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#6 没兄弟
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浩市兄さんがもうすぐ死ぬらしい。
その知らせを聞いたのは、僕が仕事を終えて帰る途中だった。何年も前からアプローチをしていた取引先との大きな商談が上手くいき、ご機嫌で車を走らせて帰っている途中、スマホがメロディを奏でたのだ。僕は道路の端に車を停めて、スマホの画面を見る。すると、そこに表示されていた名前は浩市兄さんの嫁、岸野鈴子からだった。
「もしもし?」と僕が言うと、電話の向こう側からすすり泣く声が聞こえてきた。
そして、「ごめんなさい」と鈴子さんは謝る。「浩市さんが……もうすぐ死ぬかもしれないの……」
「え?」と僕は驚き、「ごめん、よくわかんない」と聞き返す。
「実は、ずっと重い病気を抱えてて、ずっと家で看病していたの……でも、もう残り僅かだって先生が……」
いやいやいや、待って待って、どういう事?僕はパニックになったが、鈴子さんのほうが僕よりも慌てていた。そりゃそうだ、夫が死にそうなんだから。
「どうしよう……私、どうしたらいいの……?」
「本当に、もうすぐなの?」
「うん……もう意識もなくて……」
「病院で治療はできないの?」
「もう無理だって……家に来てくれた先生が言ってた……」
こりゃ大変だ……兄さんが、そんな……
「とりあえず……」と言ってから長い間を経て言葉を続ける。「これから家に行くから、待ってて」
「うん……気を付けてね」
*****
浩市兄さんが死ぬ……あの浩市兄さんが……
正直、僕は浩市兄さんの事がそれほど好きではなかった。嘘つきだし、ズルばかりする。金への執着心が強くて、親にも散々迷惑をかけていた。だから、兄さんが死ぬときも、大して動揺しないだろうと思っていた。だけど、違ったんだ。今の僕は、手が震えるほど動機が激しくなっている。
震える手でハンドルを操作して、三十分かけて兄の家に到着した。そして、車を止める。すると、スマホが鳴った。僕は画面を見て、一瞬我に返る。なんと、取引先の担当の人からの電話だった。結構偉い立場の人で、緊張が走る。
僕は通話ボタンを押して、「もしもしお疲れ様です」と言った。すると、相手からも「お疲れ様」と言葉を貰う。
「えっと……どうされましたか?」
「あぁ、今日はありがとう。凄く有意義な商談だったよ。それでだね。今後の事について、飲みながらこれからもう一度じっくりと話せないかな?もちろん、わたしの奢りで」
なんというタイミングだ……と僕は頭を抱える。今はそれどころではない……でも、断れば……商談は無かった事になるかもしれない。何故ならこの取引先の人は、誘いを断られるのがめちゃくちゃ嫌いらしい。凄く仲良くしていた相手とも、一度誘いを断られただけでブチ切れてそれ以降連絡を取らなくなったという。
「どうかな?良い店を知っているんだ。そこで仕事の事について語ろうじゃないか」
僕は兄の家を見上げる。立派な家だ。だけど、これは全て親が出してくれたお金なのだ。僕もローンの返済のためにいくらか出したのを今でも根に持っている。自分で買った家のローンぐらい、自分たちで計画立てて返せよ……。何かあるたびにお金を無心に来て、いい加減ウンザリしていた。親も憔悴しきっていた。ほんと、腹立たしい……
こんなことで商談を無駄にされるのか?それは嫌だ……しかし、しかしだ……兄との良い思い出もある。僕が困っている時、助けてくれたこともある。いや、でも、違う。その助けた事をいつまでもネチネチと兄は恩着せがましく言ってきていた。うーむ……悩ましい……
「今、どこに居るんだい?」
