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荒御霊
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自室に置いてあった食糧で軽く夕食を取った梓は、緊張の面持ちで竜輝の自室へと向かう。
(まずは何て切り出そう。……やっぱり謝罪からよね。そして、私が巫として仕えるのを許してもらわないと)
廊下を進みながらまずは何を言うべきか考える。
昼間はただ驚いた様子の竜輝だったが、流石に今もそのままというわけではないだろう。
冷静になって、ある程度の予測は立てているはずだ。
それでも事情を知れば怒りを覚えるだろう。どんな理由だったとしても、彼を騙したことに変わりはないのだから。
(巫として――花嫁としてもらってくださいと言ったら、竜輝様は私を憎むかしら?)
愛する婚約者がいるのに、その婚約を解消して自分と婚姻を結ばなくてはならないとなれば憎まれてもおかしくはない。
それを思うと、鬱々とした気分になってしまう。
婚姻という方法を取らずに霊鎮めが出来るなら良いのだろうが、それは無理な話だ。
巫が荒御霊を鎮める為には肌を合わせなければならない。手で触れるだけでは意味がないということは身をもって知った。
もっと、広範囲で触れ合わなくてはいけないのだろう。
他に相手がいる状態でそんなことをするわけにはいかない。
若い男女が肌を触れ合わせて、何も起こらないという保証はないのだから。その何かが起こった場合、他に婚姻相手がいれば大問題になる。
その問題は龍と神和ぎの関係悪化につながり結界の維持にも支障が出てしまうだろう。
また、梓が妾という立場になることも出来ない。
神和ぎは龍に仕える人間ではあるが、そこには確かな信頼関係が必要なのだ。
霊鎮めのために仕えている娘が妾などという立場にされてしまえば、神和ぎの一族に不信が広がってしまう。
だから巫と龍はそこに愛がなくとも婚姻という方法を取るしかないのだ。
憎まれたとしても甘んじて受け入れよう。
覡を使わせられなかったのは竜ヶ峰の落ち度だ。
そして、愛のない婚姻でも竜輝を選んだのは自分の我が儘。
もしかすると、竜輝は愛する婚約者と結ばれないくらいなら龍となって神の国に行ってしまった方がいいと考えるかもしれない。
(だから、これは私の我が儘でしかない。憎まれても良い。竜輝様が人の世に留まってくれるのなら、それも受け止めよう)
苦しくとも、竜輝のすべてを受け入れる覚悟で彼の部屋のドアの前に立った。
龍見家の本邸は基本的に和室だが、寝室に使われている場所は洋室の方が多いらしい。
以前は和室だったと思うのだが、改装したのだろうか。目の前の竜輝の部屋も洋室の様だった。
深く呼吸をした後、その洋室のドアをノックしようとした梓の手が止まる。
しっかり閉められていなかったのか、僅かに開いていたドアの隙間から話し声が聞こえてきたからだ。
「……招殿ではなく梓殿だった、と?」
竜輝の部屋から聞こえたのは砂羽の声だった。遅くなると聞いていたが、もう用事を終えて帰って来ていたのだろうか。
「ああ……今思えば何かと触れてくる手も男のものとは思えぬほど柔らかかったし、声も男にしては少し高めだった」
「……」
会話の内容に、盗み聞きだと思いつつも去ることが出来なかった。
竜輝は梓のことを家の者に言いふらしてはいないようだったが、流石に従兄でもある側近の砂羽には話しているようだったから。
彼らの会話が自分の処遇を決めるかも知れないと思うと、聞かずにはいられなかった。
「……事情は聞かれたのですか?」
驚いた様子もなく淡々と問う砂羽に、竜輝は「いや」と否定の言葉を口にする。
「どうすればいいのか疑問ばかりが浮かびどうすることも出来ず、とりあえず仕事を片付けなくてはと書類に目を通していた」
「はぁ、それでこんな時間まで問い質すこともせずにいたと?」
「……」
どうやら竜輝はあの後からずっと仕事を続けていたらしい。
仕事をする主人を放置してしまったと申し訳なく思った。
「……とにかく話を聞かないことにはどうも出来ないでしょう」
ため息交じりの砂羽の言葉に、竜輝は「そうだな」と同意する。
そうして衣擦れの音が聞こえ、ドアの方に移動してくるのだと気付いた。
