没落貴族は最果ての港で夢を見る〜政敵の公爵令嬢と手を組み、忘れられた航路を拓いて帝国の海を制覇する〜

namisan

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第1章

第20話:資産の査定

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宴の翌朝、王都の査察団はアルトマールの心臓部へと足を踏み入れた。
バーリントン造船所だ。昨日までの祝宴が嘘のように静かな緊張感と、規則的な鉄槌の音が響いている。元海賊たちがザラード自身の厳しい監視のもと、黙々と作業を続けていた。彼らは捕虜であり、同時にこの港を蘇らせる貴重な労働力でもある。

キルヒハイム卿は、その光景に再び扇子で鼻を覆った。
「実に、野蛮な光景だ。まるで魔王の領地だな」
彼の皮肉は俺ではなく隣を歩くグスタフに向けられていた。
グスタフは答えない。彼の冷たい視線は別のものに釘付けになっていた。

ドックに収められた海燕号。
そして、その隣の拡張されたドックで、今まさに組み上げられようとしている全く新しい船の巨大な竜骨(キール)に。

「これが、噂の船かね」
キルヒハイムがまるで汚いものでも触るかのように、扇子の先で海燕号の船腹を叩いた。
「見たところ、ただの古い船を修繕しただけ。これで海賊団に勝てたなど、運が良かったとしか思えんな。こんなものに特区の予算を投じる価値があるとは到底思えん」

彼の嘲笑にゲオルグが怒りで肩を震わせる。俺は、それを手で制した。
「キルヒハイム卿」
セラフィーナが静かに、しかし絶対零度の声で制した。
「その船の価値は見た目では測れませんわ。アークライト殿、査察官殿方にこの船の『真価』をお見せして差し上げて」

俺は頷いた。
「グスタフ殿、キルヒハイム卿。よろしければ短い航海にご同道願いたい。百聞は一見に如かず、です」
グスタフは即座に頷いた。「望むところだ」
キルヒハイムは、セラフィーナとグスタフの両方から促され、嫌々ながらも後に続くしかなかった。

再び、海燕号は港を出た。
昨日までとは違う。乗っているのは王国の中枢を担う査定者たちだ。ダリオが緊張した面持ちで舵輪を握る。
「……風は、穏やかな向かい風。最悪のコンディションだな」
キルヒハイムが、船首でわざとらしく空を仰ぎ、嘲るように言った。
「アルトマール港は、風向きに恵まれねば、出入りもできんらしい。これでは、特区など夢のまた夢だ。港に戻ることもできまい」

「ダリオ殿。帆を張れ」
俺はキルヒハイムの言葉を完全に無視した。
ダリオが覚悟を決めた顔で頷く。
白銀の帆が風を受けた。だが、船はキルヒハイムの予想に反して、減速するどころか、滑るように前進を始めた。

「な……」
「馬鹿な。向かい風だぞ。なぜ、進む?」
キルヒハイムが狼狽の声を上げる。
俺は、舵を取るダリオに命じた。
「タッキング(切り返し)する。彼らに、本当の航海というものを見せてやれ」

海燕号はジグザグに、しかし確実に風上へと登っていく。
それは、この世界の物理法則を彼らの目の前で公然と否定する光景だった。
キルヒハイムは、あまりの常識外の挙動に、船酔いでもないのに顔を青ざめさせて手すりにしがみついている。

一方、グスタフは違った。
彼は手すりを掴み、微動だにしない。だが、その眼鏡の奥の瞳は燃えるような興奮と、恐ろしく計算高い光を宿していた。彼は、学者であり、政治家だ。この船の持つ、恐るべき軍事価値と経済価値を瞬時に理解したのだ。

港に戻った時、二人の査定者の態度は明確に分かれていた。
キルヒハイムは、真っ青な顔で一言も発しない。彼の常識と彼が仕えるオルデンブルク侯爵の価値観では、この技術は測れない。あるいは、危険すぎると判断したのだ。

一方、グスタフは船を降りるとすぐに俺の元へ来た。
「アークライト殿。いや、ミナト殿」
彼の口調は、昨日とは比べ物にならないほど丁寧になっていた。
「特区の設立、公爵閣下は全力で推進なさるだろう。だが、これだけでは足りん」

「と、申しますと?」
「この船。この設計図。これを王国海軍は、何としてでも手に入れねばならん。いや、ルクスブルク家が、だ」
グスタフの声は熱を帯びていた。
「ミナト殿。あなたへの『投資』は、もはやアルトマールという港だけの話ではなくなった。あなた自身が、王国の未来を左右する『資産』となったのだ。……政敵(オルデンブルク)に決して渡してはならん、最重要資産に」

グスタフの言葉は、セラフィーナの懸念が現実となったことを示していた。
俺は、もはやただの有能な技術官ではない。
ルクスブルク家が絶対に手放してはならない、最重要機密(トップシークレット)そのものになってしまったのだ。

俺の隣でセラフィーナが静かに息を吐いた。
彼女の瞳には、安堵と、そしてこの危険すぎる『資産』を繋ぎ止めるため、より強力な『首輪』を用意しなければならないという冷徹な決意が浮かんでいた。
王都の政治という名の荒波が確実に、この最果ての港へと押し寄せていた。
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