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第28話 白い翼と、鉄の言葉(ペーパー・レボリューション)
しおりを挟む東方艦隊が去ってから数週間。
ベルナ領の工廠(こうしょう)の一角は、奇妙な「甘い匂い」と、ドスンドスンという重い音に包まれていた。
「……アレン。これが本当に『紙』になるのか?」
レイノルズ博士が、ドロドロに煮込まれた繊維のプールを覗き込んで首をかしげている。
プールの中身は、東方から譲り受けた「楮(こうぞ)」の樹皮を煮て、繊維を取り出したものだ。
「ええ。羊皮紙(パーチメント)のように動物の皮をなめす必要もなければ、パピルスのようにすぐボロボロになることもない。……見ていてください」
私はレバーを引いた。
シュゴッ!
蒸気ピストンが動き、巨大的な木槌(ハンマー)が振り下ろされる。
ドスン! ドスン!
通常、和紙作りでは職人が手作業で叩いて繊維をほぐすが、ここでは蒸気の力で一気に叩く。
数分もしないうちに、繊維は綿のように白く、フワフワになった。
「これを水に溶かし、トロロアオイの粘液(ネリ)を加えて……」
私は金網のついた枠(桁)をプールに沈め、揺すりながら引き上げた。
水が抜け、網の上には薄く均一な繊維の層が残る。
これを熱した鉄板に貼り付けて乾かせば――
「完成だ。『ベルナ和紙』です」
ペラリ。
剥がし取った紙は、雪のように白く、薄いのに強靭だった。
光にかざすと、美しい繊維の網目が見える。
「おおおっ! なんという白さじゃ! しかも軽い! これなら本一冊が、ポケットに入る重さになるぞ!」
博士が興奮して紙を撫で回す。
この世界の本は、分厚い羊皮紙を束ねたもので、百科事典一冊で数キロの重さがある。価格も金貨数枚と高価だ。
だが、この紙なら、材料費はタダ同然(木と水だけ)だ。
「博士、驚くのはまだ早いです。……紙があるなら、それに『魂』を吹き込まなければ」
私は工廠の奥にある、もう一つの機械を指差した。
◇
そこにあったのは、巨大なワインプレス機に似た鉄の装置だった。
その台座には、ドワーフのゴーディが彫った数千個の「金属の文字(活字)」が整然と並べられている。
「『活版印刷機(プリンティング・プレス)』です」
私は説明した。
これまでの本は、写本生が手書きで書き写していたため、一冊作るのに数ヶ月かかった。誤字も多い。
だが、この機械は違う。
鉛とアンチモンの合金で作った活字を組み替えれば、どんな文章でも作れる。
インクを塗り、紙を乗せ、圧力をかければ――
「一瞬で、同じページが何枚でも刷れる」
ガチャン!
私がハンドルを回すと、プレス機が紙を押し付けた。
剥がしてみる。
そこには、クッキリとした黒いインクで、ベルナ領の新しい法律と、明日の天気予報が記されていた。
「す、すげえ……! 文字が、生きてるみてえだ!」
ゴーディが目を丸くする。
レイノルズ博士は、震える手でその紙を受け取った。
「……知識の、革命じゃ。これがあれば、教科書を全ての子供に配れる。最新の学説を、世界中に広められる……!」
「ええ。ですが博士、教科書だけじゃ面白くないでしょう?」
私はニヤリと笑った。
「最初の印刷物は、もっと大衆が飛びつくものにしましょう。……名付けて『ベルナ新聞(タイムズ)』創刊号だ」
◇
翌朝。
ベルナの街角に、少年たちの元気な声が響き渡った。
「号外ーっ! 号外だよー!」
「『ベルナ新聞』創刊! 一部、銅貨一枚だよ!」
職業訓練校の子供たちが、新聞配達員として走り回る。
道行く人々が足を止める。
銅貨一枚。パン一個より安い値段で、真っ白な紙が手に入るのだ。
最初は紙目当てで買った人々も、そこに書かれた内容に釘付けになった。
『一面トップ:今年の米は大豊作! 領主代行、全領民に銀シャリ振る舞いを決定!』
『経済欄:メディシス家の香水、王都で完売。次期入荷は来週』
『連載小説:冒険者レイの奇妙な大冒険(作・レイノルズ博士)』
「おい、読んだか? 明日は雨だってよ。洗濯物は取り込めと書いてある」
「この小説、続きが気になるぞ! レイって、あの変人博士のことか?」
街中の酒場や広場で、新聞を囲んで議論が始まった。
字が読めない者には、読める者が読んで聞かせる。
情報は瞬く間に共有され、領民たちの一体感(コミュニティ)が形成されていく。
◇
執務室で、私は刷り上がったばかりの新聞を満足げに眺めていた。
隣のエレナは、少し呆れ顔だ。
「……アレン様。また余計な火種を作りましたね」
「火種? ただの紙切れだよ」
「いいえ。これは『剣』です」
彼女は鋭く指摘した。
「王都の貴族たちは、情報を独占することで民を支配してきました。ですが、貴方はそれを底辺までバラ撒いてしまった。……彼らがこれを知ったら、蒸気機関以上に恐れるでしょうね」
その通りだ。
「知る権利」を得た民衆は、もはや盲目的に従うだけの羊ではない。
私はあえて、パンドラの箱を開けたのだ。
「構わないさ。民が賢くなれば、私の仕事も楽になる。……それに、見てみろ」
私は窓の外を指差した。
広場で新聞を片手に、熱心に議論する若者たちの姿。
彼らの目は輝いている。
「彼らはもう、自分たちの頭で考え始めている。……これこそが、ベルナ領最大の『資産』になる」
紙とインクの匂いが、新しい時代の風を運んでくる。
だが、人口が増え、文化が育てば、物理的なスペースが足りなくなる。
港は船で溢れ、住宅地は手狭になってきた。
次なる課題は「土地」だ。
海を埋め立て、空へ伸ばすしかない。
古代ローマの知恵と、現代の化学が融合する時が来た。
アレン、海に挑む。液状の石「コンクリート」の発明と、巨大港湾都市計画の始動。
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