覇道の流儀~没落確定の辺境伯令息は、血と謀略で冷酷なる公爵令嬢たちを支配(愛)する~

namisan

文字の大きさ
1 / 17

第1話:『豪奢な寝室の重圧と、美しき毒薬の報せ』

しおりを挟む
頭蓋骨の内側を、熱く焼け付くような鈍痛が支配していた。
 アルベルト・フォン・ローゼンベルクは、重くのしかかる羽毛布団の中でゆっくりと目を開いた。視界に飛び込んできたのは、見慣れたはずの、天蓋から垂れ下がる豪奢な深紅の布地だ。しかし、今の彼にとってそれは、どこかひどく現実離れした演劇の小道具のように感じられた。
 現代日本での記憶。巨大企業の不正を暴き、帳簿の底に隠された嘘を炙り出し、無能な経営陣を冷徹に切り捨ててきた「企業再建の専門家(リストラ・請負人)」としての生。血の通わない数字と法律だけを信じ、最後は部下の裏切りによって命を落とした三十数年間の記憶が、今朝、唐突に濁流となって十五歳の少年の脳髄に流れ込み、そして完全に融合を果たしていた。
 アルベルトはゆっくりと上体を起こした。シーツに触れる手のひらには、最高級の絹がもたらす冷たく滑らかな感触がある。しかし、深く息を吸い込むと、肺を満たすのはカビと古い石材、そして微かな獣脂の匂いだった。何世代にもわたって辺境の防衛を担ってきたローゼンベルク家の居城は、その歴史の重さと同じくらい、隠しきれない老朽化の匂いを漂わせている。
 扉をノックする音すらなく、二人の専属メイドが足音を殺して寝室に入ってきた。彼女たちは一切の感情を顔に出さず、ただ機械的な正確さでアルベルトの寝巻きを剥ぎ取り、朝の身支度を始める。
 温かい湯で絞られた布が顔を拭い、首筋を清める。アルベルトは黙ってその奉仕を受け入れながら、自らの肉体に纏わされる衣服の重みを感じ取っていた。希少な魔獣の糸を織り込んだ漆黒の生地に、銀糸で施された我が家の家紋。防刃効果すら持つというその重衣は、物理的な重量以上に、没落の危機に瀕している辺境伯家の見栄と意地の重さそのものだった。
 メイドの一人が、彼の首元にクラヴァットを巻きつけながら、ほんの一瞬だけ手元の動きを止めた。アルベルトは鏡越しに彼女の視線の先を追う。そこには、部屋の隅に敷かれたペルシャ絨毯の、微かに擦り切れた縁があった。
 こんな細部にまで、財政難という病魔は確実に進行している。かつては大陸屈指の武門と謳われた我が家も、今や中央の派閥争いに敗れ、莫大な負債と隣国の脅威に挟まれて窒息寸前だ。資産は枯渇し、負債は膨張し、経営陣たる父は無気力。通常の企業であれば、即座に倒産処理に入るべき致命的な状況である。
 身支度を終え、アルベルトは静かに寝室を出た。
 薄暗い石造りの廊下には、歴代当主の肖像画が等間隔に飾られている。隙間風が容赦なく吹き抜け、燭台の炎が頼りなく揺れていた。その廊下の中腹で、アルベルトはふと足を止めた。
 壁に掛けられた一枚の肖像画。そこに描かれているのは、三年前に他界した母、イザベラの姿だった。
 公式には「流行り病」とされている。だが、アルベルトも、父も、家臣たちも皆知っていた。王国の実権を握る宰相派の横暴にたった一人で外交戦を挑み、彼らの不興を買った母が、ある夜の晩餐の後に突然血を吐いて倒れたことを。証拠は隠滅され、王家お抱えの医師すらも口を噤んだ。あの夜、母という政治的な頭脳を失った瞬間から、純粋な武人であった父の心は完全に壊れ、ローゼンベルク家は転がり落ちるように没落への道を歩み始めたのだ。
 アルベルトは母の肖像画を冷徹な目で見つめ返し、ただ一言も発することなく、まっすぐに父の執務室へと歩みを進めた。今朝、メイドを通じて「身支度が整い次第、直ちに出頭せよ」という異例の呼び出しを受けていた。
 重厚なマホガニーの扉の前に立つ。護衛の騎士が黙礼し、両手で重い扉を押し開けた。
 執務室の空気は、煙草の煙とインクの匂いでひどく澱んでいた。窓は厚いカーテンで閉ざされ、朝であるにもかかわらず部屋の中には陰鬱な影が落ちている。
 部屋の奥、山のように積まれた未決済の書類の向こう側で、現ローゼンベルク辺境伯であるヘルマンが深く椅子に沈み込んでいた。かつては戦場で勇名を馳せた大柄な肉体は、愛する妻を謀略で失った後悔と、終わりの見えない資金繰りの心労によって見る影もなく萎縮している。彼の指先には安物の葉巻が挟まれており、紫色の煙が空虚に立ち昇っていた。
 アルベルトは無言で数歩進み、父の机の前に立った。貴族としての完璧な礼の姿勢をとる。
 ヘルマンは充血した目をゆっくりと上げ、自身の長男を見据えた。その瞳には、父親としての愛情よりも、追い詰められた為政者の苦悩と、何かを諦めきった暗い光が宿っていた。
「アルベルト」
 しわがれた、ひどく掠れた声だった。
「お前も十五歳になった。辺境伯家の次期当主として、相応の義務を果たす時が来た」
