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約束
しおりを挟む「……ヒートが終われば……ああ、そうしてくれ」
うっすらと声が聞こえて、俺は目を覚ました。ただ、頭は働かず、体も重い。ぼんやりとした意識のまま、その会話を聞き流していた。
何があったんだっけ。どうしてここにいるんだっけ。この声は誰のものだっただろう。
お見合いのために奥様と一緒に出かけて、随分と待たされた記憶がある。その後、どうしてか発情期に……それから、そう……東弥に……
——噛まれた。
「あ……」
首に手を伸ばし、そろと噛まれた記憶がある箇所に指を這わせた。触れればズキッと痛む。表面は凸凹しているから既にかさぶたができているのかもしれない。
「お目覚めですか」
振り向くのも億劫なほど重く感じる頭は動かさず目線だけ向ければ、そこには東弥には似ても似つかない四十ほどの男性がいた。サッと頭から血の気が引く。
まさか、東弥と思ってた人がこの人だったり……。
「本日よりお世話をさせていただきます辰見と申します」
「タツミさん……」
「顔色が優れませんね。もうしばらくお休み下さい」
「……あの……、俺を噛んだのはタツミさんなんですか?」
「何をおっしゃいますか! 東弥様に決まって——……あぁ、記憶が曖昧なのですね。運命のフェロモンはお互いを狂わせると言いますから。那月様の番は間違いなく東弥様です。安心してください」
番。
信じられないけど、本当に東弥と番になったのか。たくさん聞きたいことがあるけど、考えがまとまらない。
「東弥は……」
「諸々手続きがありますので、それが終わり次第戻っておいでです。今はゆっくりとお休みください」
「……はい」
自分の体の状態からも休息が必要なのはわかっていたし、俺は促されるまま目を閉じた。
言われた通りダラダラと寛いで東弥が戻ってくるのを今か今かと待っていたけど、何日か経過しても、俺が快復してからも東弥は全く姿を見せなかった。
発情期中、軟禁状態にされる理由は分かるけど、動けるようになって首のかさぶたも剥がれつつあるのに、俺はまだ部屋に閉じ込められていた。部屋って言っても、住んでたアパートの部屋の三、四倍はありそうな広い空間だし、キッチン以外の全てが揃っていて不自由はない。
けど、外に出たいと言えば、辰見さんににっこりと笑みで躱される毎日が続いてるから、ちょっと気が滅入ってる。様付けで呼ばれる立場になったみたいだけど、俺の要求は一切通らなかった。
番になったって言うのに、このまま放置されるのか……。番ってどんな関係なんだろう。貴裕さんみたいに番とうまくいかなくて、気持ちが離れ離れになってしまうこともあるのかもしれない。奥様が言っていたみたいに素直に相思相愛で番になりました、なんていうカップルは少ないんだろう。
じゃあ、俺は何のために東弥の番になったのか。
ほんの一年前までベータだった、アルファにとっては何の旨味にもならないただの石ころ。東弥にとっては掃いて捨てるほどいる性欲処理係の一人だったわけだし。
強いて言えばオメガのフェロモンに悩まされなくて良くなったってことぐらいだろう。東弥を狙ってたオメガは手段を選ばないような奴ばっかりだったから、それに関しては良かったのかもしれない。
あ……、そっか。そうだ。これがきっと理由だ。
地位も名誉もあって、容姿だって文句なしの東弥にとって、あと必要なのはそのぐらいしかない。外見ベータな俺はきっと『あの女』には見えなくて、だから番にできたのかもしれない。
東弥の本心がわからないから、現状が怖くて仕方ない。オメガだからとずっと軟禁状態で放っておかれることになったら……。
「……ぅ、……」
俺、こんなにマイナス思考だっけ。
でもなんだか無性に悲しくて、自分でも感情が抑えられずにボロボロと涙が零れた。
「那月様!?」
その声に驚いて顔を上げると、いつの間にか部屋のドアが開かれ、辰見さんが目を瞠っていた。その後すぐに俺に駆け寄って、焦りながらも俺の背中を擦った。
その手が温くて、堰を切ったように嗚咽が漏れた。今まで積もりに積もった不安が溢れてどうしようもなかった。
「どうなさったのですか。ご気分が優れませんか?」
俺は首を振った。
一年前、東弥に捨てられたこと。突然にオメガへ変異してしまったこと。そのせいで東弥の本心を確かめられなかったこと。この一年、平穏に過ごしてきたつもりだったけど、ずっと自分を押し殺してきたんだ。
「……会いたい……東弥に、会いたい……」
想いが耐え切れずに口を突いて出た。
すると辰見さんは背中を擦るのを止めて、何も言わすにサッと立ち上がると部屋を出て行ってしまった。もしかしたら言ってはいけないことだったのかもしれない。
胸の引き攣れと共にブワっとまた涙が溢れた。声を上げて泣いた。床に這いつくばって子供みたいに泣いた。
「那月」
