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第8話 ここは異世界本能寺!?

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 元国王の私室―――。
 鏡に映る魔王の顔は、人間だった頃の哲郎の顔と比較するまでもなくイケメンの部類。但し、肌はくすんだ青色で口から牙がのぞいている。異世界へ来てから、もう何度となく深い溜息をついた哲郎は、本当の魔王が残したという逸話―――、人の世に広まっているというのなら、もはや知名度抜群の話なのだが、それを聞いて落胆を隠せない。

 ただ単に魔王だから偉いのだと勘違いしていた節のある哲郎は、本当の魔王が残した非道な話を聞いて、側近のズエデラやミリーの魔王に接する態度が腑に落ちた。
「人望とか尊敬とかそういうものじゃない。単純に恐怖心かよ」
 口を衝いて出た哲郎の言葉に、エリーザとミリーの反応はなかった。そのことが、恐怖心という言葉を肯定しているように思えて哲郎は歯噛みする。
 
 会話が途絶えて、沈んだ場の雰囲気に耐えられなくなっていた哲郎は、ふいに音を捉えた。こちらに向かってくる多くの慌ただしい足音。
 扉の外まで来ると、「魔王様――― 火急の知らせでございます」とノックと同時に扉が開かれ、声の主ズエデラが慌てた様子で飛び込んできた。

 ズエデラの後ろには完全武装した魔王軍の兵士数名と、雷のような魔法を放ったアーリの姿もある。
「な、なんだよ。世界征服したんだろ。もうちょっと落ち着いてゆっくりしてもいいんじゃない」
 緊迫した様子に、いつもの癖でわざと軽口で返す哲郎。しかしズエデラの眉間のしわは深く刻まれたままで、どうやら冗談が通じる状況ではないようだった。

「魔王セシルド様に申し上げます。―――謀反にございます!」
「―――なっ!? ここは本能寺かよ!!」
「ホンノウジ? ではございません。謀反です、謀反。北方のゾフェル帝国領を占領したダスカス将軍と、東方のラズ聖王国領を占領したゲラーシー将軍が首謀者と思われます」

 報告の間、窓の外からいくつもの爆発音が聞こえ始め、腹の底に響くような振動が伝わってきた。同時に、鬨の声が何処からか上がり緊迫した状況に拍車がかかる。

「はぁ? さっきまでの話は何? 俺のことみんな怖いんじゃないの。晩餐会の話はどうなったのよ」
 真剣に落ち込んだ哲郎の恨み節は、爆発音に紛れ、いつの間にか身を寄せ合っているエリーザとミリーの2人に届くことはなかった。

「そうだ! ガランは? あいつも裏切ったのかよ」
「滅相もございません。ガラン将軍の忠義は誠。城内になだれ込んだ不忠の虫を叩いております。しかしながらガラン将軍配下の一部が謀反へ加担したため、城内は劣勢かと―――」
 
 扉の外、通路の奥の方から金属同士がぶつかり合う硬い音が聞こえてきた。扉の外に控えていた兵士が向きを変え一斉に走り出す。哲郎のいる部屋の中からは見えないが、通路の先の乱戦が想像できた。

「俺もそうだけど、ガランも人望がないやつだな! 糞っ―――、俺は魔王だよ。強いんだよな? 怖いんだよな? そうだろズエデラ」
「左様で。しかしながら魔王軍4将のうち2将が共闘したとなると、いくら魔王様とはいえ少々厄介な問題かと」
 言い難そうなズエデラの表情で、事の重大性が読み取れる。魔王は畏れ多く強いのだろう。但し現状では、本当の魔王は、という注釈が付く。転生直後の哲郎は、魔王の力を十分に発揮することは出来ていない。この後も発揮できる保証もない。

「援軍はどうした? とりあえずガランと合流して戦うか」
「援軍は期待できませぬ。既に城を包囲され本隊の動きも封じられております。極めて劣勢、猶予はございません。ガラン将軍からの伝言が―――、身命を賭して献言申し上げる。西方への撤退を提案します。しんがりはガランにお任せ下さい、とのことでございます」
 
 金属音と慌ただしい入り乱れた足音が近くなる。廊下で戦っていた兵士のうち数名が部屋に飛び込んできて扉を閉めた。その兵士らの中から顔にあどけなさの残る魔族の兵士が進み出てズエデラへ報告する。

