覇道の流儀~没落確定の辺境伯令息は、血と謀略で冷酷なる公爵令嬢たちを支配(愛)する~

namisan

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第13話:『黄金の重力と、巨悪を育む土壌』

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 白亜の館の最奥に位置する執務室。豪奢なマホガニーの床に額を擦りつけ、自身の脂汗と靴底の泥に塗れて服従を誓う叔父の姿を、アルベルトはまるで道端の石ころでも見るかのような無機質な眼球で見下ろしていた。
 完全に破壊された男爵の嗚咽だけが、分厚い石壁に反響している。
 アルベルトはゆっくりと視線を外し、部屋の奥で暴力的な輝きを放ち続けている鋼鉄の金庫へと顔を向けた。
「ガリウス」
 静かな、しかし絶対的な支配力を持った少年の声が響く。
「約束通り、未払いとなっていた給金の三年分だ。利子も含め、一人につき金貨五十枚。今この場で、自らの手で掴み取れ」
 その言葉が執務室の空気を震わせた瞬間、背後に控えていた十人の傭兵たちの息が一斉に止まった。
 ガリウスの巨体が、びくりと大きく痙攣する。
 彼はゆっくりと、まるで夢の中を歩くように、泥まみれのブーツを引きずって金庫の前へと歩み寄った。かつて王都の騎士団に所属し、名誉のために剣を振るっていた男が、今は三日に一度の粗末な麦粥を啜るために命を削っていた。その極限の飢餓の果てに、今、目の前に剥き出しの黄金の山が鎮座している。
 ガリウスは震える太い両手を、金庫の中に無造作に積まれた金貨の山へと深く突き入れた。
 ジャラリ。
 乾燥した金属同士がぶつかり合う、ひどく冷たく、しかし何よりも甘美な音が部屋に響いた。
 ガリウスが両手で掬い上げた数十枚の金貨。それは、ただの金属の塊ではない。彼らが流した血の対価であり、明日のパンであり、冷たい雨風を凌ぐための屋根であり、そして何より、失いかけていた人間としての尊厳そのものだった。
 手のひらにのしかかる、ずっしりとした黄金の重力。
 それは、忠誠や名誉といった目に見えない空虚な言葉よりも、遥かに重く、確かな説得力を持ってガリウスの魂を打ち据えた。
「……若様」
 ガリウスは、両手から金貨をポロポロとこぼしながら、ゆっくりと振り返った。
 その濁った瞳からは、いつの間にか敵意も、侮蔑も、狂気すらも消え去っていた。残っていたのは、目の前にいる十五歳の少年に対する、宗教的なまでの絶対的な畏怖と、抗うことのできない服従の念だけだった。
 この少年は、言葉だけで分家の軍勢を無力化し、己の叔父を泥濘に這わせ、そして本当に約束の金を引きずり出してみせた。剣の腕など関係ない。この少年は、富と命を自在に操る、本物の怪物だ。
「野郎ども、袋を出せ。……俺たちの、正当な報酬だ」
 ガリウスの低く掠れた声に弾かれるように、九人の傭兵たちが一斉に金庫へと群がった。
 彼らは腰から粗末な麻袋を引き抜き、震える手で金貨を数え、次々と袋の中に放り込んでいく。チャリン、チャリンという無機質な金属音が、まるで飢えた獣が肉を貪る咀嚼音のように、薄暗い執務室を異様な熱気で満たしていった。
 アルベルトはその光景を背中で聞きながら、再び足元で震える肉塊――ギュンターへと視線を落とした。
 彼の懐には、宰相ヴィルヘルムの双頭の鷲が刻まれた、蜜蝋の封書が眠っている。母の暗殺と、辺境伯家乗っ取りの決定的な証拠。
「……ひっ、あ、アルベルト……」
 ギュンターが、床に這いつくばったまま、すがるように顔を上げた。
「そ、その手紙があれば……王国議会で、宰相を……あのヴィルヘルムの首を、確実に刎ねることができる……そうだろう? 私は、お前のために証言台に立つ……だから、私を宰相の報復から守って……」
「馬鹿を言うな」
 アルベルトの氷点下の声が、ギュンターの哀願を無残に断ち切った。
「叔父上。あなたは本当に、政治というものを理解していない。この手紙一枚で、あの宰相ヴィルヘルムが失脚すると思っているのか?」
