ゆみのり

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#7 沈没船の行方

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「どうしてこんな事に……」

 川上は頭を抱えながら部屋の隅っこで膝を抱えて震えていた。僕たちの乗っている豪華客船がユラユラと揺れて、激しい音がする。その瞬間、下に向かって客船が落ちた。

「市ヶ谷が旅行なんて当てるから悪いんだ!」

 川上は僕に八つ当たりをする。まぁ、確かに福引で海外旅行を当てて、誘ったのは僕だけど……その誘いに乗ったのは川上だろう。

「じゃあ、来なければ良かったじゃん。嬉しそうに準備してたくせに」

「何だと?!」と川上は僕に向かってきて胸倉を掴む。「お前が一人で行くの不安だって言ったから、付いて行ってあげたんだろ!」

 僕は胸倉を掴む手を振り払い、「もういいよ」と淡々とした口調で言う。「僕が悪かったって事でいい。それよりも、これからどうするかが問題じゃないか?」

 川上は近くに置いてあるゴミ箱を蹴飛ばし、「くそ!」と鬱憤を吐き出す。

「とりあえず、現状を整理しよう」

「そんな暇あるのか?!」

 船がぐわんぐわんと揺れる。僕たちはバランスを崩して壁に手をついた。

「暇はないけど……現状を把握する事は大事だよ」

 と、僕はバッグの中からスケッチブックを取り出す。そして、鉛筆で自分たちが乗っている船を横から見た断面図を描いた。

「まず、僕たちのいるのがここ」と船の真ん中の辺りに〇を描き、「船に何かが起こり、沈んだのは一時間前」と時間を記す。

「その時に船員さんたちが客のために救命ボートを用意してくれたら良かったんだけど……あろうことか、彼らは自分たちだけ沈没に気付き、初期の段階で逃げたんだ」

「あいつら……見つけたらぶっ殺してやる!」

「そのせいで、僕たちは沈没していることに気付くのが遅れた……。一時間前に大きな揺れがあったから、きっとその時に沈んだんだと思う。だから、一時間前という時間は僕の予想だね」

「うん。で、どうすんだよ?呑気にお絵かきしてる場合か?!」

「まぁ、待てって」と僕は船の後ろの方に〇を書く。「確か、ここ。倉庫に小さなゴムボートがあったように思う」

「え?」と川上は驚き、「どうして知ってるんだ?」と僕に聞いて来た。

「あぁ、自由行動した時あったじゃん?その時に散策してて見つけたんだ」

「じゃあ、そこに行けば……!」

 僕はスケッチブックを畳み、「他の人が行ってなければいいんだけど……」と言って、扉の方を見る。

「どうしてすぐに言わなかった?」

 という問いに、僕はなんて応えようかと迷った。

「まぁいいや。とにかくそこに行こう!」と川上は廊下へ出る。「誰かに先を越される前に……早く!」

 僕もあとに続き廊下に出ると、海水が絨毯に沁み込んでいた。ここもそのうち沈んでしまうのだろう……早く脱出しなければ……すると、向かいの扉が開き、一人の女性“乃空小南”が出てきて僕を見る。

「どこへ行くんですか?デッキに出ても無意味でしたよね?救命ボートも無ければ、船員もいなかった……」

 そうだ。異変に気付いた僕は、同じく異変に気付き廊下に出た小南さんとデッキへ向かった。デッキでは船員がボートに乗り遠くに行っており、外は嵐でとてもデッキに居れる状態ではなく戻ってきたのだ。他の乗客もデッキの辺りに様子を見に来て嘆いていたように思う。

