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第1章
第1話:最果ての港と監察官
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潮の香りが、遠い記憶の蓋をこじ開けた。
それは、前世で嗅いだ重油の匂いが混じる工業地帯のそれとは違う。どこまでも澄んだ、生命の息吹を感じさせる純粋な海の香り。この香りを嗅ぐたび、俺は、自分がもう湊(ミナト)ではないことを思い知らされる。
「……ミナト様、朝食の準備ができました」
控えめなノックと共に、年老いた侍女の声が扉の向こうから聞こえる。俺は軋むベッドからゆっくりと身体を起こした。窓から差し込む朝日が、埃っぽく簡素な部屋を照らし出す。壁にかけられた姿見には、まだ見慣れない顔が映っていた。細身だが骨格のしっかりとした、十代後半といったところの青年の姿。銀に近い淡い金髪に、海の青を溶かし込んだような瞳。貴族らしい整った顔立ちだが、その表情には生気がなく、どこか諦観が漂っている。
ミナト・アークライト。
それが、この世界での俺の名前だ。
かつてはアラストリア王国の海運を一手に担い、侯爵の地位にあったアークライト家の三男。政争に敗れ、爵位も領地もその大半を剥奪された没落貴族の、取るに足らない末息子。それが今の俺の立場だった。
日本の海運会社で働いていた俺が、船倉での荷崩れ事故で死んだはずの俺が、なぜこんな場所にいるのか。理由はわからない。だが、気がついた時には、俺はこの青年の身体の中にいた。そして、前世の記憶と、このミナト・アークライトとして生きてきた記憶が、奇妙な形で同居している。
厄介者として中央から追いやられ、かつてアークライト家が所有していたこの最果ての港町、アルトマールの名ばかりの代官として赴任して、早三月。新しい人生だというのに、その未来はあまりに暗く、俺はただ無気力に日々をやり過ごしていた。
侍女が運んできた固いパンと薄いスープの朝食を終え、俺は日課となっている港の見回りに向かった。石畳の道はところどころが崩れ、雨水が溜まった窪みを避けながら歩く。建ち並ぶ倉庫の多くは扉が固く閉ざされ、壁には一面の苔がこびりついていた。すれ違う人々は、代官である俺に一応の礼はするものの、その目には何の期待も宿っていない。むしろ、没落貴族の若造に対する侮蔑の色さえ見て取れた。彼らにとって、俺は過去の栄光の残骸であり、現在の停滞の象徴でしかないのだ。
だが、そんな人々の視線とは裏腹に、俺の目は専門家としての光を帯びていた。
このアルトマールの港。その地形、桟橋の構造、倉庫の配置。寂れてはいるが、その全てが、かつて一流の専門家によって設計されたものであることを示している。三方を小高い丘に囲まれた湾は、外洋からの荒波を防ぐ天然の防波堤の役割を果たしている。水深も十分で、少し浚渫さえすれば、大型のガレオン船ですら余裕で接岸できるだろう。桟橋の基礎に使われている石材も、この地方で採れる中でも特に強度の高いものだ。
「宝の持ち腐れとは、このことだな」
思わず独り言が漏れた。
この港が死にかけている理由はただ一つ。十数年前から近海に発生したという“霧の海域”と、そこに巣食うとされる“海竜”の存在。それによって主要な交易ルートから外れてしまい、物流が完全に途絶してしまったからだ。
前世の知識が、頭の中で警鐘を鳴らす。
物流こそが国家の血流だ。それが滞れば、経済は死に、国力は衰える。この港を再生させることは、単にこの町を救うだけでなく、アラストリア王国全体の未来にも関わる重要な課題のはずだ。だが、中央の貴族たちは、この港を見捨てた。多額の投資をして航路の安全を確保するよりも、陸路の整備に注力する方を選んだのだ。それは、アークライト家という海の権威を、このまま歴史の闇に葬り去りたいという政治的な思惑も絡んでいるのだろう。
「俺なら、できる。いや、俺にしかできない」
この港を、もう一度蘇らせる。かつての繁栄を超える、世界一の交易拠点として。
そして、アークライト家の名を、再びこの大陸に轟かせるのだ。
その野望が明確な形になった瞬間、全身に今まで感じたことのない感覚が駆け巡った。ふわりと頬を撫でる潮風。その流れ、湿度、塩分濃度、それらがまるで数値データのように、直接脳に流れ込んでくる。
『西からの風が、あと半刻ほどで少し強くなる。沖は穏やか。だが、あの岬の先は、海底の地形が複雑で潮の流れが渦を巻いている。小型船で不用意に近づけば、たちまち転覆するだろう』
知識ではなく、感覚。これが、この世界に来てから俺の中に芽生えた、魔法の力らしい。
