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第28話 虹のランウェイと崩れ落ちる厚化粧
しおりを挟む帝国の建国記念パーティー。それは一年で最も華やかで、かつ残酷な夜会だ。
王城の正門から続く石畳の道には、数百台もの豪華な馬車が列をなし、着飾った貴族たちが我先にと入場を競い合っていた。
馬のいななき、御者の怒号、車輪の軋(きし)み。
その喧騒を、低く重厚なエンジン音が切り裂いた。
ブォォォォン……。
漆黒の【魔導乗用車(リムジン)】ファントムが、馬車の列を悠々と追い越し、貴賓用エントランスに滑り込む。
音もなくピタリと停止するその巨体に、周囲の視線が釘付けになった。
「なんだ、あれは?」
「黒い鉄の棺桶か? いや、鏡のように輝いているぞ……」
ざわめきの中、運転席から降りたアレクが、後部座席のドアを開けた。
その瞬間、夜会の空気が変わった。
最初に降り立ったのは、第三王女セシリア。
彼女が纏うペールブルーのドレスが、エントランスの魔導照明を浴びて、オーロラのように揺らめいた。
「……っ!」
誰かが息を呑む音がした。
続いて、深紅の薔薇のようなエレノア、夜の闇を切り取ったようなベアトリス、黄金の輝きを放つミレーヌ。
四人の美女が並び立った時、そこはただの石畳ではなく、光り輝くランウェイへと変貌した。
彼女たちのドレスは、従来の絹やベルベットとは決定的に異なっていた。
【虹色絹(プリズム・シルク)】。
アレクが蜘蛛の糸をナノレベルで再構築したその繊維は、染料による色ではなく、光の屈折による「構造色」を放っている。見る角度によって色が移ろい、まるで発光しているかのような錯覚を与えるのだ。
重厚な宝石や刺繍で飾り立てた周囲の貴婦人たちのドレスが、一瞬で色あせて見えた。
「行くぞ。……胸を張れ」
燕尾服姿のアレクが、セシリアとエレノアの手を取り、エスコートする。
その後ろを、ベアトリスとミレーヌ、そして執事姿のシルヴィアが続く。
一行は、堂々と王城の大広間へと足を踏み入れた。
***
大広間は、数百人の貴族たちの熱気と、むせ返るような香水の匂いで充満していた。
だが、アレクたちが現れると、モーゼが海を割るように人垣が開いた。
注目と、羨望と、そして嫉妬の視線。
その中から、一人の年配の女性が進み出てきた。
扇子を派手に広げ、顔を真っ白に塗りたくった、体格の良い貴婦人だ。
**オレガノ侯爵夫人**。
帝都の社交界を牛耳る重鎮であり、古い因習と流行の番人と呼ばれる女傑だ。彼女のドレスは、フリルと宝石で埋め尽くされ、歩くたびにジャラジャラと音がするほど重そうだ。
「あらあら、どなたかと思いましたら……アインハルトの田舎伯爵と、家出娘のエレノア様ではありませんか」
オレガノ夫人が、甲高い声で嘲笑する。
「それにしても、なんと貧相なドレスでしょう。布地が薄すぎて、下着のようですわ。北の辺境では、布を買うお金もありませんの?」
彼女の取り巻きたちが、下品な笑い声を上げる。
確かに、アレクのドレスは軽やかさを重視しており、彼女たちの重厚なドレスとは対照的だ。
だが、エレノアは動じなかった。
彼女は扇子を口元に当て、冷ややかに微笑んだ。
「ごきげんよう、オレガノ夫人。……相変わらず、素晴らしい『重装備』ですわね。肩が凝りそうですわ」
「なっ……!?」
「それに、私のドレスが貧相? ふふ、近くでご覧になって?」
エレノアが一歩近づき、くるりとターンしてみせた。
その動きに合わせて、ドレスの裾が空気を含んでふわりと舞い上がり、深紅から鮮烈な紫、そして黄金へと色が変化した。
魔法ではない。物理現象としての光のダンスだ。
「きれい……」
「なんだあの布は? まるで蝶の羽のようだ」
周囲の若い貴族たちが魅了され、ため息を漏らす。
オレガノ夫人の宝石の輝きなど、この有機的な光の前では霞んでしまう。
さらに、ミレーヌが追い打ちをかけた。