このままでは盗み聞きしていたことが知られてしまう。
慌てた梓はとりあえず一度自室に戻るべきかと判断してドアから離れようとした。
だが、踵を返そうとしたその時部屋の中で異変が起こる。
ドッと、人が倒れ込むような音。そして――。
「竜輝様⁉」
先ほどまで淡々と話していた砂羽の焦りを含んだ声に異常さを感じた。
「うっ……ぐぅ……」
苦し気な竜輝の声と共に、また地が揺れる。
体感なので正確ではないが、昼よりも揺れが強い気がした。
(叔父さんはこの地震が荒御霊を鎮められていないせいだと言っていたわよね? じゃあ、竜輝様はまた龍に近付いてしまう⁉)
そのことに思い至った途端、梓は弾かれた様にドアノブに手をかけ部屋に入る。
「竜輝様!」
龍になって、自分の側からいなくなってしまう。
愛されなくても、憎まれてもかまわないと思った。でも、彼がいなくなってしまうことだけは絶対に受け入れることは出来ない。
その思いだけで床に倒れ込む竜輝の側に行く。膝をつき、彼の手を取った。
だが、昼とは違い地の揺れも竜輝の苦しみもすぐには治まらない。
「竜輝様……」
焦りが募り声が震える。
そんな梓に、同じく膝をつき竜輝の体を支えていた砂羽がいつもより低い声で話した。
「梓殿、もう悠長なことはしていられません。手で触れるだけでは意味がないことはもう理解していますね?」
「え? は、はい」
「では、私はドアの外にいますから竜輝様の霊鎮めをお願いします」
早口でそう告げた砂羽は梓の返事を聞くことなく部屋を出て行く。
その様子に彼も焦っているのだと気付いた。
(ということは、このままでは本当に竜輝様は龍に?)
本当に猶予がないのだと知り、梓は躊躇いを捨てた。
スーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。ワイシャツのボタンを外して、胸元を晒した。
さらしは流石に外している時間はない。
とにかく肌を合わせなければと、竜輝の頬を自分の鎖骨に当てるように抱き込んだ。
白金の髪が汗を吸ってしっとり濡れている。
邪魔そうな前髪を指先で寄せ、そのまま彼の反対の頬を手のひらで包む。
少しざらつく鱗に触れ、これ以上増えないでと願った。
「竜輝様……」
まだ苦し気な竜輝は眉間にしわを寄せ目を閉じている。
鱗は増えてはいないが、減ってもいない。
「龍になってしまわないで……」
声が届いているのかも分からないが、とにかく願い、肌に触れた。
そうして彼の頭を抱き続けてると、いつものように梓の熱が竜輝に移る。
(……ううん、違う。これは私の熱が竜輝様に移っているんじゃない)
いつもより広範囲で肌を触れ合わせているからだろうか?
自分の身に何が起こっているのか、よく分かった。
梓の熱が竜輝に移るのではない。
彼の中にある御霊の澄んだ神気が自分に移っているのだ。
ひんやりとした神気が、巫の身に入り込み大地へ――人の世へと満ちていく。
そうか、これが神和ぎの力。そのお役目なのだ。
竜輝の御霊の神気を感じたことで、霊鎮めが上手く出来ている事を確信した梓は幾分落ち着きを取り戻した。
気付けば地震もいつの間にか収まっている。
竜輝も苦し気なうめき声が無くなり、眉間のしわも消えた。そしてゆっくりと瞼が上がった。
「……梓?」
名を呼ばれ、梓は泣きそうになりながらも笑みを浮かべる。
髪の色も、目の色も戻ってはいない。
顔にある鱗とて、減っている様には見えない。
だが増えてもいない事で一先ずは彼が龍となることを止められたのだと知る。
その安堵に、梓は心からの喜びを口にする。
「竜輝様……良かった」
嬉しさに、胸にある彼の頭をぎゅうっと抱きしめた。
(まずは何て切り出そう。……やっぱり謝罪からよね。そして、私が巫として仕えるのを許してもらわないと)
廊下を進みながらまずは何を言うべきか考える。
昼間はただ驚いた様子の竜輝だったが、流石に今もそのままというわけではないだろう。
冷静になって、ある程度の予測は立てているはずだ。
それでも事情を知れば怒りを覚えるだろう。どんな理由だったとしても、彼を騙したことに変わりはないのだから。
(巫として――花嫁としてもらってくださいと言ったら、竜輝様は私を憎むかしら?)
