ナッツに恋するナツの虫

珈琲きの子

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心の奥底に閉まっておくべきもの


「おまえが父さんのお気に入りの使用人?」
「お気に入りかは分かりませんが、使用人です」

 お孫さんの誕生日パーティーで忙しなくキッチンとダイニングを往復していると、雨宮家の次男の貴裕が俺を呼び止めた。年齢は俺より五歳上で、番は確か俺と同い年だったはず。何度か顔を見たことはあるけど、ちょっと苦手なタイプだ。

「はは、明らかにバカそうで特に顔も良くないオメガ可愛がるとか、父さんもどうかしてるよな」

 え―……そういうこと言う人なんだ。あの二人から生まれて来たとは信じがたいけど、長男が優秀過ぎて色々とプライド傷つけられて生きてきたのかもな……。兄弟でアルファっていうのもなかなか問題がありそうだ。
 ニタニタと笑いつつ俺に迫ってくる次男。俺はたんまりお皿の乗ったお盆をひっくり返さないようにそろそろと後ろに下がった。

「すみません。次の食事運ばないといけないので、失礼します」
「発情中のオメガが家の中ウロウロするなよ」
「……薬はしっかり飲んでます。仕事ですしサボるわけにはいきませんので」
「メス豚の匂いが付いた食事なんて食べてられるかよ」

 メス豚って、ひど……。もしかしてオメガを差別してるのってアルファだったりして。
 いや、その前に匂うってどういうことだよ。番がいるって聞いてたのに。

「番がいればオメガのフェロモンって匂わないって聞いたんですけど……すみません、奥様にちょっと聞いてきます」

 ってか、匂うってことは薬効いてないんじゃ……。危険すぎる!
 Uターンしてダイニングまで駆け足で戻ろうと一歩踏み出すと、俺の肩を次男が掴んだ。

「余計な事するな!」
「えっ、でも、薬効いてなかったら困るので」
「ああああ! 違う!」

 次男の慌てたような否定の言葉と同時にダイニングのドアが開き、こちら声が聞こえたのか奥様が顔を出した。

「東君、どうしたの? ――あ、貴裕! 何してるの!」
「あの、貴裕様がフェロモンが匂うって教えて下さって……薬効いてるか不安で」
「匂うって………貴裕、どういうことかな?」
「あ……」

 俺の後ろでだんまりを決め込んでいた次男は舌打ちすると俺を押しのけて、無言のままダイニングに戻って行った。その後姿を二人で見送った後、奥様は溜息を吐いた。

「ごめんね、東君。番った相手とうまくいってなくて、最近人を傷つけることばっかり言ってるんだ。匂うって言うのはただ単に厭味で言ったつもりだったんだろうけど、東君には通じなかったみたいだね」
「厭味……、ってことはやっぱり匂ってないってことですよね! 良かったー」

 俺が胸を撫でおろしていると、奥様はフフと笑いながらまた溜息を吐いた。

「東君がそういう子で助かったよ。ありがとう。また何か言われたら、すぐに報告してね」
「はい」

 次男の隣の席が空いてるってことはそういうことなんだろう。番ってもうまくいかないとかあるんだな……。オメガ経験の短い俺には理解できない世界だ。
 奥様に一言お礼を言って、俺はキッチンに向かった。ダイニングから何やら言い合いが聞こえたけど、聞かなかったことにする。
 
 その後、次男は気まずかったのか早々に帰ってしまって、反対に俺が恐縮してしまった。せっかくの家族の団欒だったって言うのに、俺のせいで機嫌を損ねたみたいなものだし。

「旦那様、その……昼間はすみませんでした」
「いやいや、こちらこそ貴裕が失礼なことした。貴裕も番をどう扱っていいものかまだ分かっていなくてな。そのうち仲良くなって戻ってくると信じてはいるんだが」

 こんな立派な父親がいて……って思ってしまうけど、事情も分からないし、俺がとやかく言うことじゃない。謝るのもおこがましいかもしれない、と気付いたけど、旦那様はそれに対しても笑って済ませてくれた。
 
「さて、この話は終わりにしよう。先日話していた見合いの日取りが決まってね、そちらの案内をしていいだろうか」
「は、はい!」

 旦那様は本気だった。社交辞令かなとか思ってたけど、この一年でも有言実行な人だとわかっていたから、この結果は当然と言うべきか。
 旦那様が仲人をしてくれるのなら難アリなアルファを宛がわれる確率も低いだろうし、そこに不安はない。結局東弥以外に貰われるなら誰だって同じだ。
 俺は自室の机の引き出しにしまったネックレスを手に取り眺めた。ピアスは勿論自分から返却したけど、これだけは返せなかった。東弥も俺から取り上げることはなかった。