「あ……いや……」と僕が言うと、小南さんに気付いた川上が振り向き僕に訊ねる。

「市ヶ谷、だれ?この美しい女性」

 あーー……出た出た。川上の下心。部屋に戻った時も、小南さんの事は言わないでおいたのに……こうなっちゃうか……仕方ないよな。

「私は……」と小南さんが言葉にする。「乃空小南といいます。川上さんと一緒にデッキに様子を見に行って……」

 そこまで言わなくてもいいのに……と思いながら、「そういうこと」と僕は言った。「緊急事態だったから、小南さんの事はあえて言わなかった」

「ズルいじゃんかよーー!え?どこから来たんですか?どこに住んでるんですか?」

 バカなのか、こんな時に。今はそれどころではないだろう。何で僕はこんな奴と友達になったのだろう……いつもいつも僕に迷惑ばかりかけてくる。いつもいつも……

「あの、連絡先教えてくれませんか?」

 小南さんは僕の方に助け舟を求める。僕は苦笑いをして、川上の腕を掴む。

「今はそれどころじゃないだろ。生き残ってから聞けばいいだろ!」

「いや、でもさ、生き残れなかったらどうする?だったら今ここで楽しい思いしたほうが良くない?」

「え?」と僕は一瞬思考が停止する。「冗談だろ?」

「冗談なわけないだろ。よく考えろよ、この嵐の中、脱出できたとして、そのあと生き残れると思うか?海を彷徨って、誰かに発見されると思うか?」

 小南さんは川上の異常性に恐怖を覚え、部屋に戻ろうとした。しかし、川上が小南さんの腕を掴む。

「だめだめ、どこ行くの?」と小南さんに言い、僕の方を見る。「ほら、市ヶ谷もこっち来いよ」

「やめろよ。いい加減にしろ。今はここを脱出する事を考えろよ」

「だからさぁ……もう絶対無理だよ。誰も助けに来ない。だったらさ、二人で遊ぼうぜ」

 その言い方に僕は引っかかった。二人?それはどの二人だ?僕と川上という事か?だとしたら、小南さんはなんだ?玩具か?

「こんな状況だしさ、小南ちゃんも仲良くしようよ。どうせ死ぬんだし」

 川上が何をやりたいのか、僕は確信した。つまり強制的に……そういうことだろ?あぁ……何でこんな奴と友達になったのだろう……ほんと、後悔ばかりだ……

 小南さんは「離してください!」と叫び、手を振り払おうとする。しかし、川上の力は思ったよりも強くて、壁に追い詰められた。僕は川上の服を掴む。

「おい、もうやめろって。早くゴムボートに向かおう」

「うるせぇなぁ……」と川上は言い、小南さんの腕を掴んだまま僕の方を見る。その目に光は無く、まるで獲物を狙う獣のような目だった。

「市ヶ谷よぉ。良い子ぶってるけど、お前も共犯者だからな?忘れてないよな?あの日のこと」

 僕の頭に嫌な過去がフラッシュバックする。あの時も天候は荒れていた。そして、月明かりもない夜だった。僕と川上は人の来ない山奥で、地面を掘っていた。ズボンが泥まみれになり、手がボロボロになっても、スコップを一生懸命に動かし、土をすくい、穴の横に積んでいく。ある程度穴が掘れたところで、川上はビニールシートに包んだ何かを車から引きずり出し、そして、穴の中へ放り投げる。

 そして、川上は僕のほうを見て言う。

“お前も共犯だからな”

 僕はあの時、家でテレビを見ているだけだった。それなのに、理由を説明されないまま呼び出されて川上の元へ行くと、川上は“人、殺しちゃった”と言い、死体を見せてきた。そして、僕に死体を埋める手伝いをしてほしいと頼んできたのだ。断れば僕も殺すと言ってきた。一人殺そうが、二人殺そうが同じだと。

 川上は今、あの時の事を持ち出し、脅しをかけてきている。あぁ……神様……と僕は自分の運命を呪った。でも、因果応報なのだろう。こうなって当然なのかもしれない……だったら、いっそのこと……

「あぁ、わかった。川上はそのまま押さえつけといてくれ。ちょっとロープ探してくる」

 小南さんは「やだ!!」と泣きながら言って、川上はそれを見て笑っている。「助けて市ヶ谷さん!」

 僕はそれを聞かなかった事にして、部屋に戻る。そして、ある場所からロープを取り出す。そして、二人の元に戻り、僕はロープを川上の首にかけた。

「は?」と川上は驚き、こちらを向こうとした瞬間に、勢いよくロープで首を絞める。

 背後から絞めたから、川上は抵抗できずに膝から崩れ落ちた。そして意識を失う。死んだかどうかを確認しようと思ったが、やめた。

「行きましょう」と僕は震える小南さんに声をかけた。「怖い思いさせて、ごめんなさい……」

 小南さんは震えながら、僕のことをまるでゴミでも見るような目で見ていた。そりゃそうだ。自分を襲ってきた男と一緒に居た男だから、信用できるわけない。だから僕は、廊下の先を指さして言った。