東弥の声が聞こえた気がした。
「なんて泣き方してんだよ」
幻聴かと思ったのに、俺の感情が伝わってるかのようにその声は震えていた。見上げれば、今にも泣きそうな東弥がそこには立っていて……。
俺が東弥の名前を呼ぶ前に座り込んだかと思えば、嗚咽の治まらない俺の腕を掴んで起き上がらせて、胸に抱き寄せた。
「俺のこと、恨んでたんじゃないのか……」
ぐっと東弥の腕に力が入る。
ごめん、那月。
東弥は噛みしめるようにそう言って俺の肩に顔を埋めた。俺も久しぶりの東弥の温もりを求めてしがみ付くように腕を回した。
どのぐらいそうしてたのか、心の隙間を埋めるみたいにお互い離れなかった。頬を流れていた涙も渇いてパリパリになるまでじっと抱き締めあっていた。
どちらともなく体を離して顔を見合わせれば、東弥が俺の頬を撫で、引き寄せられるように唇を触れ合わせた。それだけで心がふわりと浮き上がる。温かくて、元気が湧いてくるような。
「……なんで怒らない」
口を離すと、東弥は唸るような声でそう言った。
「ピアスのこと、囮にしたこと、おまえを傷つけて、その上オメガにして無理矢理番ったこと、全部おまえの気持ちを無視してやったことなのに、なんで……なんでおまえは俺を恨まないんだよ……」
恨まない。恨めるわけなんてない。
「しょうがないだろ……好きなんだから」
「……那月……」
「最初は辛かった。……でも、東弥を信じたくて。ちゃんと話をして、それで納得できるならそれでいいと思ってた。オメガになったせいでそれもできなくなって、もう会うこともないし、って考えないようにしてたけど」
「なら、今は」
「今は……今はもっと恨むなんてできない。東弥が苦しんでたってわかったから」
「……っどこまでバカなんだよ、おまえは!」
がばり、と東弥は全身で覆うように俺を抱きしめた。それはクラブでされたものによく似た抱擁だった。助けを求めてくるような強い抱擁。
「な……教えて欲しい。何があったのか、東弥が何考えてるのか、ちゃんと教えて欲しい……じゃないと、俺不安で……」
一度止まった涙が湧き出てくる。涙腺が壊れてしまったみたいだった。
「……言いたくない。これ以上傷つけたく——」
「知らない方が辛いことだってあるんだよ! ……知っておかないと、いつか東弥のこと信じられなくなる。その方が辛い……」
「那月……」
背中に回された東弥の拳にぐっと力が込められる。しばらくじっとしていたけど、東弥の決心を表すように深く息が吐かれた。
「ベータはただの駒だとずっと教えられてきた。どうでもいい、どうにでもなる存在だって。でも那月に会って、その観念が崩れていくのがわかった。……それが怖かった。だから、どうでもいいものだと証明したくて、那月を……」
囮にした。
そう絞り出すように語られた事実。
脳裏にあの映像がちらついたけど、俺はじっと東弥の声に耳を澄ませた。
「でも証明なんてできなかった……犯されるおまえを見て、狂いそうだった。後悔しかなくて、記憶を消して何もなかったことにして……。その時那月が自分にとって大切な存在だって気付いた。それと同時に、那月がオメガならいいのにと思うようになった。オメガなら傍に置けるのにって」
自分勝手だろ? と自嘲する東弥は酷く虚しそうで、俺は首を振った。
「アルファに影響されてベータがオメガに変異したっていう現象が過去に幾度かあった。俺がその力を持っているかはわからなかったけど、おまえをオメガにすると決めた。――自覚がなかったんだ。俺が自分のことしか考えてないって。大切だと、好きだと、思いが強くなるほど、那月が何を望んでるのかを知りたくなって、おまえの気持ちを無視してオメガにしようとしたことを悔いた。でもそう気付いた時には既に変異が始まっていた」
「え……じゃあ、別れた時には俺はオメガだった……?」
「違う。オメガになっていたなら、俺のフェロモンでヒートを起こしていたはず」
「アルファのフェロモンでもヒートが起こるのか?」
「俺だけのオメガだ。俺にしか反応しない。人工的ではあるけど、『運命』に変わりないんだ」
「運命……」
「そう。おまえをオメガに変異させていることも告げられず、オメガにすることも間に合わなかった。その上、あの動画をあいつらが那月に見せたと知って、俺は諦めざるを得なくなった。那月に対して行った罪を思い知らされた。それに、あれは俺に対する警告だったんだ。諦めなければ……那月を同じ目に遭わせるって」
全てが腑に落ちた気がした。
東弥の迷いと突然の裏切り。今の今まで苦しんでいた理由。
「なら、俺は騙されてなかったってこと? 東弥の気持ちは嘘じゃなかったってことだよな……?」
「那月を好きだって気持ちに偽りはない」
東弥が俺の目をしっかりと見てそう言った。その姿勢に一年前の不安定さはもうなくて、今までの不安が一気に引いていく。俺はホッと息をついて東弥の首元に額を押し付けた。
