辺境の貧乏男爵に転生した凄腕外交官、チートなき頭脳で帝国を天秤にかける~武力至上主義の姫騎士も冷徹な商会令嬢も、盤上の駒として支配する~

namisan

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第1話 毒杯の茶会


白磁のティーカップに注がれた琥珀色の液体が、微かに波打っていた。
ベルガモットの香りが鼻腔をくすぐるが、今のアルト・ヴァン・エイヴリーには、それが甘い毒薬の匂いにしか感じられなかった。帝都の中央区に位置する、一見の客など決して立ち入ることの許されない高級サロンの特別室。防音と魔法的隠蔽が施されたこの密室には、窓一つない。豪奢なシャンデリアの光だけが、重苦しい沈黙を照らし出していた。
アルトは、自分の指先が震えていないことを確認してから、ゆっくりとカップをソーサーに戻した。磁器同士が触れ合うかすかな音が、やけに大きく部屋に響く。
「……それで、エイヴリー男爵家としては、我がローゼンクロイツ公爵家の『庇護』を受け入れるということでよろしいのですね」
静寂を破ったのは、アルトの正面に座る少女だった。
保守派の筆頭である公爵家の令嬢にして、帝国最強と謳われる白銀騎士団の団長、エレノア・フォン・ローゼンクロイツ。夜会用の豪奢なドレスを身に纏っているにもかかわらず、彼女の姿勢には一切の隙がない。透き通るような銀糸の髪と、氷のように冷たい青い瞳。優雅な所作の端々に、幾千の死線を潜り抜けてきた武人特有の威圧感が滲み出ている。
彼女の言う『庇護』という言葉の意味を、アルトは正確に理解していた。
先月、アルトの治める辺境の貧乏領地で、次世代の魔法エネルギーの要となる希少鉱石『流星結晶』の巨大な鉱脈が発見された。エレノアの提案は、その採掘権、管理権、そして領地そのものの実効支配を公爵家に明け渡せという、事実上の降伏勧告である。拒否すれば、国境警備を名目に駐留している彼女の白銀騎士団が、明日にもエイヴリーの領館を物理的に『制圧』するだろう。
「お待ちくださいませ、エレノア様。そのような一方的な要求は、いかに公爵家といえども強引が過ぎるというものですわ」
横から柔らかな、しかしどこか粘り気のある声が割り込んだ。
もう一人の同席者、クロエ・アルジェント。改革派の資金源であり、帝国の経済を裏から牛耳る『黄金の天秤商会』の若き副会長。金糸の髪をふわりと揺らし、彼女は扇子で口元を隠しながら優雅に微笑んでいる。甘い香水の匂いが、密室の空気をさらに重くしていた。
「エイヴリー卿。我が商会は、公爵家のような野蛮な真似はいたしません。鉱脈の独占採掘権を我が商会にお譲りいただけるのであれば、エイヴリー領の全面的なインフラ整備、そして男爵家の抱える莫大な負債の完全な肩代わりをお約束いたします。共に、帝国の新たな未来を創造しようではありませんか」
クロエの提案は、一見すると魅力的だ。しかし、彼女の琥珀色の瞳の奥には、アルトたちエイヴリー家をしゃぶり尽くそうとする冷徹な商人の計算が渦巻いている。実質的な借金のカタとして領地を奪い、アルトを都合の良い傀儡として座らせる。用済みになれば、あるいは彼女の機嫌を少しでも損ねれば、闇の者に暗殺されるか、法外な負債を理由に奴隷に堕とされるのは明白だった。
武力による即死か、経済による真綿で首を絞められるような隷属か。
(……前世の国連会議よりも、よほど質が悪いな)
アルトは内心で自嘲した。
現代日本で凄腕の外交官として数々の国際紛争を調停してきた前世の記憶を持つアルトにとって、目の前の状況は典型的な『囚人のジレンマ』ですらなかった。どちらを選んでも、待っているのはエイヴリー家の破滅だ。
エレノアを選べば、巨大な利権を逃したクロエが暗殺者を差し向ける。
クロエを選べば、帝国の秩序を乱す反逆者としてエレノアの騎士団に蹂躙される。
二人の怪物は、貧乏男爵家の三男坊など、指先一つでひねり潰せる羽虫程度にしか思っていない。実際、事勿れ主義の父はすでに恐れをなして領地に引きこもり、実質的な交渉のすべてを十八歳のアルトに押し付けて逃亡した。強欲な長兄はクロエの商会から裏金を受け取って寝返る準備を進めており、頭の血の巡りが早い次兄は「騎士団を迎え撃つ」と剣を磨いている始末だ。内憂外患の極みである。
「さあ、アルト卿。ご決断を」
「賢明な判断をお待ちしておりますわ」
二人の令嬢の視線が、同時にアルトを射抜いた。
室内を冷却する魔法具が作動しているというのに、アルトの背中は冷たい汗でびっしょりと濡れていた。喉は渇ききり、心臓は早鐘のように鳴っている。だが、外交の最前線において、弱みを見せることは死を意味する。
アルトはゆっくりと深呼吸をし、肺の隅々まで空気を送り込んだ。
表情筋を完璧にコントロールし、外交官としての、あの冷徹で底知れぬ微笑みを顔に貼り付ける。
圧倒的な武力もない。便利な魔法もない。
あるのは、前世で培った『現代政治学』と『地政学』、そして幾多の交渉のテーブルをひっくり返してきた話術だけだ。
「お二方のご提案、大変魅力的に聞こえます。辺境の貧乏男爵家としては、身に余る光栄という他ありません」
アルトの声は、自分でも驚くほど静かで、落ち着き払っていた。
エレノアの眉が微かに動き、クロエの扇子を揺らす手がピタリと止まる。怯えて命乞いをするか、あるいは自暴自棄になって怒鳴り散らすか。そのどちらかを予想していた彼女たちにとって、アルトの堂々たる態度は計算外だったのだ。
「しかし、公爵家の庇護も、商会との独占契約も、私は『お断り』いたします」
アルトの言葉が密室に落ちた瞬間、室内の空気が凍りついた。
エレノアから放たれた実体を持った殺気がアルトの肌を刺し、クロエの瞳からは完全に笑みが消え去っていた。
彼らが生贄の羊だと思っていた少年は、今、明確な意思を持って牙を剥いたのだ。盤上の駒であることを拒否し、自らプレイヤーとして名乗りを上げた瞬間であった。
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