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第22話 執事の帰還と、二つの戦略商品
しおりを挟む大衆浴場のオープンから一夜明けた朝。
エルガレア商会本部の執務室に、懐かしい紅茶の香りが戻ってきた。
「……やはり、セバスの淹れる紅茶は別格だね」
「お褒めにあずかり光栄です、若様」
湯気の向こうで、セバスが静かに微笑んでいる。
ボーリー伯爵領でのインフラ整備事業を終え、彼は今朝早くに帰還したのだ。
その顔に疲労の色はなく、むしろ仕事をやり遂げた充実感に満ちている。
「ご報告いたします。領都ボールデンの上下水道整備、および焼却炉の設置は全て完了しました。疫病の拡大は完全に沈静化し、鉱山の操業も今朝から再開されています」
「素晴らしい仕事だ。ビル伯爵も喜んでいただろう?」
「はい。涙を流して感謝されました。……それと、契約通り『鉄鉱石』と『石炭』の第二便、三便を手配済みです。今後も、エルガレアには高品質な資源が格安で流れ込み続けます」
完璧だ。
これで工業化のためのエネルギー問題は解決した。
俺はカップを置き、セバスの目を真っ直ぐに見た。
「セバス。君のおかげで足場は固まった。……だから、次は『攻め』に出るよ」
俺はデスクの下から、二つの木箱を取り出した。
「攻め、でございますか?」
「ああ。夜市や百貨店は、客に来てもらう商売だ。でも、それには限界がある。だから今度は、こちらから商品を国中に送り出し、エルガレアのブランドを浸透させる」
俺は一つ目の箱を開けた。
***
戦略商品その1:娯楽品『リバーシ』
箱の中に入っていたのは、黒と白に塗り分けられた小さな円盤(石)と、8×8のマス目が描かれた木の盤だった。
「これは……?」
「『リバーシ』というボードゲームだ。ルールは簡単。相手の石を自分の石で挟むと、自分の色に変わる。最終的に盤面に多い色が勝ちだ」
俺はセバスを相手に、実演してみせた。
パチッ、パチッ。
石がひっくり返る小気味よい音。
最初は怪訝そうだったセバスだが、数分後には盤面を凝視し、眉間に皺を寄せていた。
「……なるほど。四隅を取るのが有利、しかし安易に取れば懐に入られる……。単純に見えて、極めて奥が深いですな」
「だろう? 『覚えるのは一分、極めるのは一生』だ」
この世界には、複雑なルールの戦争遊戯(チェスに近いもの)か、単純な賭け事しかない。
このシンプルかつ知的なゲームは、必ず貴族の社交界で流行る。
「材料は、鉱山から出るクズ石や木材の端材でいい。加工も簡単だ。これを『貴族の嗜み』として売り出す。原価はタダ同然、売値は金貨一枚でも売れるぞ」
***
戦略商品その2:日用品『シャンプー&トリートメント』
「そして、もう一つがこれだ」
俺は二つ目の箱から、ガラスの瓶を二本取り出した。
一本には透明なとろみのある液体。もう一本には乳白色のクリームが入っている。
蓋を開けると、ハーブと花の混ざった上品な香りが部屋に広がった。
「香油……でしょうか?」
「似ているけど違う。これは髪を洗うための『シャンプー』と、髪をサラサラにする『トリートメント』だ」
この世界の人々は、髪を洗うのに粗悪な固形石鹸を使っている。
だから髪はゴワゴワで、櫛通りも悪い。
貴族の女性たちは、それを隠すためにかつらを被ったり、香油でベタベタに固めたりしているのが現状だ。
「このシャンプーは、植物由来の洗浄成分(アミノ酸系)で作ってある。汚れは落とすけど、髪の潤いは守るんだ。そしてトリートメントでコーティングすれば……」
俺は自信たっぷりに言い放った。
「絹糸(シルク)のようなツヤと手触りが手に入る」
セバスの目が光った。
彼はすぐにその価値を理解したのだ。
「……これは、革命になりますな。特に女性にとっては、宝石以上の価値があるでしょう」
「だろう? 材料は領内で採れるハーブと、搾油した植物油。製造ラインは、廃倉庫にでも作ろう」
***
リバーシと、ヘアケアセット。
知性を刺激する娯楽と、美を追求する日用品。
ターゲットは明確だ。
暇を持て余した貴族の男たちと、美しさを競い合う貴族の女たち。
「セバス。まずは最高級の試供品を作ってくれ。贈り先は分かっているね?」
「はい。王都のカーラ侯爵家……バーノン様とスーナ様に」
あの二人なら、最高の広告塔(インフルエンサー)になってくれるはずだ。
バーノンが夜会でリバーシを広め、スーナが艶やかな髪を見せびらかす。
想像するだけで、注文が殺到する未来が見える。
「忙しくなるぞ。工業化の次は、ブランド化だ」
「ふふ。若様についてもいけば、退屈することはありませんな」
帰還早々、新たな難題(プロジェクト)を振られたにも関わらず、セバスは嬉しそうにガラス瓶を手に取った。
エルガレア商会の快進撃は、領地を飛び出し、国中を巻き込もうとしていた。
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