没落港の整備士男爵 ~「構造解析」スキルで古代設備を修理(レストア)したら、大陸一の物流拠点になり、王家も公爵家も頭が上がらなくなった件~

namisan

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第55話 竜の悲鳴と、宙に浮く絹袋(ホットエア・バルーン)



 ベルナ特区が「映画」の熱狂に包まれてから数週間。
 都市の経済は完全に限界突破(オーバーヒート)を起こしていた。
「若様! もう勘弁してくだせえ! ハヤテの腰が砕けちまいます!」
 執務室に転がり込んできたのは、空輸騎士団長のゲイルだった。
 彼の相棒である飛竜(ワイバーン)のハヤテは、窓の外のバルコニーでゼェゼェと荒い息を吐き、舌をだらりと垂らしている。
「王都の貴族どもが『扇風機を今すぐ空輸しろ』だの、『蓄音機とレコードを百枚届けろ』だの、無茶苦茶な注文ばかり押し付けてきやがる! 飛竜は馬車じゃねえんだ、十トンもの荷物は運べねえ!」
「……すまないな、ゲイル。需要が供給(ロジスティクス)を完全に超えてしまった」
 私はハヤテの鼻面を撫でながら謝った。
 ワイバーンは時速百キロ以上で飛べる最高の「連絡機」だが、生き物である以上、積載量(ペイロード)には限界がある。せいぜい人間数人と、軽い郵便物程度だ。
 重い工業製品を空から大量に運ぶには、羽ばたいて飛ぶ「鳥」の構造では物理的に無理がある。
「アレン様、王都までの鉄道敷設はまだ時間がかかりますわよ。どうするおつもり?」
 リリアーナが、売上帳簿を叩きながら急かしてくる。
 私は窓の外、青く澄み渡った初夏の空を見上げた。
「……自力で羽ばたくから疲れるんだ。何もしなくても『勝手に浮く力』を利用すればいい」
「勝手に浮く? 魔法の絨毯(じゅうたん)でも作るのか?」
「いいえ、物理学の基本『アルキメデスの原理(浮力)』です」
          ◇
 数日後。ベルナ特区の郊外にある広場。
 そこには、直径二十メートルにも及ぶ巨大な「布の袋」が、地面にぺしゃんこになって広げられていた。
「アレン。これ、東方から輸入したシルクよね? 随分とゴムの匂いがするけど」
 動きやすい乗馬服に着替えたソフィアが、布の表面を撫でて首を傾げた。
「ええ。空気が漏れないように、シルクの表面に『加硫ゴム』を薄くコーティングしてあるんです。……さあ、膨らませますよ」
 私は布の袋の開口部に設置された、金属製のバーナー(石炭ガスと液化燃料の混合器)のバルブを開いた。
 ゴォォォォォッ!!
 強烈な炎が吹き上がり、袋の中に熱風を送り込み始める。
 すると、ぺしゃんこだった巨大なシルクの袋が、まるで命を吹き込まれた巨獣のように、むくりと起き上がり始めた。
 パンパンに膨らみ、真ん丸な「気球」の姿になる。
「浮いた! おい、袋が勝手に空に向かって引っ張られてるぞ!?」
 ゲイルが、気球の下に吊るされた籐(とう)で編まれたゴンドラ(カゴ)を必死に押さえつけながら叫んだ。
 ゴンドラは、留め具のロープがちぎれんばかりに軋み、今にも空へ飛び立ちそうになっている。
「温められた空気は膨張し、周囲の冷たい空気よりも軽くなる。……それが『浮力』です」
 私はゴンドラにひらりと乗り込んだ。
「さあ、初飛行(テストフライト)だ。ソフィア様、ゲイル。乗るか?」
「乗るわ!」
「お、俺も行きますぜ! 羽がないのに飛ぶなんて信じられねえがな!」
 二人が乗り込んだのを確認し、私は地上でロープを抑えている作業員たちに合図を送った。
「係留ロープ、解放(リリース)!」
 バツンッ!
 ロープが放たれた瞬間。
「……えっ?」
「うおおおおっ!?」
 フワリ、という内臓が浮き上がるような感覚と共に、ゴンドラは音もなく、しかし猛烈なスピードで空へ向かって「落ちて」いった。
 ワイバーンのような羽ばたきの振動も、風を切る轟音もない。
 ただ、静寂の中をエレベーターのように上昇していく。
          ◇
 高度五百メートル。
 バーナーの燃焼音だけが響く中、私たちは雲の下を漂っていた。
「……信じられない。私、空に浮いているわ」
 ソフィアがゴンドラの縁から身を乗り出し、眼下に広がる世界を見て息を呑んだ。
 おもちゃのように小さく見えるコンクリートの摩天楼。太陽の光を反射するルーン川。そして、遠くには王都の城壁までが見渡せる。
 ハヤテに乗って空を飛び慣れているゲイルでさえ、足がすくんでいる。
「す、すげえ……。ハヤテの背中より安定してやがる。全然揺れねえし、これなら十トンの荷物でも余裕で持ち上げられちまうな……」
「それが気球(バルーン)の力だ」
 だが、私はバーナーの火力を調整しながら、厳しい顔で風を読んでいた。
「問題は『推進力』だ。気球は浮くことはできても、進む方向は『風まかせ』なんだよ」
 上空の風に流され、気球はゆっくりと東の海の方角へ流されている。
 王都へ行きたくても、風が逆向きならどうしようもない。これでは「定時運行」が絶対条件である物流インフラとしては失格だ。
「アレン、どうするの? このままじゃ海に落ちちゃうわ!」
「心配ありません。風の層(レイヤー)は高度によって向きが違う。……少し高度を下げて、陸へ向かう風を捕まえます」
 私はバーナーの火を弱め、気球内の熱気を少し逃がした。
 ゴンドラがゆっくりと降下し、別の風に乗って安全な平原へと着陸軌道を取る。
 無事に地面に降り立った後、私はしぼんでいく巨大な気球を見上げながら宣言した。
「実証実験は成功です。浮力で重い荷物を持ち上げられることは証明された。……なら、次はこいつに『骨』を入れて形を固定し、蒸気エンジンとプロペラをつけて『強引に風に逆らって進む船』を作ります」
「空飛ぶ船……!」
「ええ。ベルナの空を覆い尽くす、巨大な硬式飛行船(ツェッペリン)の建造計画をスタートします」
 ワイバーンの限界を超え、物理学がもたらした空の征服。
 だが、その圧倒的な力を聞きつけ、かつての敵国が「視察団」という名目でベルナ領へやってくることになる。

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