企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する 

namisan

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第19話 黒き光沢の怪堂(ファントム)と帝都への道

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 建国記念パーティーへの召喚状が届いた翌日。
 アインハルト領は、帝都遠征の準備で蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
 だが、当のアレクは、またしても工場の奥深くに籠もっていた。
「……アレク。出発は明日よ? 荷造りもせずに何をしているの」
 様子を見に来たエレノアが、呆れたように声をかける。
 彼女の隣には、父親であるゼノン公爵も腕を組んで立っていた。
「うむ。帝都までは馬車を飛ばしても一週間はかかる。街道の宿場町の手配もあるのだぞ、小僧」
 公爵の言葉は常識的だ。だが、アレクは油にまみれた顔で振り返り、ニヤリと笑った。
「一週間? そんなにかかっていたら、到着する頃には髭(ひげ)が伸びちまう。……二日で着く」
「二日だと? 早馬でも三日はかかる距離だぞ。王女殿下を乗せてそんな強行軍をすれば、お体が持たん」
「だから、馬車では行かないんです」
 アレクは背後の帆布(シート)を勢いよく引き剥がした。
 現れたのは、馬車でもなければ、あの武骨な『鉄竜(機関車)』でもない。
 流れるような曲線美を持つ、漆黒の金属の塊だった。
 全長六メートル。低く構えた車体は、鏡のように磨き上げられた黒塗り(ブラック・ラッカー)で、金色のラインが縁取られている。
 車輪は四つだが、木製ではない。分厚く、黒いゴムの塊が装着されている。
「な、何だこの形は……。馬を繋ぐ棒(シャフト)がないではないか」
 公爵が目を丸くする。
「【魔導乗用車(リムジン)】。形式番号『ファントム・エンペラー』。……俺たちの新しい足です」
 アレクは車体の横に立ち、その構造を解説し始めた。
 今回の目玉は、雪上車や機関車とは異なる、「快適性」と「悪路走破性」の両立だ。
「まず、この車輪だ。ただのゴムの輪じゃない」
 アレクは黒いタイヤを叩いた。
「『空気入りタイヤ(ニューマチック・タイヤ)』だ。ゴムの中にチューブを入れ、高圧の空気を封じ込めてある。これがクッションとなり、路面の小石や段差の衝撃を吸収する」
 以前の雪上車はソリと無限軌道だったが、今回は未舗装の帝国街道を高速で走る必要がある。
 アレクは、ゴムの樹液に硫黄と炭素粉末(カーボンブラック)を混ぜて加熱し、耐久性を飛躍的に高めた強化ゴムを錬成。それをドーナツ状に成形し、空気弁を取り付けた。
 これだけで、乗り心地は雲泥の差となる。
「次に、足回りだ」
 アレクは車体の下を覗き込ませた。
 そこには、タイヤを支える複雑な鉄のバネと、筒状の装置が見える。
「【独立懸架式サスペンション】だ。四つのタイヤがそれぞれ独立して動き、バネと油圧ダンパー(衝撃緩衝装置)が揺れを殺す。……馬車のようにガタガタ跳ねることはない。揺りかごに乗っているようなものさ」
 そして、心臓部であるボンネットを開ける。
 そこには、V字型に配置された八つのシリンダーを持つ、新型魔導エンジンが収まっていた。
「V型八気筒魔導エンジン。機関車のボイラーとは違い、魔石のエネルギーを直接回転運動に変えるピストンを八つ搭載している。静かで、かつ爆発的な加速を生む」
「……理屈は分からんが、馬がいなくても走るということだな?」
 公爵がおそるおそる黒い車体に触れる。
「ええ。それに、内装にもこだわりましたよ」
 アレクが後部座席のドアを開ける。
 重厚な音と共に開いた車内は、走る応接室だった。
 最高級の魔獣の革をなめして作ったベージュ色のシート。床には深紅の絨毯。窓には遮光ガラスがはめ込まれ、外からは見えないが中からは景色が一望できる。
 さらに、小型の【魔導冷蔵庫】も完備され、冷えたシャンパンとグラスがセットされていた。
「……呆れた。これを作っていたのね」
 エレノアがため息をつくが、その目は輝いている。
「当然だ。セシリアや君たちを、埃(ほこり)まみれの馬車に乗せるわけにはいかないからな」
 アレクは布で手を拭き、胸を張った。
「さあ、出発は明朝だ。……帝都の貴族たちの度肝を抜いてやろう」
 ***
 翌朝。