取引先の人は、早く返事をもらいたくてウズウズしていた。そろそろ決断しなければと思い、僕は「申し訳ありません」と頭を下げた。「大事な予定が入っていまして……」
「あーーそう……じゃあ、この話は無かったことで」
問答無用だった。こんなにあっさりと終わるものなのか?これが上手くいけば、会社での評価が上がって、僕のお給料も倍近くに増えるはずだったのに……本当にこれで良かったのだろうか?いや、これでいいのだ。今は兄の方が大事だ。少しでも長く、生きている兄の姿を見たい。あんな兄でも、僕の兄弟なのだ。
僕は車から降りて、玄関へ向かった。インターホンを押すと、鈴子さんの声がして中へ上がる。そして、奥の和室へと案内された。
「浩市さんはここに……」と鈴子さんは僕に襖を開けるように言ってきた。「最後の顔、見てあげてください」
鈴子さんは涙をポロポロと零し、それをハンカチで拭っている。僕は震える手で襖を開けようと手を伸ばす。そこでふと、僕は疑問に思った。
あの兄が、自分が病気だって事を隠すだろうか?それを理由に金を無心に来るはずではないか?あの兄だぞ?いや、もしかして、これって僕を騙そうとしているのでは?襖を開けた瞬間、ドッキリと書かれた紙を持って、嫁さんがクラッカーを鳴らして「大成功!」と紙吹雪を僕の頭上から降らすのでは?
いや、考えすぎか?どっちだ?この嫁さんもたいがいだぞ。だって、一緒に金を無心に来る人だぞ?
「どうしました?」と、鈴子さんは僕に目を向ける。「早くしないと兄が……」
「いや、ごめんなさい、緊張して……」
「色々、ありましたもんね……」
色々……そうだ。色々とあった。何回も兄とは喧嘩した思い出がある。子供の頃も、大人になってからも……
「浩市さんは、病気の事だけは黙っていようと決めていたんです。今までお金を借りようとお願いに行きましたが……病気の事だけは持ち出さないようにしようって……」
「どうして?」
「心配をかけたくなかったんです……」
「もしかして……」と僕は、ハッとして言う。「お金が無かったのは、病気が原因で?」
鈴子さんは頷いて、「病気のせいで……仕事が長続きしなくて……本当に今まで、申し訳ありませんでした……」と頭を下げる。
「いやいや、そんな……」
そんな……と僕は今までの自分の考えを恥ずかしく思った。今にも死にそうな兄を目の前にして……何て愚かな思考なんだ……僕はなんて馬鹿なんだ……
「ごめんなさい……」と僕は謝った。「もしかしたら、また兄は僕を騙そうとしているのではないかって……思ってしまって……」
鈴子さんは「いいんです」と首を横に振る。「仕方のないことですから……」
仕方のないことか……でも、兄の死ぬ前の顔を見たら、それも全部許そう。全部を無かったことにしてあげよう……仕方が無かったと……全部……
僕は意を決して襖を開ける。すると、そこには布団にくるまる兄の姿があり、そして、僕が和室に足を踏み入れた瞬間、兄の身体がピクリと動いた。
「兄さん……」と声をかけると、兄は勢いよく起き上がり。ドッキリ!と書かれた紙を取り出した。そして、後ろで鈴子さんが隠し持っていたクラッカーを鳴らす。
「ドッキリ、大成功!」と二人は言い、兄が紙吹雪を僕の頭上から降らす。
「病気なわけないじゃーーん!」と兄は笑いながら言う。そして、手をすり合わせて僕に近寄ってくる。
「それはそうと、金貸してくんない?」
あぁ……と僕は人形のように床に崩れ落ちた。あぁ……こんな奴のために……僕は……。
「おいおい、大丈夫か?もっと喜べよ。兄さんは死んでないぜーー。超健康!」
ははは。いや、ダメだ。ここで倒れていてはダメだ……と、僕はすぐさま起き上がり、台所に向かい、そして、包丁を取り出して「はははははっはあははははははははははははははははははははは」と狂ったように笑い、和室に向かってダッシュした。
