみた。

「―――っは! ありがたき幸せ」
 なかなか効果的だったようだ。魔王の言葉を賜ったガラン将軍は、滂沱と涙を流した。

「マジか。鬼の目に涙って」
「ププッ―――」
 自然と漏れた哲郎の呟きに、右後方から笑いを堪えるような反応があった。出会って極めて短い時間しか経っていないものの、哲郎の中でミリーの評価が揺れる。

 恐る恐る助け舟を出してくれたり、小さな笑顔を返してくれたり、哲郎の中では優しい優等生キャラの位置付けになりつつあったのだが、それがこの緊張感あふれる状況で俺の呟きに吹き出すとは―――。もしかしたら、本当の魔王との距離感は近いのかもしれない。まさかとは思うが、プライベートでは彼女的な存在であることも否定できない。しかし、あれこれ考えを巡らす哲郎に現状知るすべはなかった。

「それでは魔王様、勝利の宣言をここに。城内の一画に立て籠っていた人間は既に捕らえたとの報告がありました。後顧の憂いなく、さあーどうぞ」
 ズエデラの言葉に、辺りは厳粛な雰囲気に包まれた。部下たちは頭をたれ、魔王の言葉を待っている。
「やっぱり中止、いや延期にしません?」
 宣言内容ノープランである哲郎は、この期に及んで抵抗を試みた。魔王のつぶやきを耳にしているはずのズエデラに反応がない。あのジジイ―――、無視しやがった。あれだけ忠実な下部アピールしてたくせに。哲郎は腹をくくる。

「言うよ。言います。勝利宣言すればいいんだな!」
「仰せのままに」

「では、宣言する。えー、ここに―――」

「―――魔王!!」
 勝利宣言を始めた途端、厳粛な雰囲気だった広場にざわめきが広がった。
「な、なんだ!?」
 宣言の中断に正直ホッとした哲郎は、声の主を探して周囲を見渡した。
 片膝立ちの魔王軍が一斉に立ち上がり、危険を察知したズエデラが魔王との距離を詰めた。背後のアーリとミリーが魔王を守るように玉座の前に出る。

「だ、誰か!」「何かいるぞ―――」「人間か!?」
 周囲がざわつく中、哲郎は自分に向けられた尖った気配を認知する。

「殺気!?」
 上を向いた哲郎の視界が、崩れ落ちた屋根が引っ掛かっているバルコニーの端に人影を捉えた。哲郎が、誰だ、と思った瞬間には、人影が大きく近くに見えていた。魔王の肉体が持つ超感覚の一端。哲郎の視界は、見る先をフォーカスして瞬時にズームアップしたのだ。

 哲郎の視界が捉えた先には、白金の鎧を纏った人間が立っていた。風でたなびく長い髪は、美しいストレートのブロンド。澄みきった黒瞳には冷たい感情が宿っているのを読み解けた。

「俺が―――、憎いのか」

 女騎士は携えた直剣を鞘から抜いて、刀身を高らかに空へ向かって掲げ、次に切っ先を迷うことなく魔王へ向けた。
「聞きなさい、魔王!! 私はエリーザ・ミーツェ・アンゼルム。亡き父であるメラルニカの王に代わってあなたに予言を残します。人の心は絶対に屈することはありません。今ここで私たちが倒れても、何処かで勇者が現れます。その勇者が必ず魔王を打ち滅ぼすでしょう」

 言い終わると、女騎士―――、エリーザは躊躇いもなく足を蹴って、バルコニーから勢いよく虚空へ飛び出した。人が落ちて助かる高さではない。エリーザの飛び降りた先は魔王の頭上、相打ち覚悟の突撃だった。

「ちょ、ちょっと待て!!」
 切っ先はぶれることなく哲郎の頭に向けられている。数秒も経たずに届くのは誰の目にも明らかだった。歯を食いしばって条件反射で逃げる体を押しとどめ、哲郎は落ちてくる女騎士に向かって両手を伸ばした。

「まじ危ぶねぇぇぇえ!!」

「―――流天、アスカルダを流れる赤き雲の叫びを」
 短い詠唱の声を哲郎の耳が捉えた。玉座の前に進み出ていたアーリだ。いつの間にか小さな杖を手にしている。

「ダメだアーリ、止めろ―――!!」
「―――ディレクトサンダァ~!」

 アーリの杖から光が立ち昇り、上空の雲間に飲み込まれた瞬間、辺りが白い光に包まれ遅れて轟音がとどろいた。

 エリーザ・ミーツェ・アンゼルムは騎士の格好をしているが国王の娘である。国民の人気が高く魔族との戦いにおいては精神的な支柱であった。城が魔王軍に包囲され進退窮まった状況に陥り、自分を守っていた近衛騎士の亡骸から鎧を剥いで纏った。持ったこともない剣を手に取り魔王へ一矢報いて死ぬつもりだったのだ。

