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第18話 公爵の誤算と魔導昇降機
しおりを挟むアインハルト中央駅の三階、司令室。
そこでは、帝国でも一、二を争う高貴な身分であるはずの公爵令嬢が、小動物のように震えていた。
「ど、どうしましょうアレク……! お父様よ!? あの『氷の宰相』と呼ばれるお父様が来たのよ!?」
エレノアは顔面蒼白で、アレクの袖を掴んで揺さぶる。
「連れ戻されるわ……。そして、修道院送りか、ハゲた古狸のような貴族の後妻にさせられるのよ……っ!」
「落ち着け、エレノア。今の君は『ただの公爵令嬢』じゃない。アインハルト領の外交顧問だ」
アレクは彼女の震える肩をポンと叩いた。
「それに、今のこの領地は、公爵家といえども無視できない力を持っている。堂々としていればいい」
その時、司令室の【魔導電話】が鳴った。一階の改札口からだ。
『――閣下、到着されました。ヴァレンシュタイン公爵閣下と、その護衛団です』
「分かった。すぐに行く」
アレクは受話器を置き、鏡で襟元を正した。
「行くぞ。……とびきりの『おもてなし』をしてやろう」
***
駅の正面エントランス。
数台の豪華な馬車が停車し、中から一人の初老の男が降り立った。
ゼノン・ローズ・ヴァレンシュタイン公爵。
帝国の宰相を務めるその男は、鋼のような銀髪を撫で付け、冷徹な碧眼(へきがん)で目の前の建造物を見上げた。
「……これが、噂の『水晶の駅』か」
低い声だった。感嘆ではなく、値踏みするような響き。
ガラスとコンクリートで構成された未来的な外観。自動で開閉するガラスの扉(魔力感知式)。そして、内部を行き交う人々――冒険者、商人、そして鉄道を利用する一般市民たちの活気。
かつて「貧困の掃き溜め」と呼ばれたアインハルト領の面影は、どこにもなかった。
「お越しいただき感謝します、ヴァレンシュタイン公爵閣下」
アレクが、エレノアを伴って姿を現した。
ゼノン公爵の視線が、アレクを通り越し、娘へと突き刺さる。
「……エレノア。随分と楽しそうに『家出ごっこ』をしているようだな」
「お、お父様……」
エレノアが萎縮して俯(うつむ)く。
「遊びは終わりだ。帰るぞ。婚約破棄された傷物の娘が、いつまでも男の家に居座るなど、公爵家の恥だ」
問答無用の命令。周囲の護衛騎士たちが、強引にエレノアを連行しようと動く。
だが、アレクが一歩、その前へ立ちはだかった。
「お言葉ですが閣下。彼女は現在、我が領の『鉄道事業』における重要や役職を担っております。急に抜けられては困るのです」
「……たかがド田舎の事業ごときに、我が娘が必要だと?」
ゼノン公爵が鼻で笑った。
「それに、貴様のような借金まみれの小僧に、娘を預ける義理はない」
「借金なら完済しました。……まあ、立ち話もなんです。積もる話は、上の応接室で伺いましょう」
アレクは手で奥を促した。
「三階です。どうぞ、こちらへ」
案内されたのは、階段の前……ではなく、壁に埋め込まれた重厚な鉄格子の扉の前だった。
アレクが壁のボタンを押すと、チーンという涼やかな音と共に扉が左右に開き、小さな「鉄の小部屋」が現れた。
「……なんだこれは。牢屋か?」
公爵が怪訝(けげん)な顔をする。
「いえ、【魔導昇降機(エレベーター)】です。階段を使わず、人を垂直に運ぶ移動装置です」
「垂直に運ぶ、だと?」
アレクは公爵とエレノア、そして少数の護衛を箱の中に招き入れた。
内部は鏡張りで、手すりは真鍮(しんちゅう)製、床には赤い絨毯が敷かれた豪華な内装だ。
アレクが操作盤の『3』のボタンを押す。
ガクン、という微かな振動の後、浮遊感が襲った。
「なっ……!?」
公爵が思わず手すりを掴む。
外の景色が見えるわけではないが、体感で分かる。この部屋自体が、上昇しているのだ。
「仕組みは単純です」
アレクは天井を指差した。
「この箱の上には、強靭なワイヤーが繋がっており、建物の最上部にある滑車を通って、反対側の『釣合重り(カウンターウェイト)』と結ばれています。つまり、天秤のような状態です」
箱と重りの重量をほぼ同じにすることで、小さな力で動かせるようにする。
そして、その動力を生むのが、最上部に設置された【魔導巻上機(ウィンチ)】だ。