「この先をまっすぐ行けば、倉庫があります。そこに、ゴムボートがあるはずです。それがあるから助かるかはわかりませんが……生存率は上がるかな?と思います。どうか、使ってください」

 小南さんはヨロヨロと歩き、僕から離れる。しかし立ち止まり、「市ヶ谷さんは?」と心配そうな目を向けてくれた。ちょっと信用が回復したのかな?と嬉しくなる。

「僕は、この船と一緒に沈みます」

「ダメです。一緒に行きましょう」

「なぜ?僕は、こいつと一緒に居た男ですよ。こいつの言う、共犯者に違いない」

「でも、私を助けてくれた」

「ははは……」と僕は笑う。「僕はそんな良い人間じゃないです」

「どうして?市ヶ谷さんは、その人に付き合わされてただけじゃないんですか?」

「えぇ、こいつに付き合わされて、色々悪さをしてきました……本当はやりたくなかったのに……」

「だったら……」

 僕は、川上を絞めたロープを持ち、言う。

「どうしてこんなロープがあったかわかりますか?」

 小南さんは少し考え、「まさか……」と驚く。

「そうです。元々殺す気でこの旅行に付いてきてもらったんです。そして、事故に見せかけて海に捨てようと思ってた……」

 僕は堪え切れずに涙を流す。

「でも……船が沈没して、計画は台無しだ……こいつを殺せても、僕も死んだら意味がない」

「だったら一緒に行きましょうよ!」

「無理なんですよ」と僕は苦笑いをして、言葉を続ける。「そのボート、一人用なんです」

 小南さんは驚き、困惑して何かを考える。

「だとしたら、どうして一緒に向かおうとしたんですか?」

「川上と二人で向かうなら、川上を見捨てて脱出しようと思ってました。でも、小南さんが現れて、小南さんをボートに乗せなければと思いました。僕が川上と一緒にここに残ろうかと……」

 場当たり的な考えと行動に自分が嫌になる。そんなんだから、こんな状況になるのだろう……。僕が涙を流していると、小南さんはハンカチを取り出して僕の涙を拭いてくれた。そして、僕に優しく言葉をかける。

「良い考えがあります」

「え?」と僕は小南さんの顔を見る。小南さんは、僕の後ろにいる川上に目を向けた。

「まだ、生きてますよね?その人」

 あぁ……と、僕は川上の脈を確認する。確かにまだ生きていた。そこで僕は、まさか……と小南さんを見る。

*****

 嵐の中、海の上に一人用のボートが浮かぶ。そこに乗っているのは川上だった。僕と小南さんは、デッキの上から川上が流されていくのを見ている。僕たちは嵐から逃れるために再び船の中へと戻った。だいぶ浸水してきていて、もう、自分たちの部屋に戻るのは無理かもしれない。でも、と近くの扉に入る。スタッフの人が利用するような部屋で、その中には僅かな食料や飲み物が置かれていた。

 僕はゴムボートを運ぶときに、一緒にバッグも持ってきていた。その中からスケッチブックを出す。そして椅子に座り、小南さんのほうを見る。

「スケッチしてもいいですか?」

「いいですよ。絵、好きなんですか?」

「えぇ、夢は、画家になることでした」

「過去形?」と、小南さんは困ったような笑顔をする。

「もう、こんな状況で夢を追うのは無理でしょう」

「わからないですよ。もしかしたら、私たちが助かるかも?」

「まさか……」と僕はスケッチブックを置き、「そうだ」と立ち上がる。

「小南さん、温かい物、入れましょうか?まだガスは使えるかと……」

「じゃあ、お願いしようかな。そうだ、他の乗客はどうしてるのかな?」

 そう小南さんに言われて、僕は忘れていたことに気付いた。

「あぁ……まだ部屋で怯えてるのかも?」

「その人たちにも、分けてあげませんか?」

「いいですね」

 小南さんは良い人だな。僕の人生は、あまり良いものではなかった。でも、最後の最後にこうやって良い人と出会て、僕は幸せなのかもしれない……

*****

2022年9月25日。無人島に豪華客船が座礁しているのを漁師が発見。調べによると、数日前に嵐で行方がわからなくなった船のようだ。中から乗客数名を救出。船を脱出したと思われる人たちの行方は現在も捜査中。尚、救出された方たちは命に別状はないとのこと。

【#7】沈没船の行方【没】
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