貴族教育の一環として魔法の基礎も学んだが、ミナト・アークライト自身に、これほどの才能はなかったはずだ。おそらく、転生した影響で発現した、俺だけの力。
「風詠み(ウィンドリード)」
俺は、この力をそう名付けた。
前世の海運知識と体系化された航海術。貴族として受けた高等教育による政治や経済の知識。そして、この世界で得た魔法の力。この三つを組み合わせれば、巨大な権力に立ち向かうことだって不可能ではない。
「まずは、金と、人と、実績だ」
俺は踵を返し、町で唯一、昼間から人の集まる酒場へと足を向けた。港のすぐそばにある「波しぶき亭」。そこには、仕事もなく燻っている船乗りたちがいる。彼らの中に、俺の計画の最初の駒となる人間がいるかもしれない。
酒場の扉を開けると、アルコールと怠惰な空気が俺の鼻腔を突いた。昼間だというのに薄暗い店内に、男たちの濁った声が響いている。俺の姿を認めると、何人かが嘲るような視線を向けてくる。「お貴族様のおなーりだ」と揶揄する声も聞こえる。俺はそんな雑音を無視し、カウンターの一番端に腰掛けた。目的は、情報収集だ。
しばらくして、予想通りの言い争いが始まった。若い船乗りが、荷運びの契約が流れたことで小柄な商人に詰め寄っている。航海士として雇ったダリオという老人が、潮の流れが悪いと言って出港を拒んだことが原因らしい。
「だから言ったんだ!あんなボロ船で、しかも片足がないダリオ爺さんを航海士に雇うからこうなるんだ!」
「そんなことを言われましても……。積荷を隣町まで運んでくれる船が、他に見つからなかったのです」
「言い訳はいい!あんたのせいで、俺の今月の稼ぎはゼロだ!どうしてくれるんだ!」
ダリオ。その名に俺は心の中で快哉を叫んだ。かつて父である先代アークライト侯爵に仕えていた、最も信頼の厚い航海士の一人だったはずだ。家の没落と共に野に下り、海の魔物に片足を奪われてからは酒浸りの日々を送っていると聞いていたが。
潮の流れを理由に出港を中止する。他の船乗りたちが不満を言う中で、その的確な判断を下せる航海士。経験と勘だけが頼りのこの世界で、その判断ができる人間は、間違いなく本物だ。彼なら、俺の計画の要になってくれる。
俺は席を立ち、言い争う彼らの元へと近づいた。
「少し、よろしいかな」
俺が声をかけると、その場の全員が、驚いたようにこちらを振り向いた。
「アークライトの……若様」
「あなたが荷主かな。その積荷、私が運ぼう」
俺の言葉に、酒場全体が水を打ったように静まり返り、次の瞬間、爆笑が起こった。
「ははは!面白い冗談を言う!船も漕いだことのないお貴族様が、何をできるってんだ!」
「船なら、ある」
俺は、平然と言い放った。代官として管理権を持つ、港に眠るアークライト家所有の小型船。今は使われていないが、整備すればまだ動くはずだ。
「ただし、条件がある。船の整備と改良に必要な費用を前金でいただきたい。航海士としてダリオ殿を雇うこと。そして、無事に積荷を届けられた際の成功報酬。この三つだ」
俺の揺るぎない瞳に、若い船乗りは言葉を詰まらせ、ボルガと名乗った商人は、何かを信じるように深く頭を下げた。
「わかりました……。あなた様に、賭けてみましょう」
「その時は、アークライト家の名も、この私も、この海に沈むだけだ。元より、失うものなど何もない」
ボルガと固い握手を交わし、俺は酒場を後にした。
さあ、始めよう。資金と人材の目処は立った。あとは、あの古びた船を蘇らせ、圧倒的な結果を出すだけだ。俺の胸には、久しぶりに熱いものが込み上げていた。
だが、その高揚感は、港の入り口で突如として打ち砕かれることになる。
町の埃っぽい道に不釣り合いな、一台の豪奢な馬車が停まっていたのだ。磨き上げられた黒塗りの車体には、金細工の紋章が燦然と輝いている。それは、アークライト家を政争の舞台から引きずり下ろし、今の繁栄を謳歌する宿敵、ルクスブルク公爵家の紋章だった。
町の住人たちが、遠巻きに息を殺して見守る中、従者にエスコートされて馬車から降りてきた人物に、俺は息を呑んだ。
陽光を反射して輝くプラチナブロンドの髪。雪のように白い肌に、理知的な光を宿した紫水晶(アメシスト)の瞳。寸分の隙もなく着こなした豪奢なドレスは、彼女がただの貴族令嬢ではないことを示している。その立ち姿は、まるで一輪の気高い華のようでありながら、同時に一切の妥協を許さない鋼のような冷たさを感じさせた。
セラフィーナ・フォン・ルクスブルク。
現ルクスブルク公爵が最も寵愛し、その怜悧な頭脳から「公爵家の至宝」とまで呼ばれる令嬢。
なぜ彼女が、こんな最果ての港に?