 アルベルトは表情を微塵も崩さず、次の言葉を待った。経営が破綻しかけた組織のトップが、このような重苦しい前置きをする時、出てくるのは決まって最悪の事態の通告であると、前世の経験が告げていた。
 ヘルマンは一度葉巻を灰皿に押し付け、深く息を吐き出した。
「お前の婚約が決まった。相手は……筆頭公爵家令嬢、エレオノーラ・フォン・ヴァイセンブルク様だ」
 その瞬間、執務室の空気が氷点下にまで凍りついたように錯覚した。
 ヴァイセンブルク公爵家。王家の血を引き、現在の王国において、母を暗殺した宰相派と国を二分する巨大派閥の頂点に君臨する怪物。その令嬢であるエレオノーラは、圧倒的な美貌と冷酷な政治的野心を持つことで知られ、次期王妃の座すら狙える立場にある。
 格が違いすぎる。
 借金まみれの没落寸前の辺境伯令息に、筆頭公爵家から婚約の話が持ち込まれるなど、政治的な裏がなければ絶対にあり得ない。
「父上」
 アルベルトは静かに口を開いた。声のトーンは完璧に制御され、少しの動揺も滲ませていなかった。
「名誉なことですが、あまりにも不釣り合いな縁談です。公爵家は、我がローゼンベルク家に何を求めているのでしょうか」
 ヘルマンの顔が苦痛に歪んだ。彼は視線をアルベルトから逸らし、机の上の書類に目を落とした。
「……防波堤だ」
 血を吐くような、絞り出すような声だった。
「宰相ヴィルヘルム・フォン・ランゲの派閥が、我が領地に隣接する関税特区の法案を推し進めようとしている。公爵家はそれに徹底抗戦する構えだ。しかし、公爵家自身は表立って血を流したくない。だからこそ、最前線にある我が家を公爵派に引き入れ、宰相派の攻撃をすべて受け止めさせるための『盾』にするつもりなのだ」
 なるほど、とアルベルトは内心で呟いた。
 エレオノーラとの婚約は、栄転でも救済でもない。ローゼンベルク家を公爵家の使い捨ての駒として最前線に縛り付けるための、美しい毒薬だ。母を殺した宰相派の猛攻を受ければ、すでに財政が破綻しているこの辺境伯家は、数年も持たずに物理的にも社会的にも消滅するだろう。そして公爵家は、我が家の死体を踏み台にして宰相を非難する大義名分を得る。完璧なトカゲの尻尾切りだ。
「断ることはできないのですか」
 アルベルトの淡々とした問いに、ヘルマンは自嘲気味に笑った。
「断れば、今月末の融資が凍結される。我が軍の維持費すら払えず、領地は崩壊する。我々には、この毒杯を飲み干す以外に道は残されていないのだ。……イザベラがいてくれれば、また違った道もあったのだろうが。すまない、アルベルト。お前の人生を、借金の担保として差し出す無能な父を許してくれ」
 部屋に沈黙が落ちた。ヘルマンは両手で顔を覆い、深い絶望の中に沈んでいた。
 しかし、アルベルトの心臓は、恐怖や悲哀ではなく、全く別の感情で奇妙な高鳴りを始めていた。
 死に体となった企業。母の命を奪った巨大な敵対的派閥。そして、自らを使い捨ての駒として扱う冷酷な筆頭公爵家令嬢。
 前世の冷徹な血が、少年の身体の中で沸騰するのを感じた。盤面は最悪だ。だが、手札が完全にゼロというわけではない。相手がこちらを「ただの無力な駒」だと思い込んでいること自体が、最大の武器になる。
「顔を上げてください、父上」
 アルベルトの声は、先ほどまでの少年のそれとは明らかに異なっていた。それは、何百人もの人間を冷酷に解雇し、巨万の富を動かしてきた男の、静かで圧倒的な自信に満ちた声だった。
 ヘルマンが驚いたように顔を上げる。その視線の先で、十五歳の息子は、不敵な、そして悪魔のように美しい笑みを浮かべていた。
「喜んでお受けいたします。ヴァイセンブルクの公爵令嬢。私には過ぎた手札です。あの誇り高く冷酷なご令嬢を、私がどのようにこの手の中で転がし、飼い慣らすか。どうか、特等席でご覧になっていてください」
 窓の隙間から差し込んだ一筋の冷たい朝陽が、アルベルトの横顔を不気味なほど鮮明に照らし出していた。
 それは、後に王国全土を恐怖と陰謀で支配することになる怪物が、初めて産声を上げた瞬間だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

見捨ててくれてありがとうございます。あとはご勝手に。

有賀冬馬
恋愛
「君のような女は俺の格を下げる」――そう言って、侯爵家嫡男の婚約者は、わたしを社交界で公然と捨てた。 選んだのは、華やかで高慢な伯爵令嬢。 涙に暮れるわたしを慰めてくれたのは、王国最強の騎士団副団長だった。 彼に守られ、真実の愛を知ったとき、地味で陰気だったわたしは、もういなかった。 やがて、彼は新妻の悪行によって失脚。復縁を求めて縋りつく元婚約者に、わたしは冷たく告げる。

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

処理中です...