【#6】没兄弟【没】
その知らせを聞いたのは、僕が仕事を終えて帰る途中だった。何年も前からアプローチをしていた取引先との大きな商談が上手くいき、ご機嫌で車を走らせて帰っている途中、スマホがメロディを奏でたのだ。僕は道路の端に車を停めて、スマホの画面を見る。すると、そこに表示されていた名前は浩市兄さんの嫁、岸野鈴子からだった。
「もしもし?」と僕が言うと、電話の向こう側からすすり泣く声が聞こえてきた。
そして、「ごめんなさい」と鈴子さんは謝る。「浩市さんが……もうすぐ死ぬかもしれないの……」
「え?」と僕は驚き、「ごめん、よくわかんない」と聞き返す。
「実は、ずっと重い病気を抱えてて、ずっと家で看病していたの……でも、もう残り僅かだって先生が……」
いやいやいや、待って待って、どういう事?僕はパニックになったが、鈴子さんのほうが僕よりも慌てていた。そりゃそうだ、夫が死にそうなんだから。
「どうしよう……私、どうしたらいいの……?」
「本当に、もうすぐなの?」
「うん……もう意識もなくて……」
「病院で治療はできないの?」
「もう無理だって……家に来てくれた先生が言ってた……」
こりゃ大変だ……兄さんが、そんな……
「とりあえず……」と言ってから長い間を経て言葉を続ける。「これから家に行くから、待ってて」
「うん……気を付けてね」
*****
浩市兄さんが死ぬ……あの浩市兄さんが……
正直、僕は浩市兄さんの事がそれほど好きではなかった。嘘つきだし、ズルばかりする。金への執着心が強くて、親にも散々迷惑をかけていた。だから、兄さんが死ぬときも、大して動揺しないだろうと思っていた。だけど、違ったんだ。今の僕は、手が震えるほど動機が激しくなっている。
震える手でハンドルを操作して、三十分かけて兄の家に到着した。そして、車を止める。すると、スマホが鳴った。僕は画面を見て、一瞬我に返る。なんと、取引先の担当の人からの電話だった。結構偉い立場の人で、緊張が走る。
僕は通話ボタンを押して、「もしもしお疲れ様です」と言った。すると、相手からも「お疲れ様」と言葉を貰う。
「えっと……どうされましたか?」
「あぁ、今日はありがとう。凄く有意義な商談だったよ。それでだね。今後の事について、飲みながらこれからもう一度じっくりと話せないかな?もちろん、わたしの奢りで」
なんというタイミングだ……と僕は頭を抱える。今はそれどころではない……でも、断れば……商談は無かった事になるかもしれない。何故ならこの取引先の人は、誘いを断られるのがめちゃくちゃ嫌いらしい。凄く仲良くしていた相手とも、一度誘いを断られただけでブチ切れてそれ以降連絡を取らなくなったという。
「どうかな?良い店を知っているんだ。そこで仕事の事について語ろうじゃないか」
僕は兄の家を見上げる。立派な家だ。だけど、これは全て親が出してくれたお金なのだ。僕もローンの返済のためにいくらか出したのを今でも根に持っている。自分で買った家のローンぐらい、自分たちで計画立てて返せよ……。何かあるたびにお金を無心に来て、いい加減ウンザリしていた。親も憔悴しきっていた。ほんと、腹立たしい……
こんなことで商談を無駄にされるのか?それは嫌だ……しかし、しかしだ……兄との良い思い出もある。僕が困っている時、助けてくれたこともある。いや、でも、違う。その助けた事をいつまでもネチネチと兄は恩着せがましく言ってきていた。うーむ……悩ましい……
「今、どこに居るんだい?」
取引先の人は、早く返事をもらいたくてウズウズしていた。そろそろ決断しなければと思い、僕は「申し訳ありません」と頭を下げた。「大事な予定が入っていまして……」
「あーーそう……じゃあ、この話は無かったことで」