俺が呆然と立ち尽くしていると、彼女の紫水晶の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えた。その視線は、まるで値踏みをするかのように冷たい。
「あなたが、このアルトマールの代官、ミナト・アークライト殿ですわね」
凛とした、鈴を転がすような声。だが、その響きには微塵の温度も感じられない。
「私は、王命により派遣された監察官、セラフィーナ・フォン・ルクスブルクと申します。これより、当港湾の存続価値について、調査を開始させていただきます。……まあ、結論はすでに見えておりますけれど」
彼女はそう言って、俺の背後にある寂れた港を侮蔑するように一瞥し、ふわりと扇を広げて口元を隠した。
「このような非効率な施設は、速やかに閉鎖し、予算を他に回すべきですわ。あなたも、そう思いませんこと?」
監察官。港の閉鎖。
最悪のタイミングで、最悪の敵が現れた。
ようやく見つけた一筋の光を、この女は問答無用で消し去ろうとしている。
俺は、込み上げる怒りを抑え、没落貴族の無気力な三男坊の仮面を被り直し、ゆっくりと頭を下げた。
「……ようこそ、監察官殿。歓迎いたします」
これは、戦いだ。
家の再興を賭けた俺の小さな船出は、今、巨大な権力という名の嵐に見舞われようとしていた。
それは、前世で嗅いだ重油の匂いが混じる工業地帯のそれとは違う。どこまでも澄んだ、生命の息吹を感じさせる純粋な海の香り。この香りを嗅ぐたび、俺は、自分がもう湊(ミナト)ではないことを思い知らされる。
「……ミナト様、朝食の準備ができました」
控えめなノックと共に、年老いた侍女の声が扉の向こうから聞こえる。俺は軋むベッドからゆっくりと身体を起こした。窓から差し込む朝日が、埃っぽく簡素な部屋を照らし出す。壁にかけられた姿見には、まだ見慣れない顔が映っていた。細身だが骨格のしっかりとした、十代後半といったところの青年の姿。銀に近い淡い金髪に、海の青を溶かし込んだような瞳。貴族らしい整った顔立ちだが、その表情には生気がなく、どこか諦観が漂っている。
ミナト・アークライト。
それが、この世界での俺の名前だ。
かつてはアラストリア王国の海運を一手に担い、侯爵の地位にあったアークライト家の三男。政争に敗れ、爵位も領地もその大半を剥奪された没落貴族の、取るに足らない末息子。それが今の俺の立場だった。
日本の海運会社で働いていた俺が、船倉での荷崩れ事故で死んだはずの俺が、なぜこんな場所にいるのか。理由はわからない。だが、気がついた時には、俺はこの青年の身体の中にいた。そして、前世の記憶と、このミナト・アークライトとして生きてきた記憶が、奇妙な形で同居している。
厄介者として中央から追いやられ、かつてアークライト家が所有していたこの最果ての港町、アルトマールの名ばかりの代官として赴任して、早三月。新しい人生だというのに、その未来はあまりに暗く、俺はただ無気力に日々をやり過ごしていた。
侍女が運んできた固いパンと薄いスープの朝食を終え、俺は日課となっている港の見回りに向かった。石畳の道はところどころが崩れ、雨水が溜まった窪みを避けながら歩く。建ち並ぶ倉庫の多くは扉が固く閉ざされ、壁には一面の苔がこびりついていた。すれ違う人々は、代官である俺に一応の礼はするものの、その目には何の期待も宿っていない。むしろ、没落貴族の若造に対する侮蔑の色さえ見て取れた。彼らにとって、俺は過去の栄光の残骸であり、現在の停滞の象徴でしかないのだ。
だが、そんな人々の視線とは裏腹に、俺の目は専門家としての光を帯びていた。
このアルトマールの港。その地形、桟橋の構造、倉庫の配置。寂れてはいるが、その全てが、かつて一流の専門家によって設計されたものであることを示している。三方を小高い丘に囲まれた湾は、外洋からの荒波を防ぐ天然の防波堤の役割を果たしている。水深も十分で、少し浚渫さえすれば、大型のガレオン船ですら余裕で接岸できるだろう。桟橋の基礎に使われている石材も、この地方で採れる中でも特に強度の高いものだ。
