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第45話 見えない川の治水と、黒い血管(インシュレーター)
工廠(こうしょう)の奥にある特別実験室。
そこには、鼻を突くような刺激臭が充満していた。
「ゲホッ、ゴホッ! アレン、この黄色い粉……火薬の匂いがするが、本当にこれを混ぜるのか?」
レイノルズ博士が、防毒マスク代わりの濡れタオルを口に当てながら涙目で咳き込んでいる。
私の手元にあるのは、火山の火口付近で採掘された黄色い粉末――「硫黄(いおう)」だ。そして鍋の中では、東方から輸入した乳白色の樹液(生ゴム)がドロドロに溶けている。
「ええ。生ゴムのままだと、夏はスライムみたいに溶けてベタベタになり、冬はガラスのようにカチカチに凍って砕けてしまいます。これでは電線を守る『鎧』にはならない」
私はゴーグル越しに鍋の中身を睨みつけながら、慎重に硫黄の粉末を投下した。
「ですが、ゴムの分子に硫黄を結合させ、そこに『熱』を加えると……魔法が起きます」
私は鍋を密閉容器(オートクレーブ)に入れ、高圧蒸気で一気に加熱した。
百四十度。
ゴムの分子同士が硫黄を橋渡しにして結びつく、架橋反応(クロスリンク)が起きる温度だ。
「……よし、時間だ」
蒸気を抜き、容器を開ける。
中から出てきたのは、もはや乳白色のドロドロした樹液ではなかった。
艶のある、黒くて強靭な塊だ。
「これが**『加硫ゴム(バルカナイズド・ラバー)』**です」
私はその黒い塊を引っ張った。
ビヨォォォン。
大人の力で限界まで伸ばしても、ちぎれない。そして手を離すと、パチン!と音を立てて元の長さに戻った。
「おおおっ!? なんだこの弾力は! それに、全然ベタつかんぞ!」
レイノルズ博士が驚愕してゴムを触りまくる。
熱湯に入れても溶けず、氷水に入れても硬くならない。
現代社会の自動車タイヤから靴底まで、あらゆるものを支える最強の弾性素材(エラストマー)の誕生である。
「さらに、こいつの最大の武器は『電気を一切通さない』ことです」
私はあらかじめ用意しておいた銅線に、この加硫ゴムをチューブ状に被せて密着させた。
『ゴム被覆線(インシュレーター・ケーブル)』の完成だ。
「……これで、高圧の電気を街中に這わせても、人が黒焦げになることはありません。見えない致死の川(電気)を安全に流す『堤防』です」
◇
数日後。
ベルナ領のメインストリートは、異様な光景に包まれていた。
ゴンゾ率いる建設部隊が、等間隔でコンクリートの支柱を立てているのだ。
「オーライ、引けェッ!」
蒸気トラクターのウィンチが唸りを上げ、太い黒色のケーブルが、高さ十メートルの支柱のてっぺんへと引き上げられていく。
『電柱』と『送電網(グリッド)』である。
「……空に黒い蜘蛛の糸が張られていくわね」
視察に来ていたソフィア王女が、空を見上げて呟いた。
景観という意味では、決して美しいものではない。だが、この黒い線こそが、都市に光と熱と情報を運ぶ「血管」となるのだ。
「あれが全部、電気の通り道なの? なんだか不思議な感じ。何も動いていないのに、莫大な力が流れるなんて」
「目には見えませんからね。でも、あれのおかげで、今夜からこの街の景色は劇的に変わりますよ」
私は時計を見た。
時刻は夕刻。太陽が西の海に沈みかけ、空が茜色から深い群青色へと染まっていく。
普段なら、人々が家路につき、街は蝋燭(ろうそく)の薄暗い光と深い闇に包まれる時間だ。
だが、今日は違う。
「……アレン様。各家庭および街灯への配線、全て完了しました」
作業服のまま駆けつけてきたゴーディが、誇らしげに報告した。
万博を訪れた特権階級の貴族たちは「自分の屋敷から電球をつけてくれ」と騒いだが、私は彼らを後回しにした。
最初に電気を通すのは、ベルナの街灯。
そして、労働者たちが住むコンクリートの高層アパートメントだ。
「発電所のボイラー、圧力規定値(マックス)に到達! タービン、安定回転に入りました!」
レイノルズ博士からの伝声管が響く。
いよいよだ。
私は街の中央広場に設置した、巨大なナイフスイッチ(開閉器)の前に立った。
広場には、歴史的瞬間を見届けようと、数万人の領民たちが集まっている。皆、固唾を飲んで私を見つめていた。
「皆の者。暗い夜(中世)は、今日で終わりだ」
私は大きく息を吸い込み、レバーを力強く押し込んだ。
ガコンッ!!
その瞬間。
チカッ……。
ブワァァァァァァッ!!!
メインストリートに等間隔で並んだ数百の街灯が、一斉にオレンジ色の眩い光を放った。
それだけではない。
背後にそびえ立つ高層アパートの窓という窓から、次々と光が灯っていく。
「う、おおおおおおっ!!」
「明るい! 昼間みてえだ!!」
「俺の部屋が光ってるぞ!!」
数万人の大歓声が夜空を震わせた。
星空をかき消すほどの、圧倒的な光の海。
燃えない光。風が吹いても消えない光。
ベルナ領は今、完全に「闇」を克服したのだ。
◇
光の海を見下ろす高台で、リリアーナが恍惚とした表情でその景色を眺めていた。
「……美しいですわ。金貨の輝きよりも、ずっと」
彼女は手元のバインダー(電気の契約書がぎっしり挟まっている)を胸に抱きしめ、私に微笑みかけた。
「アレン様。これで、毎月『電気料金』という名の税金が、自動的に私たちの金庫に入ってくるわけですわね。……不労所得の極みですわ」
「インフラ投資の回収ですよ。……それに、電球はあくまで『最初の一歩』に過ぎません」
光を得た都市は、次に「動力」を欲しがる。
蒸気機関のように巨大なボイラーを焚かなくても、コンセントに繋ぐだけでモーターが回る時代が来るのだ。
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