撃ち抜けヴァージン

タリ イズミ

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雨の日の放課後-2

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 激昂した碓氷が和泉に向き直る。

「親父は大変だよな! 俺の養育費を払ってお前のことも養わなきゃなんねえ!」

 すると和泉はぎゅっとこぶしを前で握りしめた。

「高校は奨学金を借りてるし、なるべくバイトもしてるよ。……新しい家庭に迷惑をかけたくないから」

 新しい家庭。和泉の言葉は自分を数に入れていない。その言葉にさっと血の気が引いたとき、碓氷のこぶしで和泉の眼鏡が飛んで、土にぽすっという軽い音を立てて落ちた。黒縁眼鏡が雨に打たれる。

「ねえ、やめてってば! こんなことしても碓氷もつらいだけでしょ!」

 こちらを振り返った碓氷がなにか言おうと口を開いたとき、どこかでスマホがブブッと振動する音が聞こえた。碓氷がポケットからスマホを取り出し、「リサからか」と呟く。途端に怒りを静めて普段の表情になり、地面に置いていたカバンを肩にかけた。

「リサが待ってるから行く。千尋、親父に余計なこと言うなよ」

 踵を返した背中に「分かってる」と和泉が律儀に返事をする。碓氷はなにも言わずに傘を差して立ち去り、あたしと和泉は二人でそこに取り残された。

 イズミン。あたしが声をかけようとしたとき、和泉は軒先から出て、転がった眼鏡を拾った。そして雨に打たれながらこちらを見、眼鏡を外した顔では初めてはつらつとした笑みを浮かべる。

「フレームが歪んじゃった。学校帰りに眼鏡屋に寄らないと」

 ははっと笑った顔と細い雨が対照的で、あたしはそのまま空を見上げる和泉の顔を見た。さきほどまでの無表情さはどこへ行ったのか、むしろすっきりした顔で微笑を口元に湛えている。雨に濡れた髪がぺったりとして、和泉が前髪を掻き上げた。眼鏡をしていない和泉はいつもよりも透明な水のようにきらきらしていた。

「……イズミン、怪我してない?」

 あたしの言葉に和泉がこちらへ戻ってきた。ポケットから出したハンカチで顔を拭きつつ苦笑する。

「柊馬君はちゃんと手加減してるよ。どうしたのか家で俺が聞かれると、お父さんが困るから」
「そんなの、理由になってない。どうして抵抗しないの。家ではなにも言わないの?」
「言わないよ。俺たちが同じ高校なのは親も知ってるから、俺たちがおかしい関係だって知ると柊馬君のお父さんが困るし、うちの母親も困る。もうすぐ子どもが生まれるんだから、厄介ごとは家に持ち帰りたくないんだ」
「じゃあイズミンは誰に本音を話すの。こんなの、ウチ、見てて嫌だったよ……」

 突然震える声に涙が出てきて、驚いた表情の和泉の顔がぼやけた。手の甲で目を拭うと手にマスカラがつく。そんなこちらに和泉は歪んだフレームの眼鏡をかけて「嫌な思いさせてごめんね」と困った顔をした。

「でも、聞いてて分かったでしょ。柊馬君の行動には正当な理由がある」
「でも、イズミンのお母さんとイズミンは別の人間じゃん。そもそもイズミンのお母さんが悪いかどうかなんて、ウチには分かんない」
「俺だって親のことはどうしていいか分からないんだよ。柊馬君も同じなんだ。俺と柊馬君とはただ行動が違うってだけで、柊馬君がすごくつらいのは一番近くで見てて分かってる」
「だからって、なんでイズミンだけがこんな目に遭うの。言い返せばいいのに」

 口がわななきそうになって、必死で涙を堪える。こちらを見下ろす和泉がふっと息をつく。

「自分の意見を言ったって無駄なんだよ。母親と柊馬君のお父さんのことも止められなかったし、妹ができたときもどう反応したらいいか分からなかった。自分の気持ちを口にしても俺の人生は変わらない。そう思うと、なにも言えなくなるんだよ」

 和泉はそう言って「姫宮さんも濡れてるよ」とハンカチを差し出してきた。

 和泉の口調には人生に達観した大人のような諦めの念が混ざっており、あたしは言葉を継げなくなった。委員長に選ばれたときも、和泉は自分の意思とは関係なく事実を淡々と受け入れたのだろう。あたしはそんなことも知らず、ラッキーだと喜びさえした。和泉の気持ちは和泉自身からもなかったかのごとく扱われている。彼が一度あたしを突き放したのも、あたしでは和泉の人生を変えられないからだ。リップクリームやバッティングセンターなどの付け焼き刃でごまかしているうちは、あたしは和泉の人生に介入できない。

「イズミンは今なにしたい?」

 あたしはハンカチを受け取って、雨を吸い込んだそれをぎゅっと握った。

「傷を冷やしたい? おかし食べたい? 横になって寝たい? 一人きりになりたい?」

 すると和泉は雨で泥水が堪った土に目をやり、「風呂に入りたいかな」と腕をさすった。

「雨の日はまだ寒いや。でも、バイトもないしあんまり家にいたくないから遅くに帰る」

 いつも通り図書館にでも行くよ。そう言って濡れたシャツにカバンを肩にかけた和泉に慌てる。和泉が以前夜遅くに帰ると言った理由がようやく分かった。用事があるわけではない。ただ家に帰りたくないだけなのだ。濡れたシャツがぴたりと貼りついた腕を思わず掴んで引き止めた。

「それなら、うちにおいでよ。今誰もいないからお風呂貸してあげる」

 あたしは和泉の指の冷たさを思った。心も冷え切っているに違いない和泉をこのまま帰すことはできない。

「今だけでもイズミンの気持ちに応えたいよ……」

 雨の音が急に大きくなったように聞こえた。
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