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第53話 音を刻む円盤と、不死の歌姫(フォノグラフ)
ベルナ特区の中心部に新設された『大劇場(グランド・シアター)』。
天井の巨大なシャンデリア(白熱電球製)が煌々と照らす中、満員の観客たちは総立ちで拍手喝采を送っていた。
「ブラヴォー! 素晴らしい歌声だ!!」
ステージの中央で優雅にお辞儀をしているのは、王都から招聘(しょうへい)した絶世の歌姫、マリア・カラスコだ。彼女のソプラノは「神の楽器」と称され、これまでは王族や大貴族の夜会でしか聞くことのできない至高の芸術だった。
だが、金に糸目をつけないベルナ特区の経済力が、彼女をこの新興都市のステージへと引っ張り出したのだ。
貴賓席で拍手を送っていたソフィア王女が、感動で目を潤ませながら隣の私に言った。
「本当に素晴らしいわ、アレン。……でも、少し寂しいわね」
「寂しい? これほどの喝采なのにですか?」
「ええ。どんなに美しい歌声も、歌い終わった瞬間に空気に溶けて消えてしまう。……この感動を、病院で寝ている子供たちや、工場で働いている人たちにも分けてあげられたらいいのに」
音楽とは、時間と空間に縛られた「一過性」の芸術だ。
王都の大貴族たちは、その希少性ゆえに音楽家をパトロンとして囲い込み、独占してきた。
「……消えませんよ。光(写真)と同じです。波を捕まえて、物質に固定してしまえばいい」
私は立ち上がり、劇場の楽屋へと向かった。
◇
楽屋では、歌姫マリアがリリアーナと談笑していた。
「素晴らしい公演でしたわ、マリア様。……ですが、貴女のその美しい声も、いずれは年齢と共に衰えてしまう。芸術とは残酷なものですわね」
「ふふっ、商会の代表様は手厳しいですね。だからこそ、人々は今、この瞬間の私に金貨を払うのですよ」
マリアが誇り高く微笑んだところへ、私が大きな木箱と、巨大な「真鍮(しんちゅう)の朝顔型のラッパ」を抱えて入室した。
「失礼します。……マリアさん、貴女のその『神の楽器』を、永遠に衰えないようにして差し上げましょうか?」
「ベルナ伯爵様? それは、不老不死の魔法薬か何かですか?」
「いいえ、ただの物理学です」
私はテーブルの上に機械をセットした。
木箱の上には、蝋(ワックス)でコーティングされた黒い円盤(ディスク)が乗っており、ゼンマイ仕掛けで回転するようになっている。
そして、巨大なラッパの根元には、薄い雲母(うんも)の振動板と、サファイアの針が取り付けられていた。
「『円盤式蓄音機(グラモフォン)』です」
私はマリアを、ラッパの真正面に立たせた。
「音とは『空気の震え(波)』です。貴女がこのラッパに向かって大声で歌うと、ラッパの底にある薄い板が震える。その震えが針に伝わり、回転するこの蝋の円盤に『目に見えないほどの細かい溝』を彫り込んでいくんです」
「……私の声で、溝を彫る? 信じられませんわ」
「騙されたと思って、一番得意なフレーズを本気で歌ってみてください。いきますよ」
私はゼンマイを巻き、レバーを引いた。
円盤が一定の速度で回転を始める。私は針をそっと盤面に落とした。
「さあ、どうぞ!」
「……アァァァァーーーッ♪」
マリアが半信半疑ながらも、持ち前の圧倒的なソプラノで歌い上げた。
ラッパの奥で、かすかに「ジーッ」という針が蝋を削る音がする。
「はい、ストップ。ありがとうございます」
私は回転を止め、針を円盤の最初(外周)に戻した。
「さあ、聴いてください。これが貴女の『分身』です」
再びレバーを引き、円盤を回転させる。
ジーーー……というノイズ音。
マリアが怪訝な顔をした次の瞬間。
『……アァァァァーーーッ♪』
真鍮のラッパから、先ほどマリアが歌った全く同じソプラノの歌声が、楽屋中に響き渡ったのだ。
生歌に比べれば、音質はシャリシャリとしていて、低音も弱い。
だが、それは紛れもなく、そこにいるマリア自身の声だった。
「……ッ!!?」
「きゃあああっ!?」
マリアが悲鳴を上げて後ずさりし、ソフィアは驚きのあまり私にしがみついた。
「わ、私の声が……! 箱の中から聞こえてくる!?」
「溝に刻まれた『波の形』を、針がなぞって再び空気を震わせたんです。録音(レコーディング)の成功ですね」
私は回転する黒い円盤を指差した。
「マリアさん。これで貴女の声は不老不死になりました。貴女が百年後にこの世を去っても、この円盤がある限り、人々は貴女の歌声に涙することができます」
「永遠に……私の歌が、残る……」
マリアの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
芸術家にとって、自分の作品が時を超えることほど至上の喜びはない。
だが、その感動的な空気を、金の亡者がぶち壊した。
「……アレン様!!」
リリアーナが、鬼気迫る表情で私に詰め寄ってきた。彼女の目は、血走るほどに興奮している。
「この黒い円盤、型(マスター)を作れば、活版印刷のように何万枚も複製(プレス)できますわね!?」
「ええ。蝋の代わりに、虫の分泌物(シェラック)を使えば、安くて硬いレコード盤が大量生産できます」
「無敵ですわ……! 蓄音機の本体(ハード)は赤字覚悟で安く売りさばき、平民の家に普及させる! そして、この『レコード盤(ソフト)』を継続的に売り続けるのです!」
彼女はマリアの手をガシッと握りしめた。
「マリア様! 専属契約を結びましょう! 貴女の歌声を一枚銅貨数枚で売り出せば、劇場に来られない何百万という平民たちがこぞって買います! 貴女は王都の貴族に媚びを売る必要などなくなる。世界中の大衆が、貴女のパトロンになるのです!!」
音楽の民主化。
そして、「レコード産業」という巨大ビジネスの誕生である。
こうして、ベルナ特区から発売された蓄音機とレコード盤は、またたく間に世界を席巻した。
電気がない田舎の農家でも、ゼンマイさえ巻けば、王都の最高級オペラが聴けるのだ。
人々は夜な夜なレコードを囲み、音楽に涙し、笑い合った。
写真で「光」を切り取り、蓄音機で「音」を刻み込んだ。
となれば、残るエンターテインメントの究極系は一つしかない。
「アレン。……写真が動いて、そこから音が出たら、もっとすごいのになぁ」
蓄音機の前でレコードを聴いていたソフィアの何気ない一言が、私の技術者魂に火をつけた。
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