「ほ、報告致します。敵は戦場にランドイーターを解き放った模様。城内は敵と裏切り者が入り乱れての乱戦に突入。また数名の黒騎士の姿を確認したとの報告が上がっています」
「ランドイーターとは思い切ったことを――― それにこの状況で黒騎士とは」
 報告を終えた兵士は後ろにさがると警戒のために扉の方へ体を向けた。よく見れば他の兵士たちも一様に若いように感じる。報告に出てきた単語の意味は分からないが、どう考えても好転材料は一つもないようだ。

「ランドイーター? 黒騎士って何? 誰?」
「お、落ち着いてください魔王様。ランドイーターは敵味方の境なく殺戮を好む大型の魔獣です。黒騎士についての説明は無用かと」
 慌てふためく魔王の様子に後方から嘲るような笑い声が聞こえた。
「ふふふ。情けないですね」
「な、なにを!」
「憐れです。恐怖と力で縛り付けていた結果がこれですか」
「糞っ! 言われなくても分かってるよ。今は話している暇はない」
 指摘された事は間違ってないと思う。本当の魔王はやり方を間違った。扉の外の様子から、もう時間がないことが分かる。
 
 考えを巡らす哲郎の目が、バルコニーに通じる窓を捉えた。勝利宣言直前の出来事を思い出す。
「―――そうだ!! みんな空を飛べるのか? 俺には翼がある。どうだ? 飛べるなら窓から逃げよう」
「残念ながら下級魔族の我々では空を飛ぶことはかないませぬ。狙いは魔王様でございます。どうか魔王様だけでもお逃げください」

 閃いた考えを伝えた哲郎に、ズエデラが落ち着いた声音で応じた。背中に冷たい視線が突き刺さったのが分る。魔王の超感覚で察知したのでは確実にない。エリーザの視線を受けて、哲郎は慌てて口を開いた。
「まっ、逃げませんよ。そういう意味で聞いたんじゃないのよ。みんなが飛べたらって前提だから。魔王が1人で逃げたら格好つかないし」

「しかし、もう時間が―――」
 ―――ドゴッッッ! 
 ズエデラの声は、2枚の扉が衝撃に打たれて弾け飛んだ音で掻き消された。
 自然な動きでエリーザの前に立つ魔王。
 床一面に散らばっている鎧を纏った赤黒い肉塊を見れば、弾け飛んだのが扉だけではないことが分かる。
 
 扉のあった入口には、剣を構えこちらに背を向けた瀕死の兵士たちがいた。肩で息をしながら全身真っ黒い鎧を纏った騎士と対峙している。その顔は真っ黒い兜と面頬に覆われて確認できない。哲郎の中で、目の前に現れた異様な雰囲気を漂わせる騎士と、話に聞いたばかりの黒騎士が重なった。
 
 瀕死の兵士が剣を振り上げて黒騎士に打ちかかる。応じた黒騎士が一歩踏み出した。携えた剣で応じるのかと思った瞬間には、瀕死の兵士の首が胴体から離れていた。返す刀で隣の兵士の背中に黒い穴が穿たれる。

「や、ヤベェー!」
 咄嗟に近くにあった頑丈な椅子を手に取り、哲郎は叫びながら前に出た。ポリスメンとして警察学校で学んだ訓練の賜物か、はたまた他人より少しばかり強い正義感のなせる行いなのか。

「うりゃーーーあああ!」
「―――魔王様!!」

 無鉄砲に飛び出した哲郎の叫び声と、ズエデラたちの声が重なる。
 黒騎士の剣で胸を貫かれた兵士が、魔王の叫び声を聞いて最後の抵抗を試みた。胸の前で黒騎士の剣を握り込んで動きを抑える。
 思わぬ抵抗に黒騎士の動きが遅れ―――、顔を上げた黒騎士は真横から椅子の脚に絡めとられるようにして弾かれ、そして廊下の壁に釘付けにされた。

「なんで簡単に殺せる!!」
 壁に押さえ付けられている無言の黒騎士の顔に、椅子を持って力を込めている魔王の顔が近づく。

「何とか言えよ!」
「ふっ―――」

 場にそぐわない魔王の一言に、黒騎士が真っ黒い面頬の下で小さく笑った気がした。その時の魔王の鼻孔をくすぐった香りに、哲郎がたじろいだ。

 ―――お、女!?