「魔導モーターがワイヤーを巻き上げることで、滑らかに上昇します。万が一ワイヤーが切れても、レールの摩擦を利用した『非常停止装置(ガバナ)』が作動し、落下を防ぎます」
説明が終わる頃には、再びチーンという音が鳴り、扉が開いた。
そこはもう、三階の応接フロアだった。
「……馬鹿な。三十段はある階段を、歩きもせず、わずか十秒で……」
公爵は、乱れひとつない呼吸で廊下を歩くアレクの背中を、驚愕の眼差しで見つめた。
足腰の弱った老人や、重い荷物を持つ者にとって、これがどれほどの革命か。宰相である彼には痛いほど理解できたからだ。
応接室に通された公爵は、出された極上のウォッカ(ロック)を一口飲み、深く息を吐いた。
もはや、アレクを侮る色は消えていた。
「……認めよう、アインハルト伯爵。貴様は無能ではないようだ」
公爵はグラスを置き、本題を切り出した。
「だが、だからこそエレノアは返してもらう。貴様はこの領地で、あまりに目立ちすぎた。帝国中が貴様の『富』と『技術』を狙っている。……娘を戦場(トラブル)の真ん中に置いておくわけにはいかん」
それは、親としての歪んだ愛情であり、政治家としてのリスク管理だった。
アインハルト領は今後、利権争いの中心地になる。そこに娘がいれば、人質にされる危険がある。
「ご心配には及びません」
アレクは、机の上の黒い受話器を持ち上げた。
「我が領地は、情報と速度において、すでに帝国を凌駕しています」
彼は受話器を公爵に差し出した。
「耳に当ててみてください」
公爵が不審そうに受話器を受け取る。
『――こちら、南の関所。定期報告。現在、異常なし。……おや? そちらの受話器を持っているのは……?』
聞こえてきたのは、五キロ以上離れた関所の兵士の声だった。
「こ、これは……遠話の魔法か? いや、魔道具か!」
「【魔導電話】です。私の領地は、端から端までこの線で繋がっています。敵が侵入すれば即座に把握し、鉄道で戦力を急行させられる。……帝都の早馬より、数倍速く」
アレクは公爵の目を見据えた。
「それに、エレノアはただ守られるだけの存在じゃありません。彼女はこの数週間、貴族との交渉、式典の運営、そして荒くれ者の作業員への指示まで、見事にこなしました。……彼女は、私の『共同経営者』として不可欠なんです」
隣で聞いていたエレノアが、ハッと顔を上げる。
「アレク……」
「閣下。娘さんを、鳥籠に戻すつもりですか? それとも、この新しい時代の『女王』になる可能性に賭けますか?」
室内には、重い沈黙が流れた。
ゼノン公爵は、娘の顔を見た。
かつてのように怯え、父の顔色を伺うだけの娘ではない。ドレスは少し汚れているが、その瞳には、自分の意志でここに立っているという強い光が宿っていた。
「……フン」
公爵は鼻を鳴らし、ウォッカを一気に煽(あお)った。
「……いい酒だ。この酒の流通ルート、我が公爵家が一枚噛んでも良いのだな?」
「お父様!?」
エレノアが声を上げる。
「勘違いするな。監視だ。……この男が調子に乗って破滅しないよう、公爵家が後ろ盾となって監視してやる、と言っているのだ」
公爵は不器用に視線を逸らした。それは、彼なりの最大限の譲歩であり、事実上の「婚約破棄の撤回」宣言だった。
「ありがとうございます、義父上(・・・)」
「誰が義父だ! まだ認めたわけではない! ……せいぜい、稼いでみせろ」
こうして、アインハルト領は帝国最強の政治的後ろ盾を手に入れた。
だが、その安堵も束の間。
司令室の扉がノックされ、セシリアが青ざめた顔で飛び込んできた。
「アレク様! 大変です!」
「どうした、セシリア」
「王宮からの……『皇帝陛下』からの勅命です。……『アインハルト伯爵、および第三王女セシリアは、次回の建国記念パーティーに出席せよ』と」
それは、ただの招待状ではない。
急速に力をつけたアレクを、皇帝自身が「査定」するための呼び出しだった。
「……ラスボスの次は、裏ボスの登場か」
アレクは苦笑し、公爵を見た。
公爵もまた、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべていた。
「面白くなってきたな、小僧。……帝都の貴族どもに、その『田舎の農機具』とやらを見せつけてやろうではないか」
舞台は、北の辺境から、魔と欲望が渦巻く帝都へと移ろうとしていた。
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