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第48話 切断された通信線と、歯車の暗号(エニグマ・マシン)
有線電信機(テレグラフ)の導入から数週間。
ベルナ領とメディシス商会は、王都の金融市場において「無敵」と化していた。
「……また勝ちましたわ。王都の穀物相場、暴落の三時間前に全玉を売り抜けました」
通信室で、大量の紙幣と契約書を前に、リリアーナが陶酔したように笑っている。
他国の天候不良、港への船の入港状況。これまでは馬で数日かかっていた情報が、ベルナ領には「秒」で届く。
結果として、私たちは未来を見通す予言者のように、市場の富を独占し始めていた。
だが、旧態依然とした王都の保守派貴族たちが、黙って自分たちの金庫が空になるのを見ているはずがなかった。
カチ、カチャ……プツン。
「……あら? アレン様。通信が途絶えましたわ」
「……やられたな。やはり物理攻撃に出たか」
私は電信機のメーターを見て溜め息をついた。
数時間後、巡回に出たゲイルのワイバーン部隊から報告が入った。王都へと続く街道沿いに立てられた電柱が何本も切り倒され、黒い電線がズタズタに切断されていたというのだ。
「王都の『大公爵派』の仕業に違いありませんわ!」
リリアーナが激怒して扇子をへし折った。
「私たちの情報伝達の秘密が『あの黒い線』にあると気づいたのです。……アレン様! すぐに護衛部隊を出して修理を!」
「落ち着いてください。想定内ですよ」
私は焦る彼女に、冷めた紅茶を差し出した。
「街道沿いの電柱は、見せしめ(デコイ)です。誰でも手の届く場所に、国家の生命線を一本だけしか引かないなんて、三流の設計者のやることだ」
私は黒板に、王都までのもう一つのルートを描いた。
「本命のケーブルは、すでにルーン川の『川底』に沈めてあります」
「川の底に!? ですが、水は電気を逃がしてしまうのでは……」
「だから『加硫ゴム』を何重にも巻き、さらにその外側を鋼鉄のワイヤーで装甲化した『防水海底ケーブル』にしたんです。これなら、剣や斧では絶対に切れません」
私は予備の回線(川底ルート)のスイッチを入れた。
カチカチッ、と再び受信機が小気味良い音を立て始める。
だが、私の顔は険しいままだった。
王都側に潜伏している諜報員(メイドのシオン)から、不穏なメッセージが届いたからだ。
『テキハ デンセンヲ キルノヲヤメタ。 カワゾコノ センニ トウチョウキヲ シカケタモヨウ(敵は電線を切るのをやめた。川底の線に盗聴器を仕掛けた模様)』
「……盗聴、ですって!?」
リリアーナが青ざめる。
「通信の仕組み(モールス信号)がバレたのですね! これでは、私たちがいつ何を売買するか、筒抜けになってしまいますわ!」
「ええ。敵にも優秀な学者がいるようだ。……だが、それも想定内だ」
私は通信室の奥から、タイプライターに似た木箱を持ってきた。
箱の上には、アルファベットが書かれたキーボードと、光るランプの盤面。そして、内部には複雑な配線が施された「三つの歯車(ローター)」が組み込まれている。
「これは……?」
「『機械式暗号機(ローター・マシン)』。……どんな天才暗号解読者でも、絶対に解けない鍵束です」
私はキーボードの「A」を押した。
だが、ランプが光ったのは「A」ではなく「K」だった。
そして「A」から指を離した瞬間、内部の歯車がカチャリと一つ回転した。
「もう一度『A』を押してみてください」
リリアーナが恐る恐る「A」を押す。
今度は「P」のランプが光った。
「なっ……! 同じ文字を打ったのに、違う文字が出ましたわ!?」
「それが『ローター(回転盤)』の力です。一文字打つごとに内部の回路が物理的に変化し、文字の変換規則がランダムに入れ替わる」
単純な換字式暗号(AをBにするなど)なら、文字の出現頻度からすぐに解読される。
だが、この機械は「打つたびに暗号のルールが変わる」のだ。
その組み合わせの数は、約一億五千万通り。スーパーコンピュータの無いこの世界では、解読は数学的に不可能だ。
「王都にいるシオンは、これと全く同じ設定の機械を持っています。……さあ、偽の取引情報(ノイズ)に混ぜて、本命の暗号を送りましょうか」
◇
数日後。王都の金融街。
大公爵をはじめとする保守派貴族たちは、頭を抱えていた。
「ええいっ! また大損だ! ベルナの通信を盗聴した通りに『鉄鉱石』を買い占めたというのに、なぜ暴落するのだ!」
「閣下! ベルナから送られてくる信号が、途中から意味不明な文字列に変わっております!『XRQZ PWK…』などと……我が軍の暗号学者でも、解読の糸口すら掴めません!」
彼らは知らなかった。
盗聴できた平文は、アレンがわざと流した「罠」であり、本命の取引指示はすべて暗号機によって無意味な文字列に変換されていたことを。
彼らが解読不能の文字列に頭を悩ませている間に、メディシス商会はシオンの復号した正確な情報に基づき、悠々と市場をコントロールしていた。
「……完全な敗北だ。我々は、目隠しをされたまま戦場に立たされていたのか……」
大公爵の悲鳴と共に、王都の旧勢力は経済的に完全に崩壊した。
情報の光速化と、絶対の秘匿性(セキュリティ)。
剣を一度も交えることなく、ベルナ領は王国の経済と情報を完全に支配下(コントロール)に置いたのだった。
◇
ベルナ領の執務室。
私は勝利の報告を受け、ようやく肩の力を抜いた。
「お見事ですわ、アレン様。これで私たちの邪魔をする愚か者は、王都から一掃されました」
リリアーナが極上のワインをグラスに注いでくれる。
だが、情報網を整備したことで、経済の良いニュースだけでなく、領内の「悪いニュース」も即座に入ってくるようになっていた。
コンコン。
ソフィア王女が、青ざめた顔で執務室に駆け込んできた。
「アレン! 大変よ! 下町の工場区画で、労働者たちが次々と高熱を出して倒れているわ! ただの風邪じゃない……集団感染よ!」
私は立ち上がった。
人口が急増し、三万人の捕虜を抱える都市に、避けられない厄災が牙を剥いた。
伝染病だ。
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