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第1章
第19話:王都の査定者
しおりを挟むアルトマール港が新たな秩序のもとで動き出して、十日が経過した。
海賊の労働力によって港の改修は驚異的な速度で進む。ゲオルグの造船所は拡張され、ダリオの船員養成所も、港の若者たちを集めて基礎的な航海術の訓練を開始していた。全ては俺の描いた設計図通りに、だが、常識外れの速度で進んでいた。
その日、見張り台から鐘が鳴った。
船影は一隻。だが、それはオーベルからの商船ではなかった。王都の紋章を掲げた、大型の軍用輸送艦だった。
「来たか」
俺は、図面を引いていた手を止め、呟いた。
港では、セラフィーナがすでに純白のドレスに着替え、護衛騎士アルフレッドを伴い、完璧な貴族令嬢として一行の到着を待っていた。俺も、急いで作業着から代官としての正装に着替えて、彼女の隣に並ぶ。
「アークライト殿。ここからは、芝居ですわ」
彼女は、俺にだけ聞こえる声で囁いた。
「あなたは、私の管理下にある、有能な『技術官』。私への恭順を、彼らにこれでもかと見せつけなさい。あなたの野心は、その仮面の下に隠しておくことです」
「承知している」
タラップが降ろされ、二人の対照的な男が姿を現した。
一人は、四十代半ばの、いかにも文官といった風情の男だった。鋭い眼鏡の奥の瞳は、感情を一切見せず、アルトマールの全てを査定するかのように冷たく見ている。
もう一人は、まだ二十代前半の、華美な装束に身を包んだ青年貴族だった。彼は扇子を仰ぎながら、この寂れた港の潮風を心底嫌悪するかのように眉をひそめている。
「ようこそ、アルトマールへ。監察官のセラフィーナ・フォン・ルクスブルクですわ」
セラフィーナが、完璧な礼と共に一行を迎える。
「王家よりの査察官、グスタフ・アイゼン殿。そして、財務省よりの監査官、マルクス・フォン・キルヒハイム卿ですわね」
グスタフと名乗った文官……彼こそが、ルクスブルク公爵が送り込んだ『目』だろう。彼はセラフィーナに丁重に礼を返した。
「セラフィーナ様。公爵閣下より、万事、セラフィーナ様の監督のもと、この港の特区設立を補佐せよとの命を受けております。……そちらが?」
グスタフの冷たい視線が、俺に向けられる。
「この港の代官、ミナト・アークライトです」
俺は、セラフィーナの指示通り、一歩下がり、あくまで彼女の補佐役として、深々と頭を下げた。
「ほお。彼が、あの報告書の」
グスタフが、値踏みするように俺を上から下まで眺める。
一方、キルヒハイムと名乗った青年貴族は、扇子で鼻を覆ったまま、無礼な視線を俺に向けた。
「これが、アークライト家の生き残りか。ずいぶんと煤けた格好をしているじゃないか。海賊を倒したと聞いたが、本当かね?君のような若造に、何ができるというんだ」
彼の言葉には、隠しようのない侮蔑がこもっていた。彼こそが、ルクスブルク家と敵対する派閥が送り込んだ『目』に違いない。
「キルヒハイム卿」
セラフィーナが、冷たい声で制した。「アークライト殿の功績は、私が王家に提出した報告書の通り。彼は、私の監督下で、忠実に任務を果たしてくれました」
「これは失礼。ですが、監察官殿。私は財務省の監査官として、この港に莫大な予算を投下する価値があるのか、厳しく判断せねばなりませんのでね」
彼は、あえて俺を無視し、セラフィーナと政治的な会話を始めた。
俺は、完璧な「無」の表情を保ったまま、そのやり取りを聞いていた。
「では、早速、港をご案内いたしましょう」
セラフィーナの先導で、視察が始まった。
活気に満ちた港の様子。急ピッチで進む防波堤の修復。拡張される造船所。その全てが、グスタフの目には効率的な復興と映り、彼の表情は変わらないまでも、わずかに興味の色が浮かんだ。
