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第16話 黄金のシチューと提督の胃袋(ケミカル・クッキング)
ベルナ港の第三岸壁に、海軍の最新鋭艦『グラン・シルフ号』が停泊している。
だが、その威容とは裏腹に、甲板から降りてくる水兵たちの足取りは重かった。
顔色は土気色で、目が窪んでいる。明らかに精気がない。
「……久しぶりだな、アレン。すまない、補給に立ち寄らせてもらった」
タラップを降りてきたセシリア・オルコット少佐もまた、美貌に陰りが差していた。
自慢の金髪は艶を失い、軍服が少し緩くなっている。
「歓迎しますよ、セシリア殿。……ですが、まるで幽霊船のようだ。海賊ではなく、病にやられましたか?」
「病ではない……いや、病の一種かもしれん」
彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
「『脚気(かっけ)』だ。長期航海が続くと、手足が痺れ、動悸がして、最後には立てなくなる。船医は『海の呪い』だと言うが……」
「呪いじゃありませんよ。栄養失調です」
私は【構造解析(ブループリント)】で彼女と部下たちをスキャンした。
ビタミンB1の欠乏。
海軍の食事は「堅パン」と「塩漬け肉」が中心だ。これではビタミンが摂れない。
「セシリア殿。特効薬を用意しましょう。……ちょうど、東方から素晴らしい『薬』が届いたところです」
「薬? 苦いのは御免だぞ」
「苦くはありません。……辛くて、美味くて、止まらなくなる薬です」
◇
私はセシリアを連れて、港の加工場へと向かった。
そこには、先日救助した少年ハルトが、スパイスの調合をしていた。
「ハルト、準備はいいか?」
「はい、アレン様! 父様のレシピ通りに配合しました!」
ハルトが差し出したのは、数十種類のスパイスを混ぜ合わせた黄色い粉末。
クミン、ターメリック、コリアンダー、カルダモン……。
鼻を近づけるだけで、くしゃみが出そうなほど強烈な香りがする。
「なんだこの粉は? 胡椒か?」
「『カレー粉』です。これをベースに、私が開発した『魚醤(ガラム)』と、炒めた野菜を合わせます」
私は調理を開始した。
大鍋に油を熱し、みじん切りにした大量の玉ねぎを投入する。
あえて強火で、焦げる寸前まで炒める。
「アレン、焦げているぞ!」
「これがいいんです。『メイラード反応』と言ってね。糖とアミノ酸が結合して、爆発的な旨味とコクを生む化学反応です」
飴色になった玉ねぎに、豚肉(ビタミンB1の宝庫だ)と、ハルトのスパイスを投入する。
ジュワァァァッ!
瞬間、厨房内に黄金色の爆風が吹き荒れた。
スパイシーで、官能的で、食欲中枢を直接殴りつけるような香り。
「っ!? なんだこの匂いは……!?」
セシリアが喉を鳴らす。
胃袋がキュゥゥと音を立てた。
最後に、隠し味の魚醤と、すりおろしたリンゴ、そしてハチミツを加える。
とろみのついた黄金色のシチュー――『海軍カレー』の完成だ。
合わせるのは、もちろんハルトが持ってきた種から育てた(試験栽培の早生種だが)「米(ライス)」だ。
◇
私は皿に白米を盛り、たっぷりとカレーをかけた。
湯気と共に立ち昇る香りが、セシリアの理性を揺さぶる。
「さあ、どうぞ。スプーンで、米と混ぜながら食べてください」
セシリアは震える手でスプーンを握り、口へと運んだ。
「……んぐッ!」
カッ! と目が見開かれる。
最初は辛さが来る。舌を刺すような刺激。
だが次の瞬間、玉ねぎの甘み、豚肉の脂、そして複雑なスパイスの香りが怒涛のように押し寄せてくる。
「から……い! でも、美味い! なんだこれは、スプーンが止まらん!」
彼女は夢中で食べ進めた。
額に玉のような汗が浮かぶ。
カプサイシンの効果で血行が良くなり、新陳代謝が活発になっている証拠だ。
「はふっ、はふっ……! 身体が、芯から熱くなる。指先の痺れが消えていくようだ……」
「スパイスには健胃作用がありますからね。それに豚肉と米の組み合わせは、脚気の特効薬です」
あっという間に完食した彼女は、空になった皿を見つめ、ほうっと息をついた。
その顔には、先ほどまでの疲労感はなく、満ち足りた紅潮があった。
「……アレン。この料理、我々の船で作れるか?」
「材料は保存の効く根菜とスパイスだけです。ハルト君が配合した『カレールウ(固形)』を使えば、誰でも同じ味が作れます」
「採用だ。即時採用する!」
セシリアは立ち上がり、ハルトの肩を掴んだ。
「少年! この粉をありったけ売ってくれ! 我が艦隊の全兵士に食わせる!」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
ハルトが嬉し泣きしている。
彼の父の遺志が、海軍という巨大な顧客を得て花開いた瞬間だ。
◇
翌日の昼食時。
グラン・シルフ号の甲板からは、異様な熱気が立ち昇っていた。
「うおおおっ! なんだこの美味いシチューは!」
「辛い! でも止まらねえ!」
「おかわり! おかわりをくれ!」
死に体だった水兵たちが、まるで野獣のようにカレーを貪っている。
その光景を見下ろしながら、セシリアは満足げに腕を組んでいた。
「……アレン。一つ思いついたのだが」
「なんです?」
「このカレーを、毎週『金曜日』の定番メニューにしようと思う」
「金曜日?」
「ああ。海の上では曜日感覚がなくなるからな。『カレーが出たら週末だ』と分かれば、兵士たちの励みにもなるだろう」
「……それはいいアイデアですね」
私は苦笑した。前世の記憶にある伝統が、異世界で再現された瞬間だった。
こうして、海軍とベルナ領の間に、強固な「食の同盟」が結ばれた。
定期的に補給に訪れる海軍は、ベルナ領にとって最強の警備戦力となり、海賊の脅威を遠ざける結果となった。
ハルトは「ベルナ香辛料農園」の責任者として、スパイスと米の栽培に没頭することになる。
海と陸の物流が安定し、人々の胃袋も満たされた。
だが、私の【構造解析】は、まだ休ませてくれない。
次にアラートを鳴らしたのは――私が作った「学校」だった。
レイノルズ博士が興奮した様子で、一枚の設計図を持って駆け込んできたのだ。
「アレン! 大変じゃ! お主の理論を応用して『魔導蒸気機関』を試作してみたんじゃが……出力がデカすぎて、校舎が吹っ飛びそうなんじゃ!」
……やれやれ。
どうやら次は、産業革命の足音が聞こえてきたようだ。
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