「な、なに……?」
 ギュンターの顔に、絶望とは別の、純粋な困惑が浮かんだ。
 国家反逆の明確な証拠。これ以上強力な武器がどこにあるというのか。
「この手紙を明日、王国議会に提出したとしよう。何が起きると思うか」
 アルベルトは、まるで出来の悪い生徒に数式を教えるような、徹底的に冷めた声で語り始めた。
「まず、法務卿がこの手紙の筆跡鑑定を『宰相派の御用学者』に依頼する。結果は当然『巧妙な偽造』だ。そして、証言台に立つあなたの言葉は、王家の侍医によって『重度の精神錯乱による妄言』と診断される。その数日後、あなたは牢の中で、見張りの衛兵の手によって首を吊った状態で発見される。……議会は宰相の潔白を称え、ローゼンベルク家は狂人を輩出した咎で取り潰し。それが、現実という名の冷酷な決算書だ」
 アルベルトの言葉に、ギュンターは息を呑み、ガタガタと歯の根を鳴らして震え始めた。
 それは、ただの脅しではない。王国の中枢を牛耳る宰相ヴィルヘルムという男の、底知れぬ権力構造の真実だった。
 裁判官も、医師も、衛兵も、すべてが宰相の息がかかった歯車に過ぎない。証拠など、彼らがその気になれば一枚の紙くずへと変えることができる。ヴィルヘルムは、単なる一人の政治家ではない。王国の司法、行政、軍事の根深くまで己の毒の根を張り巡らせた、巨大な大樹そのものなのだ。
「あの老狐は、生半可な刃では首を刎ねることはおろか、傷を負わせることもできない。叩けば叩くほど、巧妙にトカゲの尻尾を切り離し、法の抜け穴を這い回って生き延びる、不死身の病巣だ」
 アルベルトは、懐の奥にある手紙の感触を確かめるように、己の胸に手を当てた。
「だからこそ、この手紙は今すぐには使わない。これは、数年後にあの怪物の心臓に直接杭を打ち込むための、最後の一手として大切に保管しておく。……我々がこれから為すべきことは、一本の剣で巨木を切り倒すことではない」
「で、では……どうしろと……?」
「根を腐らせるのだ」
 アルベルトの漆黒の瞳の奥に、王国の全土を焼き尽くすほどの、壮大で冷酷な謀略の炎が静かに灯った。
「叔父上。あなたは今日から、宰相の最も忠実な『犬』を演じ続けろ。本家の財政を苦しめ、私を暗殺する計画が順調に進んでいると、あの老狐に甘い虚偽の報告を送り続けろ。そして、宰相の派閥が持つ資金網、人脈、秘密の輸送ルート。そのすべての情報を、私に横流しするのだ」
 それは、数年という歳月をかけて、国家の頂点に立つ怪物を内側から食い破るための、果てしなく泥臭く、残酷な戦争の始まりの宣告だった。
「私はこれから、王都へ向かう。そして、宰相の派閥を支える資金源を、市場操作と情報戦で一つずつ合法的に焼き払い、奴の手足となる貴族たちの弱みを握り、社会的に抹殺していく。……一年、いや、三年かかるかもしれない。あの巨木が栄養を失い、枝葉が枯れ落ち、誰の目にも腐敗したと明らかになったその時。初めてこの手紙を使い、奴の息の根を完全に止める」
「さ、三年……その間ずっと、私は宰相とあの悪魔(お前)の間で、二重スパイを……見つかれば、肉片も残らない……!」
「見つかる前に、私に有益な情報を運べば済む話だ。それに、あなたにはもう選択肢など残されていない」
 アルベルトは、冷たく言い捨てて背を向けた。
 背後では、ガリウスたち傭兵が、それぞれの麻袋に三年分の黄金を詰め込み、狂喜に満ちた荒い息を吐き出している。彼らの視線はすでに、アルベルトの背中に絶対的な忠誠を誓って釘付けになっていた。
「さあ、掃除の時間だ。この金庫にある残りの資産はすべて、本家の負債の穴埋めとして全額徴収する。……叔父上、表に停めてある馬車に、この金貨の山をすべて積み込む手配をしろ。あなた自身のその見事な両手を使ってな」
 白亜の館の最奥。
 莫大な黄金の移動という物理的な現実と、国家の形を変えるであろう途方もない謀略の第一歩が、分厚い石壁の中で、今まさに重く、静かに踏み出されたのであった。
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