「宝の持ち腐れとは、このことだな」
思わず独り言が漏れた。
この港が死にかけている理由はただ一つ。十数年前から近海に発生したという“霧の海域”と、そこに巣食うとされる“海竜”の存在。それによって主要な交易ルートから外れてしまい、物流が完全に途絶してしまったからだ。
前世の知識が、頭の中で警鐘を鳴らす。
物流こそが国家の血流だ。それが滞れば、経済は死に、国力は衰える。この港を再生させることは、単にこの町を救うだけでなく、アラストリア王国全体の未来にも関わる重要な課題のはずだ。だが、中央の貴族たちは、この港を見捨てた。多額の投資をして航路の安全を確保するよりも、陸路の整備に注力する方を選んだのだ。それは、アークライト家という海の権威を、このまま歴史の闇に葬り去りたいという政治的な思惑も絡んでいるのだろう。
「俺なら、できる。いや、俺にしかできない」
この港を、もう一度蘇らせる。かつての繁栄を超える、世界一の交易拠点として。
そして、アークライト家の名を、再びこの大陸に轟かせるのだ。
その野望が明確な形になった瞬間、全身に今まで感じたことのない感覚が駆け巡った。ふわりと頬を撫でる潮風。その流れ、湿度、塩分濃度、それらがまるで数値データのように、直接脳に流れ込んでくる。
『西からの風が、あと半刻ほどで少し強くなる。沖は穏やか。だが、あの岬の先は、海底の地形が複雑で潮の流れが渦を巻いている。小型船で不用意に近づけば、たちまち転覆するだろう』
知識ではなく、感覚。これが、この世界に来てから俺の中に芽生えた、魔法の力らしい。
貴族教育の一環として魔法の基礎も学んだが、ミナト・アークライト自身に、これほどの才能はなかったはずだ。おそらく、転生した影響で発現した、俺だけの力。
「風詠み(ウィンドリード)」
俺は、この力をそう名付けた。
前世の海運知識と体系化された航海術。貴族として受けた高等教育による政治や経済の知識。そして、この世界で得た魔法の力。この三つを組み合わせれば、巨大な権力に立ち向かうことだって不可能ではない。
「まずは、金と、人と、実績だ」
俺は踵を返し、町で唯一、昼間から人の集まる酒場へと足を向けた。港のすぐそばにある「波しぶき亭」。そこには、仕事もなく燻っている船乗りたちがいる。彼らの中に、俺の計画の最初の駒となる人間がいるかもしれない。
酒場の扉を開けると、アルコールと怠惰な空気が俺の鼻腔を突いた。昼間だというのに薄暗い店内に、男たちの濁った声が響いている。俺の姿を認めると、何人かが嘲るような視線を向けてくる。「お貴族様のおなーりだ」と揶揄する声も聞こえる。俺はそんな雑音を無視し、カウンターの一番端に腰掛けた。目的は、情報収集だ。
しばらくして、予想通りの言い争いが始まった。若い船乗りが、荷運びの契約が流れたことで小柄な商人に詰め寄っている。航海士として雇ったダリオという老人が、潮の流れが悪いと言って出港を拒んだことが原因らしい。
「だから言ったんだ!あんなボロ船で、しかも片足がないダリオ爺さんを航海士に雇うからこうなるんだ!」
「そんなことを言われましても……。積荷を隣町まで運んでくれる船が、他に見つからなかったのです」
「言い訳はいい!あんたのせいで、俺の今月の稼ぎはゼロだ!どうしてくれるんだ!」
ダリオ。その名に俺は心の中で快哉を叫んだ。かつて父である先代アークライト侯爵に仕えていた、最も信頼の厚い航海士の一人だったはずだ。家の没落と共に野に下り、海の魔物に片足を奪われてからは酒浸りの日々を送っていると聞いていたが。
潮の流れを理由に出港を中止する。他の船乗りたちが不満を言う中で、その的確な判断を下せる航海士。経験と勘だけが頼りのこの世界で、その判断ができる人間は、間違いなく本物だ。彼なら、俺の計画の要になってくれる。