「東弥……」

 薄れるかと思っていた記憶は一年経っても鮮明に残っていて、東弥の触れた手から声からキスから全部を思い出せる。発情期だから余計に情緒不安定になるのかもしれない。

「……会いたい」

 ネックレスを握りしめて、涙が溢れそうになるのを必死に耐えた。
 東弥はもう結婚しているはずだし、もう会うこともできない。それなのに、心が東弥を求めてやまない。オメガになった所為でアルファである東弥を欲しているのか、俺自身が望んでいるのか、もうわからなくなってしまった。

『東君』

 唐突にノックと共に聞こえてきた奥様の声に俺は飛び跳ねた。

『少しいいかな』
「は、はい」

 袖で涙を拭いつつ窓を鏡代わりにして表情を整えてから、扉を開けた。なのに、奥様はぎょっとした顔をして、俺に尋ねた。

「泣いてた?」
「…………どうして、わかるんですか」
「目も赤いし、鼻も赤いから……もしかして貴裕の?」
「決して違います! ただ、ちょっと色々思い出してしまって」
「オメガになる前の話かな?」
「はい」
「……少し中で話をしても?」
「え、あ、どうぞ」

 中に奥様を通し、机の上に置きっぱなしにしていたネックレスを手早く引き出しにしまった。

「東君。お見合いの話だけどね、もし嫌なら断っていいんだよ」
「嫌なんて全く感じてないです。むしろここまで面倒見てもらっていいものなのかって思ってるぐらいで……」
「恋人、いたんだよね?」

 奥様は机の引き出しを指さすと、にこりと笑って言った。
 恋人だったのか、今となっては定かじゃないけど、一応想いを伝えあったってことだし……。

「はい。でも、もう吹っ切れてるので大丈夫です」
「泣いてたのに?」
「……そう言われると辛いですけど、一応気持ちの整理はついていますから。たまに思い出してしまうだけです」
「そう。ならいいんだ。あの人も思い立ったら……ってところがあって、急すぎたんじゃないかなって思ってね」
「ご心配をおかけしてすみません」
「いいんだよ。オメガは自由が利かないこともあるから、できるだけ答えてあげたいんだ。あ、僕たちは相思相愛で番になっているから、そう言う蟠りはないよ。ただ、苦しんでる人たちを見てきているからね。いろいろと思うことがあるんだ」

 奥様は思いを馳せるように目を伏せた。
 ベータとして平々凡々にのんびりと生きてきた俺にはわからない暗黙のルールがある。東弥と過ごす中でもうすうす感じていた。バース性に縛られ窮屈に生きているのはアルファもオメガも同じなのかもしれない。

「右も左も分からない俺がこうやって暢気にこれまでやって来れたのは旦那様と奥様のおかげです。旦那様が持ってきてくださった話ですし、全く不安はないんです」
「……僕たちが子豚を可愛がって丸々と太らせてから食べるような人間だったらどうするの?」
「え、えっと……それは困ります。でも、それは俺に見る目がなかったってことですから、仕方ないかなって腹括ってます」
「東君……」

 しばらく俺の目をじっと見つめていた奥様はフフと笑った。

「元恋人が東君をオメガだと知って捨てたんだとしたら、本当に勿体ないとしか言いようがないな」
「ち、違うんです。俺がオメガになったって知られたくなくて逃げて来ただけなので、あいつは悪いわけじゃないんです」
「え、逃げたの? そうか、じゃあ、今頃血眼になって探してるかもしれないね」
「それはありません。大のオメガ嫌いで有名だったから……――すみません。余計な事言いました。今言ったこと聞かなかったことにして頂けますか。俺、縁談断るつもりはないので」
「東君、そんなに気負わなくても良いよ。政略結婚させようなんて思ってないし、多少の融通は効くから。――おっと、もうこんな時間。そろそろ戻ろうかな」
「はい」
「少し話が聞けて良かった。今の話は僕の心の奥底にしまっておくから大丈夫だよ。じゃあ、おやすみ」

 ひらひらと手を振る奥様を見送って俺はドアを閉めた。
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