「夫人。ドレスだけではありませんわ。……お顔の色も、少し優れませんの?」
ミレーヌが、自身の頬を指差す。
アインハルト一行の肌は、薄化粧でありながら、内側から発光するような瑞々(みずみず)しさを保っている。
対して、オレガノ夫人の顔は、厚塗りされた鉛白粉(おしろい)が、会場の熱気と汗でひび割れ、首筋には白い汗が垂れていた。
「我々が使っているのは【魔導化粧品(コスメ)】。肌に負担をかけず、呼吸を妨げません。……失礼ですが、夫人のその厚塗りでは、肌が窒息して悲鳴を上げておりますわよ?」
「き、貴様ら……! わたくしを愚弄する気か!」
オレガノ夫人が激昂し、顔を真っ赤にする――が、白粉の下なので斑(まだら)模様になるだけだ。
彼女は扇子を振り上げ、エレノアを打ち据えようとした。
パシッ。
その手首を、横から伸びた手が軽々と掴んだ。
アレクだった。
「……やめておいた方がいい。化粧が崩れますよ」
アレクは冷たく言い放ち、夫人の手を離した。
その瞬間、ファンファーレが鳴り響いた。
「皇帝陛下、ご入場でーす!!」
大階段の上に、皇帝フリードリヒが現れた。
会場が一斉に静まり返り、全員が臣下の礼を取る。オレガノ夫人も慌てて頭を下げるが、汗で白粉が目に入り、痛みに顔を歪めている。
皇帝は階段をゆっくりと降り、貴族たちの間を歩いた。
そして、真っ直ぐにアレクたちの前で足を止めた。
「……見事だ」
皇帝は、セシリアとエレノアのドレス、そして彼女たちの晴れやかな表情を見て、満足げに頷いた。
「カイザーの件で心を痛めているかと思ったが……杞憂だったようだな。その衣装、帝国の新しい夜明けに相応しい」
「恐悦至極に存じます、陛下」
アレクが恭しく一礼する。
「アインハルト伯爵。……余のダンスの相手は、誰が務めてくれるのだ?」
皇帝が茶目っ気たっぷりに尋ねる。
「本日は、我が婚約者たちが務めさせていただきます。……まずは、我が儘(まま)な公爵令嬢から」
アレクが背中を押すと、エレノアが進み出た。
「お相手仕ります、陛下」
エレノアがカーテシー(膝を折る挨拶)をすると、ドレスが花が開くようにふわりと広がった。
皇帝は彼女の手を取り、フロアの中央へと導いた。
音楽が始まり、皇帝とエレノアが踊り出す。
軽やかな【虹色絹】は、ステップのたびに光の軌跡を描き、会場中の視線を独占した。
もはや、オレガノ夫人を見る者はいない。彼女は崩れた化粧を隠すように扇子で顔を覆い、逃げるように会場の隅へと退散していった。完全な敗北だった。
その様子を見ながら、ミレーヌが手帳を取り出し、周囲の貴婦人たちに囁(ささや)いた。
「……あのドレスの生地、そして崩れないお化粧品。すべて『アインハルト商会・帝都支店』にて、明日から予約を受け付けますわ。限定生産ですので、お早めに」
瞬間、彼女の周りに貴婦人たちが殺到した。
「予約します! 私、三着欲しいわ!」
「その化粧水、いくらでも出すわ! 私の肌を救って!」
「わたくしも! アインハルト伯爵のファンになりますわ!」
商談の嵐。
アレクはグラスを片手に、その光景を眺めていた。
(……作戦成功だな)
武力で敵を排除し、美で味方を増やす。
これで帝都におけるアインハルト家の地位は盤石なものとなった。
だが、宴(うたげ)はまだ終わらない。
ダンスを終えた皇帝が、アレクを手招きした。
「伯爵。……別室へ来い。面白い客を紹介してやる」
皇帝の目は、政治家のそれに変わっていた。
「面白い客、ですか?」
「ああ。東の『魔法王国』からの使者だ。……どうやら、お前の作った『鉄道』に興味があるらしいぞ」
新たな火種。
アレクはグラスを飲み干し、不敵に笑った。
「望むところです。……売りつけてやりましょう。世界を変える技術をね」
華やかなパーティーの裏で、次なる国家間交渉の幕が上がろうとしていた。
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