だが、キルヒハイムは、すぐに最も痛い点を突いてきた。
防波堤で石材を運ぶ、元海賊ザラードの姿を見つけたのだ。
「……セラフィーナ様。あれは、何です?まさか、あの凶悪な海賊たちを、労働力として使っているとでも言うのですか?」
彼の声は、弾劾する検事のように鋭くなった。
「これは、驚いた。捕虜を、奴隷として使役するとは。アークライト殿、あなたの趣味ですか?それとも、ルクスブルク家のやり方かな?人道にもとる、野蛮な行いですな!」
グスタフの視線も、厳しく俺に向けられる。セラフィーナの管理責任を問う、絶好の口実だ。
俺は、セラフィーナが口を開く前に、一歩前に出た。
「キルヒハイム卿。お言葉ですが、彼らは奴隷ではありません」
「ほう?では何だね」
「彼らは『受刑者』です」
俺は、淡々と答えた。
「彼らは、王国に対する海賊行為、および、このアルトマールの民に対する略奪未遂の罪により、私、代官ミナト・アークライトの名において、終身刑を宣告しました。その刑罰の内容が、『港湾修復作業』なのです。これは、王国の法に則った、正当な処置と存じますが」
俺の完璧な法理論に、キルヒハイムの顔が、一瞬ひきつった。
俺は、さらに畳みかけた。
「そして、監査官殿。何よりも、これは『経済的』な判断です」
俺は、グスタフに向き直った。
「彼らを牢に繋いでおけば、食費と管理費で、税金の無駄遣いとなります。かと言って、処刑すれば、貴重な労働力を失う。ですが、こうして労働力として活用すれば、港の復興速度は三倍になり、最終的に、この特区が生み出す利益は、当初の試算を遥かに上回ることになります。全ては、王国への利益のため。私は、そう判断いたしました」
俺の冷徹なまでのコスト計算。それは、キルヒハイムの道徳論を粉砕し、ルクスブルク家のグスタフが最も好む「結果」と「利益」そのものだった。
グスタフは、初めて、眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、俺という存在を再評価しているようだった。
「……なるほど。ミナト殿の判断は、合理的だ」
グスタフが、静かに頷いた。「セラフィーナ様。あなたの管理監督は、実に行き届いておられる。この復興速度、特区の未来は、期待が持てそうですな」
「ありがとうございます」
セラフィーナが、優雅に微笑む。
キルヒハイムは、扇子で顔を隠し、悔しげに沈黙するしかなかった。
視察は、波乱含みで終わった。
その夜、代官府で開かれたささやかな歓迎の宴。
セラフィーナやグスタフが、他の役人たちと歓談している隙を見て、あのキルヒハイムが、酒杯を片手に、俺の元へと近づいてきた。
「……アークライト殿。いや、ミナト殿、と呼ばせていただこうかな」
彼は、昼間とは打って変わった、ねっとりとした笑みを浮かべていた。
「君は、実に優秀だ。実に惜しい。あの冷血なルクスブルクの女の下で、飼い殺しにされるには、あまりにもね」
「……何が仰りたいのですか」
「君も、アークライト家の人間なら、ルクスブルク家が何を貴殿の家にしたか、お忘れではあるまい」
彼は、俺の耳元で、毒を注ぎ込むように囁いた。
「我が主、オルデンブルク侯爵は、君のその才能を、正当に評価してくださるお方だ。……もし、ルクスブルク家の『首輪』が、苦しくなったら、いつでも私に声をかけてくれたまえよ」
彼は、そう言い残し、人混みの中へと消えていった。
ルクスブルク家という虎。そして、オルデンブルク家という狐。
王都の政治という名の、本当の海戦の火蓋が、今切られたのだ。
俺は、酒杯に残ったワインを冷たい覚悟と共に飲み干した。
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