「そっか……ちゃんと聞けて良かった。それだけは知りたかったんだ。一年前もそれを聞くつもりだった」
「那月……」
大きな手が俺の頭を撫でる。温かい手にまた涙が滲んでしまう。俺はぐっと東弥のシャツを握りしめつつ、もう一度安堵の溜息を吐いた。
「……それとさ、もう一つ。俺の記憶、消さなかった理由聞きたくて」
「それは、俺もわからない」
「わからない?」
「ああ。どうして消せなかったのか……辛い思いさせてごめん……」
「……ううん、本当はさ、東弥のこと忘れなくて良かったって思ってるんだ。もし忘れてたら、こうして話もできなかったかもしれない。急に現れたアルファに番にされて、お互い不幸だと思いながら生きてくことになるだろ?」
「那月、おまえ……」
ありがとうと東弥は震えた声で言って、俺の首に顔を埋めた。
俺の前だけに表れる臆病な東弥。でも俺のことを考えて、色々苦悩してくれてたんだと思うと、愛しさが込み上げてくる。
俺が東弥の頭を包み込むように抱きしめると、東弥もまた俺を強く抱きしめた。
「那月が消えたと知らされた時、どうしたらいいか分からなかった。記憶を消すのを失敗したせいで自棄になったのかもしれないって思った。そしたら、会うって決めてた那月が自棄になるはずないって殴られたんだ、水谷に。おまえがいつも一緒にいるベータにも」
「殴られたって……この綺麗な顔、殴られたのか!?」
「……そこ、心配するところじゃないだろ。あいつら相当心配してたからな。近々会わせる予定だったんだ」
「あの二人には本当に……でも俺が会いに行く権利なんてない。二人を騙してたみたいなものだから……」
「誰もそんなこと思ってない。あの二人にはちゃんと事実が伝わってるから心配すんな」
「東弥……」
「俺が殴られた騒ぎで、那月がオメガだったと藤本が吐いてくれたからな、スムーズにことが運べた。あいつは那月を貶めようと画策してたみたいだけど」
藤本は初めから俺との約束を守るつもりはなかったんだな。でも、オメガだとバレて、結果的には良かったのか……。
勇士も水谷も、俺のことちゃんとわかってくれてたんだ。俺ってつくづく幸せものかも。
「水谷にそこまでしたのに那月を諦めるのかって言われて、那月を他のアルファに渡せるわけがないって気付いた。親の言いなりにやってきたけど、栗栖を継がないと脅して婚約を解消して……」
それからずっと俺のこと探してくれてたんだ……。一年かけても俺を求めてくれてたんだ。ジンと心が嬉しさで震える。
「……東弥、ありがとな」
「あ、ああ……雨宮家は囲うのがうまくて、見つけるのに時間がかかったけどな」
顔をそらしながらそう言った東弥の頬が僅かに赤色を帯びている。もしかして照れてる……?
貴重な表情を見逃さないように、じーっと見ていると、東弥が「見るなよ」と俺の目を塞いだ。こういう東弥は新鮮で胸のきゅんきゅんが治まらない。あんなにマイナスなことばっかり考えてたのが嘘だったみたいに、頬が緩んで仕方なかった。
それに、さっきまで辛いと思っていた東弥の噛み跡。今それがなによりも嬉しい。時折感じていた、東弥のものになりたいという感情は俺がオメガに遷りつつあったからなのかもしれない。
噛み跡を撫でれば、東弥が俺の手に被せるように手を置いた。
「那月、残念だけど番は解消できないからな」
「なんだよ、俺が解消したいと思ってるって言うのかよ」
「番うことを嫌がってるように見えた。あの時だけ意識がはっきりしてた」
そう言えば、何か叫んだ気がする。
「あれは、東弥が正気じゃないと思ったからだよ。俺を番にしていいのかって」
「……本当におまえは、」
「それよりも、俺のこと気持ち悪くない? あの女には見えない?」
俺が聞けば、東弥は目を瞠ってからこつんと俺のおでこを小突いた。
「見えるわけないだろ。おまえは那月だ」
「そっか……そっか、よかった!」
喜びを噛みしめてると、東弥の指が俺の頬をなぞった。細められた目はちょっとはにかんでいるように見えて、久しぶりの東弥の柔らかい微笑みに俺は釘付けになった。
「なぁ、那月。まだ返せてない俺の時間、貰ってくれるか?」
東弥の時間……。
あの時の約束、覚えてくれてたんだ。
「当たり前だろ」
にっかりと返してやると、東弥は俺の顎をくいっと持ち上げた。近づいてくる綺麗な瞳。それをしっかりと堪能してから、俺はそっと瞼を閉じた。
END
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りん様、
最後までお読みいただきありがとうございます!
ラブラブな回が少なかったので、ぜひ書きたいですね(*´∀`)
時間かかると思いますが、お待ちいただけると嬉しいです!
おバカさんから読んで頂いてたとは!感謝感激!書き始めたばかりの頃のお話なので、少し恥ずかしいですが、また楽しんでいただけると幸いです(*´ω`*)
感想コメントありがとうございました!!