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第49話 見えざる敵と、青き奇跡の盾(ペニシリン)
王都との情報戦に勝利した喜びに浸る間もなく、ベルナ特区は新たな脅威に見舞われていた。
下町の工場区画――主に元帝国兵や出稼ぎ労働者が密集して暮らすエリアで、原因不明の高熱と激しい咳を伴う奇病が蔓延し始めたのだ。
「……ひどい有様です」
マスクで口元を覆ったソフィア王女が、簡易ベッドが並べられた工場跡地で悲痛な声を上げた。
彼女は王女という身分でありながら、率先して看病に当たっていた。かつて病弱だった自分を救ってくれたこの街の人々を、今度は自分が助けたいという強い意志があった。
「アレン。王都から取り寄せた『治癒のポーション』がもう底をつくわ。神殿の治癒魔法使いも疲労で倒れてしまったし……このままじゃ、死者が出る」
「ポーションは高価すぎるし、魔法使いの魔力(マナ)にも限界がある。数万人の平民を救うには、全くスケーラビリティ(拡張性)が足りない」
私はベッドで苦しそうに咳き込む労働者たちを見渡した。
人口密集、過酷な労働、そして急激な都市化による下水処理の遅れ。
これは呪いでも天罰でもない。都市が巨大化すれば必ず起きる「伝染病(パンデミック)」だ。
「ソフィア。彼らが飲んでいる水はどこから?」
「ルーン川の水をそのまま……。井戸はまだこの区画には行き渡っていなくて」
「やはりな」
私は労働者が飲もうとしていた木組みのコップを取り上げ、その水をガラスの小瓶に採取した。
「原因は水だ。……研究所へ戻るぞ。敵の正体を見せてやる」
◇
ベルナ研究所。
私は採取した泥水をガラスのプレパラートに一滴垂らし、工廠長ゴーディに作らせていた真新しい機械にセットした。
「……アレン。この筒とレンズの塊はなんじゃ? 遠眼鏡(望遠鏡)にしては小さすぎるが」
「逆ですよ、博士。遠くを見るのではなく、極小の世界を覗き込むためのものです。『複式顕微鏡(マイクロスコープ)』。……さあ、覗いてみてください」
レイノルズ博士がレンズを覗き込む。
数秒後、彼は「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて飛び退いた。
「な、なんじゃあれは!? 水の中に、無数の小さな芋虫のようなものがウネウネと泳いでおる!!」
「それが、病気の原因です」
私もレンズを覗き込んだ。
視野の中を蠢く、無数の桿菌(かんきん)。私の固有スキル【構造解析】が、それがコレラ菌に似た強力な病原菌であることを告げていた。
「『細菌(バクテリア)』。目には見えないほど小さな生物が、体内に入り込んで毒素を出し、人を病気にしているんです」
「見えない虫が、病の原因……!? 神の罰や、瘴気(しょうき)ではないというのか!」
ソフィアもレンズを覗き込み、息を呑んだ。
「これなら、ポーションが効きにくい理由も分かりますわ。ポーションは『傷を塞ぐ』か『体力を回復させる』もの。体内に巣食うこの虫たちを殺すわけじゃないから、一時しのぎにしかならないのね」
「その通りです。そして、この細菌を殺すために毒を飲めば、人間も死んでしまう。……細菌だけを殺し、人間には無害な『魔法の弾丸』が必要だ」
私は実験室の奥へ歩き、一つの「シャーレ(培養皿)」を持ってきた。
「実は数日前から、ある実験をしていたんです。……これを見てください」
シャーレの中には、寒天の培地の上に、病原菌がビッシリと白く繁殖していた。
だが、その中央部分だけが、ぽっかりと透明な「円」になっている。
その円の中心に生えていたのは――
「……カビ?」
「ええ。みかんやパンを放置すると生える、ただの『青カビ(ペニシリウム)』です」
私はその透明な円を指差した。
「カビもまた、生き残るために他の細菌と陣取り合戦をしています。この青カビは、周囲の細菌を殺す『特殊な防御液』を分泌している。……だから、カビの周りだけ細菌が死滅して透明になっているんです」
「……ッ!! つまり、この青カビの汁を薬にすれば!」
「細菌だけを殺し、人体には無害な特効薬になります。人類初の抗生物質、『ペニシリン』の誕生です」
レイノルズ博士が、震える手でシャーレを掲げた。
それは、神殿の権威とポーションの独占を打ち砕く、科学という名の新たな神の産声だった。
◇
数日後。
工廠の一部を「製薬ライン」に改装し、トウモロコシの煮汁を使って大量の青カビを培養。そこから有効成分(ペニシリン)を抽出・精製する突貫作業が行われた。
アレルギー反応に注意しながら、重症患者にペニシリンの投与が開始された。
結果は、劇的だった。
死を待つだけだった労働者たちの熱が、投与から数日で嘘のように下がり始めたのだ。
「アレン……! 熱が下がったわ! みんな、息が楽になったって!」
ソフィアが、涙ぐみながら私の胸に飛び込んできた。
工場跡地に作られた臨時病棟は、歓喜の声に包まれていた。
高価なポーションでも治せなかった病を、「カビの汁」というタダ同然の原料から作った薬が治してしまった。
「これで、感染爆発(アウトブレイク)は防げます。……ですが、これは対症療法に過ぎない」
私はソフィアの背中を軽く叩き、真剣な顔で告げた。
「根本的な解決には、清潔な上水道の整備と、下水処理場の建設が必要です。そして何より……患者を床に寝かせるような臨時病棟ではなく、近代的な『病院』が必要だ」
「病院……。誰でも、いつでも平等に治療を受けられる場所ね?」
ソフィアの目に、強い決意の光が宿った。
王女である彼女が、自らの手で人命を救う最前線に立つこと。それが、彼女自身の「生きる意味」になりつつあった。
「アレン。私に任せて。王家の財産を切り崩してでも、最高の病院を建ててみせるわ!」
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