 大きな頭への衝撃で、哲郎の体は部屋の中へ転がって押し戻された。一瞬の隙を見逃さなかった黒騎士が、哲郎の頭に強烈な頭突きを見舞ったのだ。
「痛エエエ~~~」
 椅子を払い、携えた剣を構えた黒騎士が哲郎に迫る。

 その時、聞こえる詠唱の声―――、一度耳にしたクールビューティーのアーリのものだ。
「―――端境はざかい、アスカルダを流れる赤き雲の叫びを、サンダーウォール―――」
 アーリが掲げた杖の先端に向かい、窓を破って稲妻が走る。杖の先端に弾かれるようにして流れた稲妻が黒騎士の足元へ落ちた。
 立ち止まる黒騎士の目の前に、縦格子状の光の壁が現れる。警戒する黒騎士がゆっくりと手の先で光の格子に触れた瞬間―――、弾かれたように後方へ吹き飛んだ。

 ―――ドッゴゴゴンンン!!
 壁を突き破ったのか、入口が瓦礫の埃で煙る。

「大丈夫でございますか魔王様!」
 駆け寄ったズエデラとミリーに支えられて哲郎が立ち上がる。

「糞っ―――、まだ痛えー。でっ、どうするよ」
「アーリの魔法もそう長くは持ちますまい。ここは魔王様だけでもお逃げください」

「―――くどいぞズエデラ。俺は1人では逃げない。逃げるならここの全員を連れてゆく!!」
 力強く言った哲郎の言葉に、部屋にいたものたち全員が息を呑んだ。あるものは魔王の言葉に感銘を受け、あるものは不信を抱き、あるものは死を覚悟した。

「魔王様のお気持ちは、みな嬉しく思っております。しかしながら、現状がそれを許しませぬ」
「だったら最後まで戦うのみだ。ガランと落ち合えば―――」
「―――無理でございます。黒騎士は上級魔族と同様の力を持っていると言われております。その黒騎士が複数となれば、魔王様とて勝ち目はございますまい」
 徹底抗戦の構えを崩さない哲郎に、転生してから初めて聞く厳しい口調でズエデラが諭す。
 いよいよ進退窮まる中、意を決した静かな声音が聞こえた。

「隠し通路があります―――」

 一同の視線が凛とした佇まいの声の主に向けられる。驚きの視線を受けてエリーザが続けた。
「城下を抜けた先へ続いていると、お父様から聞いたことがあります」
「何処にある」
「教えるには条件があります。捕えている人間も一緒に助けてください」
 エリーザの条件は予想の範囲内で誰も驚かなかった。
 しかし予想はできても、返す言葉が見つからない。歯噛みする哲郎を真っ直ぐな黒瞳が見つめる。

「奴隷の姫よ、残念じゃがその条件には沿えぬ。分かっておるはずじゃ、我らは謀反に遭い撤退を余儀なくされておる。残っている見方も少なく御覧の通りじゃ」
 寂しげに言ったズエデラの視線が、傷ついている魔王軍の兵士たちに向けられた。みな唇を噛んで悔しそうに下を向く。

「簡単に約束はできない。でも体勢を整えていつかここへ帰ってくることはできると思うんだ。魔王の俺が言うのは変だし―――、気休めにもならないけど」
 絞りだすように言った魔王の顔をエリーザは暫く黒瞳に映し続けた。

「約束ですよ。必ずこの場所へ戻ってきます」
 寂しげでいて、でもどこか強い意志の感じられる声だった。
 言い終わると、哲郎の返答を待つことなくエリーザは部屋の隅へ視線をやり、移動して分厚い絨毯を剥がしにかかる。
 それを見たミリーも一緒に絨毯へ手を伸ばした。冷たい表情のアーリは、ミリーの行動を眺めるだけで手伝おうとはしない。
 
 哲郎も参加して分厚い絨毯がめくれると、床面に取手の埋め込まれた四角い扉が現れた。
「本当にあるんだな、隠し通路―――」
 魔王の感慨をよそに、横からゴブリン兵が2人掛かりで扉を引き上げた。そこに、ぽっかりと現れた真っ黒な入口。中から少しカビっぽい臭いが漂ってくる。
「さあ時間がありませぬ、急ぎ参りましょう」
 ズエデラに急き立てられ、魔王と王女の逃避行が始まる。
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