愛する婚約者がいるのに、その婚約を解消して自分と婚姻を結ばなくてはならないとなれば憎まれてもおかしくはない。
それを思うと、鬱々とした気分になってしまう。
婚姻という方法を取らずに霊鎮めが出来るなら良いのだろうが、それは無理な話だ。
巫が荒御霊を鎮める為には肌を合わせなければならない。手で触れるだけでは意味がないということは身をもって知った。
もっと、広範囲で触れ合わなくてはいけないのだろう。
他に相手がいる状態でそんなことをするわけにはいかない。
若い男女が肌を触れ合わせて、何も起こらないという保証はないのだから。その何かが起こった場合、他に婚姻相手がいれば大問題になる。
その問題は龍と神和ぎの関係悪化につながり結界の維持にも支障が出てしまうだろう。
また、梓が妾という立場になることも出来ない。
神和ぎは龍に仕える人間ではあるが、そこには確かな信頼関係が必要なのだ。
霊鎮めのために仕えている娘が妾などという立場にされてしまえば、神和ぎの一族に不信が広がってしまう。
だから巫と龍はそこに愛がなくとも婚姻という方法を取るしかないのだ。
憎まれたとしても甘んじて受け入れよう。
覡を使わせられなかったのは竜ヶ峰の落ち度だ。
そして、愛のない婚姻でも竜輝を選んだのは自分の我が儘。
もしかすると、竜輝は愛する婚約者と結ばれないくらいなら龍となって神の国に行ってしまった方がいいと考えるかもしれない。
(だから、これは私の我が儘でしかない。憎まれても良い。竜輝様が人の世に留まってくれるのなら、それも受け止めよう)
苦しくとも、竜輝のすべてを受け入れる覚悟で彼の部屋のドアの前に立った。
龍見家の本邸は基本的に和室だが、寝室に使われている場所は洋室の方が多いらしい。
以前は和室だったと思うのだが、改装したのだろうか。目の前の竜輝の部屋も洋室の様だった。
深く呼吸をした後、その洋室のドアをノックしようとした梓の手が止まる。
しっかり閉められていなかったのか、僅かに開いていたドアの隙間から話し声が聞こえてきたからだ。
「……招殿ではなく梓殿だった、と?」
竜輝の部屋から聞こえたのは砂羽の声だった。遅くなると聞いていたが、もう用事を終えて帰って来ていたのだろうか。
「ああ……今思えば何かと触れてくる手も男のものとは思えぬほど柔らかかったし、声も男にしては少し高めだった」
「……」
会話の内容に、盗み聞きだと思いつつも去ることが出来なかった。
竜輝は梓のことを家の者に言いふらしてはいないようだったが、流石に従兄でもある側近の砂羽には話しているようだったから。
彼らの会話が自分の処遇を決めるかも知れないと思うと、聞かずにはいられなかった。
「……事情は聞かれたのですか?」
驚いた様子もなく淡々と問う砂羽に、竜輝は「いや」と否定の言葉を口にする。
「どうすればいいのか疑問ばかりが浮かびどうすることも出来ず、とりあえず仕事を片付けなくてはと書類に目を通していた」
「はぁ、それでこんな時間まで問い質すこともせずにいたと?」
「……」
どうやら竜輝はあの後からずっと仕事を続けていたらしい。
仕事をする主人を放置してしまったと申し訳なく思った。
「……とにかく話を聞かないことにはどうも出来ないでしょう」
ため息交じりの砂羽の言葉に、竜輝は「そうだな」と同意する。
そうして衣擦れの音が聞こえ、ドアの方に移動してくるのだと気付いた。
このままでは盗み聞きしていたことが知られてしまう。
慌てた梓はとりあえず一度自室に戻るべきかと判断してドアから離れようとした。
