北の雪女

dragon49

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雪女

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私は今、日本外務省の事務方として北京から平壌に向かっている。日本人拉致被害者を日本に召還するためだ。
  普通の観光客であれば、北京からのトランジットの際には、携帯からパソコンまで根掘り葉掘り調べられるのであるが、国内で朝鮮総連と話が大筋で合意しているので、スンナリと通して貰える。
 事故が多いと言われる高麗航空に乗っても不思議と不安感はない。
 この便は、中朝国境の丹東でトランジットするのだか、機内食に小さな水キムチが出た。私はそれを口にすると、何故か故郷の奈良の田舎が脳裏に思い起こされた。
  私の実家は明日香村からほど近くで農家を営んでいた。私ももし勉学に秀でていなければ、日本の官僚にはならず、農家を継いでいたはずである。
  実家の母屋の傍には古さびた土蔵が有った。その一角の神棚に、反りが入っていない直刀が御神体として祀られていた。祖父は、それを飛鳥朝以来の賜り物として崇敬していた。
 祖母は冬になると、白菜の塩漬けを作って食卓に供してくれた。それがとても滋味で美味しく、私にとっての故郷の味、日本の味なのである。
 しかし高麗航空の機内て、水キムチを口にすると、やはり近隣の国とは言え、外国に来たとの感がひとしおだ。
  眼下には白頭山が見える。抗日パルチザンの拠点として伝えられ、社会主義を標榜する北朝鮮を代表的する山なのだが、それが妙に神々しく見えるのが不思議で皮肉だ。
 “Would you like to have tea or coffe?”高麗航空のCAが飲み物を勧めてきた。”Tea please”、私のカップに茶を注ぐ二の腕が透き通るように白い、あたかも白頭山の残雪のように。
   平壌の国際空港に降り立つと、冷気が突き刺さるように鋭い。未だ二月上旬の平壌は、春が遠い印象だ。
   出迎えた北の事務方が用意した車に乗り込むと、アイマスクを強要された。数時間ほど走りそれを外されると、あにはからんや車は平壌市内ではなく、郊外の山間地に入っていた。標高は500メートル位だろうか、山のあちこちには未だに雪が積もり、道路の両端にも残雪が見られる。
  車が外国人の招待処らしい瀟洒な鉄筋造の建物に滑り込むとすでに辺りは暗く夕闇が迫ってきていた。交渉は明日、この招待処で行われるという。それに先立って、夕食会が催された。 
  シェルター型の地下に用意された席に着くと、わたしの他にも、白人や黒人、中東系の顔ぶれも見える。日本国内だと気づきにくいが、北朝鮮が世界と関係を持っていることが伺える。
  北の元山あたりで採れたアワビなど山海の珍味が、朝鮮伝統の宮廷料理でもてなされた後、ささやかな宴が催された。本来、私は下戸なので興ざめしていると、目が覚めるような美女が二十人ほど中央のステージで踊り始めた。皆一様に若く、セックスアピールが芳しい。
  暫くして、その中のスレンダーで切れ長の目元が美しい踊り子が私に春心を思わせるような視線を送っていることに気づいた。半島では南男北女と言うように、北の女性は肌が雪のように真っ白で綺麗だ。
  この女性の春を思わせる視線は気になったが、酒が呑めない私は早々に切り上げ自分の部屋に戻った。部屋にはクロックが置いてあり、現地時刻で既に11時半を回ろうとしていた。
  窓の外には雪がしんしんと降っており、一面の銀世界が月光を照らしていた。私はふと奈良の故郷で大学受験の勉強をしていた時分、ある雪の夜に祖母から聞かされた雪女の話を思い出していた。
   ある男が雪国の山里で道に迷い、寒さと飢えで前後不覚になる。気がつくと男は、暖かい暖炉の側で雪国の美女の介抱を受けていた。その後、男は女と情交を交わすが、性も根も吸い取られ、挙げ句の果てに魂まで抜かれてしまう。
 祖母が何故このような雪国の妖怪の話をしたのか、恐らくは東京に上京するであろう孫が東京の性悪女の美人局に引っかからないようにという計らいではなかったか。
  クロックは既に深夜の12時を回っている。オンドルも既に火を落としたのか、部屋にはしんしんと冷えが忍び寄っている。
  私は、日本から持ってきた資料に一通り目を通すと、テーブルに誂えてあったポットでティーバックに湯を注ぎ、口に含んで一気に寝台に潜り込んだ。
  それから二時間位経っただろうか、窓がガタガタと揺れているので気が付いた。外は既に吹雪になって四方も分からないほどである。
  すると真っ暗な部屋の窓に雪に重なり、白いガウンを纏った雪女が立っているのが映っている。私は反射的に反対方向を見やった。部屋の中には、先程の宴会で春心を送ってきた踊り子がいつのまにか侵入していた。
  彼女は私に歩を詰めると、『北の人は日本に行っても幸せにはなれないよ』と流暢な日本語で囁いた。私が、『そんなことはないさ、彼等の祖国じゃないか』と言うと、彼女は意を決したように白いガウンを脱ぎ去って全裸になった。
  彼女の裸身は、雪が反射する光で妖艶な美しさを誇っていた。スラリとした体躯、引き締まったウエスト、透き通るような白い肌、クレバスに沿って丁寧に処理された陰毛だけが黒く、劣情を禁じ得なかった。
  彼女が『抱いて』といった刹那、わたしの官僚根性が目を覚まし彼女を遮って拒否した。明日の下交渉を考えればミスミス相手にアドバンテージを与えてはならないとの無味乾燥的なお役所判断だ。
   彼女を退けると、役人根性を全うできたとの達成感と同時に、なぜか彼女に人として何か悪いことをしたかのような慚愧の念を禁じ得なかった。
  彼女は、女としてのプライドを傷つけられたためか、上目遣いで瞳一杯に涙を溜めると唇を噛んでガウンをひっ掴み部屋を後にした。
  その晩、私は夜が白むまでまんじりともせず寝着けなかった。朝、一言だけで良いから昨晩の事を詫びようと朝食のビュッフェで彼女を探した。
  案の定、踊り子達のチームが食事をしていたが、彼女の姿だけが見出せなかった。関係者に聴いても行方はようとして知れず、ただ屋外の積雪が朝陽で照りかえり眩しいばかりであった。 

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