問答無用だった。こんなにあっさりと終わるものなのか?これが上手くいけば、会社での評価が上がって、僕のお給料も倍近くに増えるはずだったのに……本当にこれで良かったのだろうか?いや、これでいいのだ。今は兄の方が大事だ。少しでも長く、生きている兄の姿を見たい。あんな兄でも、僕の兄弟なのだ。
僕は車から降りて、玄関へ向かった。インターホンを押すと、鈴子さんの声がして中へ上がる。そして、奥の和室へと案内された。
「浩市さんはここに……」と鈴子さんは僕に襖を開けるように言ってきた。「最後の顔、見てあげてください」
鈴子さんは涙をポロポロと零し、それをハンカチで拭っている。僕は震える手で襖を開けようと手を伸ばす。そこでふと、僕は疑問に思った。
あの兄が、自分が病気だって事を隠すだろうか?それを理由に金を無心に来るはずではないか?あの兄だぞ?いや、もしかして、これって僕を騙そうとしているのでは?襖を開けた瞬間、ドッキリと書かれた紙を持って、嫁さんがクラッカーを鳴らして「大成功!」と紙吹雪を僕の頭上から降らすのでは?
いや、考えすぎか?どっちだ?この嫁さんもたいがいだぞ。だって、一緒に金を無心に来る人だぞ?
「どうしました?」と、鈴子さんは僕に目を向ける。「早くしないと兄が……」
「いや、ごめんなさい、緊張して……」
「色々、ありましたもんね……」
色々……そうだ。色々とあった。何回も兄とは喧嘩した思い出がある。子供の頃も、大人になってからも……
「浩市さんは、病気の事だけは黙っていようと決めていたんです。今までお金を借りようとお願いに行きましたが……病気の事だけは持ち出さないようにしようって……」
「どうして?」
「心配をかけたくなかったんです……」
「もしかして……」と僕は、ハッとして言う。「お金が無かったのは、病気が原因で?」
鈴子さんは頷いて、「病気のせいで……仕事が長続きしなくて……本当に今まで、申し訳ありませんでした……」と頭を下げる。
「いやいや、そんな……」
そんな……と僕は今までの自分の考えを恥ずかしく思った。今にも死にそうな兄を目の前にして……何て愚かな思考なんだ……僕はなんて馬鹿なんだ……
「ごめんなさい……」と僕は謝った。「もしかしたら、また兄は僕を騙そうとしているのではないかって……思ってしまって……」
鈴子さんは「いいんです」と首を横に振る。「仕方のないことですから……」
仕方のないことか……でも、兄の死ぬ前の顔を見たら、それも全部許そう。全部を無かったことにしてあげよう……仕方が無かったと……全部……
僕は意を決して襖を開ける。すると、そこには布団にくるまる兄の姿があり、そして、僕が和室に足を踏み入れた瞬間、兄の身体がピクリと動いた。
「兄さん……」と声をかけると、兄は勢いよく起き上がり。ドッキリ!と書かれた紙を取り出した。そして、後ろで鈴子さんが隠し持っていたクラッカーを鳴らす。
「ドッキリ、大成功!」と二人は言い、兄が紙吹雪を僕の頭上から降らす。
「病気なわけないじゃーーん!」と兄は笑いながら言う。そして、手をすり合わせて僕に近寄ってくる。
「それはそうと、金貸してくんない?」
あぁ……と僕は人形のように床に崩れ落ちた。あぁ……こんな奴のために……僕は……。
「おいおい、大丈夫か?もっと喜べよ。兄さんは死んでないぜーー。超健康!」
ははは。いや、ダメだ。ここで倒れていてはダメだ……と、僕はすぐさま起き上がり、台所に向かい、そして、包丁を取り出して「はははははっはあははははははははははははははははははははは」と狂ったように笑い、和室に向かってダッシュした。
【#6】没兄弟【没】
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