だが、踵を返そうとしたその時部屋の中で異変が起こる。
ドッと、人が倒れ込むような音。そして――。
「竜輝様⁉」
先ほどまで淡々と話していた砂羽の焦りを含んだ声に異常さを感じた。
「うっ……ぐぅ……」
苦し気な竜輝の声と共に、また地が揺れる。
体感なので正確ではないが、昼よりも揺れが強い気がした。
(叔父さんはこの地震が荒御霊を鎮められていないせいだと言っていたわよね? じゃあ、竜輝様はまた龍に近付いてしまう⁉)
そのことに思い至った途端、梓は弾かれた様にドアノブに手をかけ部屋に入る。
「竜輝様!」
龍になって、自分の側からいなくなってしまう。
愛されなくても、憎まれてもかまわないと思った。でも、彼がいなくなってしまうことだけは絶対に受け入れることは出来ない。
その思いだけで床に倒れ込む竜輝の側に行く。膝をつき、彼の手を取った。
だが、昼とは違い地の揺れも竜輝の苦しみもすぐには治まらない。
「竜輝様……」
焦りが募り声が震える。
そんな梓に、同じく膝をつき竜輝の体を支えていた砂羽がいつもより低い声で話した。
「梓殿、もう悠長なことはしていられません。手で触れるだけでは意味がないことはもう理解していますね?」
「え? は、はい」
「では、私はドアの外にいますから竜輝様の霊鎮めをお願いします」
早口でそう告げた砂羽は梓の返事を聞くことなく部屋を出て行く。
その様子に彼も焦っているのだと気付いた。
(ということは、このままでは本当に竜輝様は龍に?)
本当に猶予がないのだと知り、梓は躊躇いを捨てた。
スーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。ワイシャツのボタンを外して、胸元を晒した。
さらしは流石に外している時間はない。
とにかく肌を合わせなければと、竜輝の頬を自分の鎖骨に当てるように抱き込んだ。
白金の髪が汗を吸ってしっとり濡れている。
邪魔そうな前髪を指先で寄せ、そのまま彼の反対の頬を手のひらで包む。
少しざらつく鱗に触れ、これ以上増えないでと願った。
「竜輝様……」
まだ苦し気な竜輝は眉間にしわを寄せ目を閉じている。
鱗は増えてはいないが、減ってもいない。
「龍になってしまわないで……」
声が届いているのかも分からないが、とにかく願い、肌に触れた。
そうして彼の頭を抱き続けてると、いつものように梓の熱が竜輝に移る。
(……ううん、違う。これは私の熱が竜輝様に移っているんじゃない)
いつもより広範囲で肌を触れ合わせているからだろうか?
自分の身に何が起こっているのか、よく分かった。
梓の熱が竜輝に移るのではない。
彼の中にある御霊の澄んだ神気が自分に移っているのだ。
ひんやりとした神気が、巫の身に入り込み大地へ――人の世へと満ちていく。
そうか、これが神和ぎの力。そのお役目なのだ。
竜輝の御霊の神気を感じたことで、霊鎮めが上手く出来ている事を確信した梓は幾分落ち着きを取り戻した。
気付けば地震もいつの間にか収まっている。
竜輝も苦し気なうめき声が無くなり、眉間のしわも消えた。そしてゆっくりと瞼が上がった。
「……梓?」
名を呼ばれ、梓は泣きそうになりながらも笑みを浮かべる。
髪の色も、目の色も戻ってはいない。
顔にある鱗とて、減っている様には見えない。
だが増えてもいない事で一先ずは彼が龍となることを止められたのだと知る。
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