 アインハルト領の出口、舗装道路の終端に、漆黒のリムジン『ファントム』が待機していた。
 運転席にはアレク。
 助手席には、護衛兼ナビゲーターとしてシルヴィア。
 そして広々とした後部座席には、ゼノン公爵、エレノア、セシリア、ミレーヌ、そしてベアトリスの五人が優雅に座っている。
「少し狭くないか? と言いたいところだが……この座席、馬車より広いな」
 公爵が足を組み、冷えたグラスを傾ける。
「五人乗っても余裕の広さですわ。それに、本当に静か……」
 セシリアが窓の外を見る。
 エンジンはすでにかかっているが、車内に響くのは微かなハミング音だけだ。
「では、行きます。……シートベルトをお締めください」
 アレクがアクセルペダルを踏み込んだ。
 ブォォォォォォン……!
 低く、腹に響く排気音と共に、巨大な車体が滑るように加速した。
 舗装道路の上では、まさに氷上を滑るごとき滑らかさ。
 だが、問題はその先だ。
 領地を出ると、道は石畳と土が混じった、デコボコの旧街道になる。
「アレク! 道が悪くなるわよ! 速度を落として!」
 エレノアが叫ぶが、アレクは逆にアクセルを踏み増した。
「必要ない。このサスペンションなら、こんな道は『平地』だ!」
 ガッ、ボコッ……フワッ。
 タイヤが大きな石を乗り越えた瞬間、車体は大きく跳ねる――はずだった。
 しかし、車内の乗客が感じたのは、船が波を乗り越えるような、ゆっくりとした上下動だけだった。
 サスペンションが激しく伸縮し、衝撃を完全にいなしたのだ。
「なっ……!? 揺れない!? コップの水がこぼれないぞ!?」
 公爵が驚愕する。
 窓の外では、並走しようとした公爵家の護衛騎士たちの馬が、泥に足を取られてみるみる引き離されていく。
「お父様の護衛、置いていきますよ?」
「構わん! あやつらが遅いのだ! ……それにしても、速い。時速六十キロは出ているか?」
「現在八十キロです。道が良ければ百キロは出せます」
 黒い怪物は、土煙を巻き上げながら街道を爆走した。
 すれ違う旅人の馬車や、商隊が、目を見開いて道を譲る。
 馬もいないのに、風のように駆け抜ける黒い鉄の箱。それはまさに、幽霊(ファントム)のごとき光景だった。
 車内では、興奮冷めやらぬ女性陣が、次なる「武器」の話をしていた。
「ねえアレク。帝都に着いたら、まず何をするの?」
 ミレーヌが身を乗り出す。
「まずは宿に入る……と言いたいが、このまま王城へ乗り付ける。皇帝陛下への挨拶が最優先だ」
「ふふ、この車で王城の門をくぐるのですか? 衛兵が腰を抜かしますわね」
 ベアトリスが悪戯っぽく笑う。
「それに、私たちの『衣装』も、見せつけてやりませんと」
 彼女たちが纏(まと)っているのは、出発前にアレクが新素材で作ったドレスだった。
 従来の絹や綿ではない。
 石炭と水と空気から錬成した、魔導合成繊維――【ナイロン】と【ポリエステル】の混紡生地だ。
 絹以上の光沢を持ちながら、シワにならず、鮮やかな染色が可能。
 セシリアのドレスは、見る角度によって色がオーロラのように変わる「偏光繊維」が織り込まれており、エレノアのドレスは、レース部分が信じられないほど繊細かつ強靭に作られている。
「このドレス、軽くて動きやすいのに、とっても華やか……。帝都の貴婦人たちが、羨ましがって卒倒する顔が目に浮かびますわ」
 エレノアがスカートを撫でて微笑む。
 アインハルト領は、重工業だけでなく、ファッションというソフトパワーでも帝国を侵略しようとしていた。
 旅は順調だった。
 夜は、街道沿いの森に車を停め、アレクが開発した【携帯用魔導コンロ】で温かい食事を取り、車内の座席をフルフラットにしてベッドにした。
 魔獣や盗賊が出ても、車の装甲と速度、そしてアレクの結界魔法の前では無力だった。
 そして、出発から二日目の昼。
 フロントガラスの向こうに、巨大な城壁と、天を突くような尖塔群が見えてきた。
 帝都「アルカディア」。
 大陸最大の人口と繁栄を誇る、帝国の心臓部。
「見えてきたな。……あれが、俺たちの新しい戦場だ」
 アレクがハンドルを握り直す。
 後部座席では、公爵が不敵に笑い、セシリアが扇を閉じて背筋を伸ばした。
「行きましょう、アレク様。私が選んだ男が、皇帝陛下よりも偉大であることを証明しに」
 黒きファントムは、速度を緩めることなく、帝都の正門へと滑り込んでいった。
 門番たちの悲鳴と、群衆のどよめきが、彼らの到着のファンファーレとなるはずだった。
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