 切っ先を魔王の頭上に固定する。
 切り札と呼べる作戦はない。
 後は、落下するのみ。

 辺りが白い光に包まれ、雷鳴が轟き、自身の体が魔法に打たれたのだと悟った。

「―――お父様、私もそちらへ」

 目を瞑るエリーザは、生への執着を捨て落下する浮遊感に身を委ねた。
 しかしいくら待っても、地上への落下、絶望的な衝突がやってこなかった。

「誰なの!?」

 体の自由が利かない。
 誰かに、両腕でがっちり抱きかかえられている感覚があった。
 強く抱きかかえられたエリーザは、
「く、苦しい・・・・・・」と思わず零す。

「悪い、気が付いたら飛んでたわ」
「―――えっ!?」
「ちょっと待って、動く、なよ」

 不安定な状態だった。哲郎としては初飛行。懸命に腕を伸ばした瞬間に、背中から大きな猛禽を彷彿とさせる翼が生えていて、体が浮き上がった。間に合わないと思ったが、魔法の直撃前になんとか女騎士を抱き寄せることに成功する。
 放たれた魔法は、体の前面で包み込むようにして閉じられた翼によって防がれた。

「翼バリア成功」
「あ、あなたは魔王!!」
 驚愕に歪むエリーザの顔は魔王の胸の位置にあり、視線を上げて魔王を睨む。
「辱めは受けません。殺すなら早く殺して!」

体の前面で閉じられた翼の中は、小さな筒の中にいるようなもので、周りの誰にも見られずに2人は会話している状況だ。エリーザは体に力を入れて魔王の腕から逃れようとする。エリーザが強引に体を動かしたことで、中空で制止していた哲郎の体がゆっくりと羽が舞うように降下を始めた。

「ちょ、落ち着けよ。動くな。タイム! タイム!」
「な!? タイム? 何を言っているのか分かりません。魔王の声を聞くのもおぞましい。早く殺してください」
「いわれよう・・・・・・ わかったから、ちょっとだけ落ち着いて」

 考えなくても理解できる。人間からしたら絶望でしかない。人間が負けた世界で、魔王に遭遇。肉親や同胞を殺された王女に逃げ出すという選択はなかっただろう。
 この城と運命を共にするつもりだったに違いない。哲郎の胸に内に、熱い何かが込み上げてきた。

「あのさ、確かに魔王だけど、なんて言ったらいいのか―――、中身が、そう中身が違うのよ」
「中身が違うってどうゆうことですか。ふっ、そうやって人を惑わすことを言い、時に甘言を用いて堕落に誘う。魔族の常套手段には騙されません。私を捕らえて、辱めを・・・・・・」

「いや、だから、違うって」
「違わない。殺さないなら―――」

 抱き留めていた女騎士の体から力が抜けた。慌てて下を向いた哲郎は澄みきった黒瞳に見つめられる。頭が混乱した。綺麗で優しい顔立ち―――、女騎士の外見にそんな印象を持ったとき、口の端から伝い落ちる一筋の赤い色を見た。

「ダメだ!!」

 慌てて女騎士の堅く結んだ口に手をやった。強引に口を開かせ、躊躇なく指を突っ込む。

「い、痛てぇ!!」
 舌を噛みちぎり損ねた女騎士は、魔王の指を噛みちぎりにかかる。指を引けば、また女騎士は自らの舌を噛みちぎろうとするだろう。痛みに耐えつつ哲郎は静かに待った。

 限界を迎えたのか、女騎士の口から力が抜けた。
「―――落ち着いたか。少しだけ話がしたい」
「ううっ、ううう」
 指をくわえたままの女騎士は呻き声を上げるだけ。喋れなくとも女騎士の黒瞳は、真っすぐに魔王の真っ赤な双眸に向けられていた。

「悪いがこのままで聞いてくれ。確かに俺は魔王だ。ただ、戦いはもう終わった・・・・・・ だからもう殺し合いはしたくない」
 女騎士の反応はない。口の力は抜けている。哲郎は様子を見ながらゆっくりと指を外した。

 翼の筒の中で、身を寄せて向き合う格好の2人。女騎士―――、エリーザは不信感を募らせる表情で魔王の顔を見ていた。

「城の中に残ったものたちの命は?」
「もちろん殺したりなんかしないさ」

「今更そんな言葉を信用しろと」
「信用しろと言っても無理だよな。ただ、どうせ死を覚悟してんのなら、この後ちょっとだけ静かにしていてほしい」
 返事はない。澄みきった黒瞳に写る哲郎が静かに頷いた。

 会話中も2つの体は緩やかに下降していた。4つの足が静かに地面を捉える。そして、魔王セシルドが前面で閉じた翼を広げた。

 勝利宣言を前に、敵対する人間の王女に命を狙われ、それを無我夢中で助けてしまった。夢の中だから放っておけばいいだけのことなのだが、見捨てるなんて選択肢は存在しなかった。こちらの様子を窺うズエデラたちの顔を見る余裕がない。

 本当はもう気が付いていた。
「―――夢じゃない」
 哲郎の中で生じていた疑念は、リアルな指の痛みと澄みきった黒瞳に見つめられた瞬間の、胸の内に込み上げてきた何か、そう、苦い痛みで確信に変わっていた。

「やっぱり、リアルに転生してるよな――― 俺・・・・・・」
 立場は魔王でも中身は人間。抱きかかえた女騎士―――、エリーザを死なせたくない、これ以上悲しい顔をさせたくない、と哲郎は強く思う。
 しかし、取り巻く情勢は人間にとって差し迫ったもの。人間が負け、魔王が征服を果たした世界。

「これって無理ゲーの世界じゃねえか」
 姫騎士を抱いた魔王は、崩れ落ちた城の広場の中心で途方に暮れた。
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