俺は席を立ち、言い争う彼らの元へと近づいた。
「少し、よろしいかな」
俺が声をかけると、その場の全員が、驚いたようにこちらを振り向いた。
「アークライトの……若様」
「あなたが荷主かな。その積荷、私が運ぼう」
俺の言葉に、酒場全体が水を打ったように静まり返り、次の瞬間、爆笑が起こった。
「ははは!面白い冗談を言う!船も漕いだことのないお貴族様が、何をできるってんだ!」
「船なら、ある」
俺は、平然と言い放った。代官として管理権を持つ、港に眠るアークライト家所有の小型船。今は使われていないが、整備すればまだ動くはずだ。
「ただし、条件がある。船の整備と改良に必要な費用を前金でいただきたい。航海士としてダリオ殿を雇うこと。そして、無事に積荷を届けられた際の成功報酬。この三つだ」
俺の揺るぎない瞳に、若い船乗りは言葉を詰まらせ、ボルガと名乗った商人は、何かを信じるように深く頭を下げた。
「わかりました……。あなた様に、賭けてみましょう」
「その時は、アークライト家の名も、この私も、この海に沈むだけだ。元より、失うものなど何もない」
ボルガと固い握手を交わし、俺は酒場を後にした。
さあ、始めよう。資金と人材の目処は立った。あとは、あの古びた船を蘇らせ、圧倒的な結果を出すだけだ。俺の胸には、久しぶりに熱いものが込み上げていた。
だが、その高揚感は、港の入り口で突如として打ち砕かれることになる。
町の埃っぽい道に不釣り合いな、一台の豪奢な馬車が停まっていたのだ。磨き上げられた黒塗りの車体には、金細工の紋章が燦然と輝いている。それは、アークライト家を政争の舞台から引きずり下ろし、今の繁栄を謳歌する宿敵、ルクスブルク公爵家の紋章だった。
町の住人たちが、遠巻きに息を殺して見守る中、従者にエスコートされて馬車から降りてきた人物に、俺は息を呑んだ。
陽光を反射して輝くプラチナブロンドの髪。雪のように白い肌に、理知的な光を宿した紫水晶(アメシスト)の瞳。寸分の隙もなく着こなした豪奢なドレスは、彼女がただの貴族令嬢ではないことを示している。その立ち姿は、まるで一輪の気高い華のようでありながら、同時に一切の妥協を許さない鋼のような冷たさを感じさせた。
セラフィーナ・フォン・ルクスブルク。
現ルクスブルク公爵が最も寵愛し、その怜悧な頭脳から「公爵家の至宝」とまで呼ばれる令嬢。
なぜ彼女が、こんな最果ての港に?
俺が呆然と立ち尽くしていると、彼女の紫水晶の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えた。その視線は、まるで値踏みをするかのように冷たい。
「あなたが、このアルトマールの代官、ミナト・アークライト殿ですわね」
凛とした、鈴を転がすような声。だが、その響きには微塵の温度も感じられない。
「私は、王命により派遣された監察官、セラフィーナ・フォン・ルクスブルクと申します。これより、当港湾の存続価値について、調査を開始させていただきます。……まあ、結論はすでに見えておりますけれど」
彼女はそう言って、俺の背後にある寂れた港を侮蔑するように一瞥し、ふわりと扇を広げて口元を隠した。
「このような非効率な施設は、速やかに閉鎖し、予算を他に回すべきですわ。あなたも、そう思いませんこと?」
監察官。港の閉鎖。
最悪のタイミングで、最悪の敵が現れた。
ようやく見つけた一筋の光を、この女は問答無用で消し去ろうとしている。
俺は、込み上げる怒りを抑え、没落貴族の無気力な三男坊の仮面を被り直し、ゆっくりと頭を下げた。
「……ようこそ、監察官殿。歓迎いたします」
これは、戦いだ。
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