絶望と希望の在り処

珈琲きの子

文字の大きさ
1 / 10

しおりを挟む
逃げなさい!
それは夕暮れ時だった。不用心に開け放たれた玄関の戸口から劈くように響いたのは断末魔の叫びだった。
母のものとは思えない声に驚き、土間に足を踏み入れようとするが、それは叶わずに終わる。アレクに対し、数人の村人が農耕具を振り上げて襲いかかってきたのだ。

避けきれなかった鋭鋒が背中を引き裂き、灼かれるような熱さが半身を覆い尽くす。家の外壁に身を預け、かろうじて倒れることは免れたが、背後に次の攻撃が迫っていることを感じていた。
振り下ろされた耕具の柄を死に物狂いで蹴り飛ばす。馬鹿力でも働いたのか、村人たちが団子になって後ろにひっくり返った。その隙にふらつきながらも駆け出すが、群れの中から奇声があがる。直後、右のふくらはぎに衝撃が走り、前につんのめる。その勢いのままにアレクは地面を転がった。
足には槍が貫通しており、アレクはそれが現実とはにわかに信じられず目を見開いた。振り返れば村人たちがすぐ後ろで目を血走らせている。その赤く狂気めいた眼差しにぶわりと全身が総毛立った。

殺される。
何が起こっているのかわからない。しかし、それだけは直覚し、同時に絶望した。
危機感に胸が破裂しそうなほど激しく鼓動する。突き動かされるように槍を引き抜き、襲い来る村人たちに向かって投げつけた。気が動転していて脳が痛みとして認識していないことだけが幸いだった。
その行動に怯んだのか、誰かに直撃したのか、どよめきが起こる。今しかないと、うまく動かない足を引きずりながら山手にある茂みに転がり込んだ。しかし、村人の怒号がすぐ近くで上がる。アレクは上げそうになった悲鳴を飲み込み息を潜めた。

体格に恵まれ運動能力の高かったアレクだが、今の足では追いつかれる。その上、溢れる血が自分の居場所を知らせてしまう。見つかるのも時間の問題。

それでも。
それでも、逃げなければならなかった。母に逃げなさいと言われたから。その使命感だけがアレクを支えていた。
杖の代わりになりそうな枝を手に取り、茂みから続く森に足を踏み入れて、がむしゃらに足を進めた。
日没前とはいえ森深くに入れば一寸先は闇。その呑み込まれそうな深淵に怯んでしまったことが運の尽きだった。

一歩後ずさった足を砂利に取られた。
ヒヤリとした瞬間にはもう遅い。枯れた木々にぶつかり、砂や石にまみれながら断崖を跳ねるように転がり落ちていく。岩肌に体が打ち付けられる一瞬一瞬がアレクには途方もなく長い時間に感じられた。そして、斜面の中腹にあった岩に叩き付けられ、アレクの体はやっと止まった。
液体が体のそこかしこを流れていく。それが汗ではなく血なのだとアレクは理解し、投げ出された腕がおかしな方向に曲がっているのを他人事のように眺めていた。

(なんでだよ)

母の言葉を思い出すと同時に、土間に倒れていた力ない姿が脳裏に浮かぶ。父の姿は見えなかったが、二人とももうすでにこの世を去っているかもしれない。

(なんで皆……)

よく働くと、お前は将来有望だと、いつも褒めてくれていたあの人たちはどこへ行ってしまったのか。ただの悪夢かもしれない。目が覚めれば戻れるかもしれない。

早く、早く。いつもみたいに叩き起こしてくれ。

はくはくと乾いた浅い息が口から漏れる。じわじわと侵食してくる痛みに歯を食いしばるも、意識はゆっくりと遠ざかっていった。
どうせ死ぬなら、父と母と一緒にいればよかった。逃げなければよかった。木々が途切れ、その隙間から覗く群青色と茜色が混じり合う空を見上げながら、アレクは後悔に似た念を抱いた。

その時、パキと枝の折れるような音と共に、アハハと場違いな笑い声がアレクの耳に響く。

「残念。こんなことじゃ死なねぇよ、お前は」

そう言って満身創痍のアレクを見下ろしたのは、年下にも見える小柄な少年だった。ただ、その顔に浮かぶのは不釣り合いともいえる意地悪な笑み。

「うぇえ、痛そー」

ピクリとも体を動かせないアレクに向けられる、思いやりの欠片もない言葉。中身と外見に大きな差があることは一目瞭然だった。

だが、アレクは綺麗だと思った。
興味津々といった様子で覗き込んでくる、うっすらと水を湛えた金色の瞳が。

(太陽みたいだ)

アレクは意識がぷつりと途切れるまで、淡く光を帯びる瞳をただただ見上げていた。


――それが、アレクと、彼の師となるラヴェルとの出会いだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【連載版あり】「頭をなでてほしい」と、部下に要求された騎士団長の苦悩

ゆらり
BL
「頭をなでてほしい」と、人外レベルに強い無表情な新人騎士に要求されて、断り切れずに頭を撫で回したあげくに、深淵にはまり込んでしまう騎士団長のお話。リハビリ自家発電小説。一話完結です。 ※加筆修正が加えられています。投稿初日とは誤差があります。ご了承ください。

溺愛王子様の3つの恋物語~第2王子編~

結衣可
BL
第二王子ライナルト・フォン・グランツ(ライナ)は、奔放で自由人。 彼は密かに市井へ足を運び、民の声を聞き、王国の姿を自分の目で確かめることを日課にしていた。 そんな彼の存在に気づいたのは――冷徹と評される若き宰相、カール・ヴァイスベルクだった。 カールは王子の軽率な行動を厳しく諫める。 しかし、奔放に見えても人々に向けるライナの「本物の笑顔」に、彼の心は揺さぶられていく。 「逃げるな」と迫るカールと、「心配してくれるの?」と赤面するライナ。 危うくも甘いやり取りが続く中で、二人の距離は少しずつ縮まっていく。

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可
BL
 祖国に棄てられた少年――ユリアン。  彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。  その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。  絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。  誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。   棄てられた少年と、孤独な賢者。  陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。

復讐の鎖に繋がれた魔王は、光に囚われる。

篠雨
BL
予言の魔王として闇に閉ざされた屋敷に隔離されていたノアール。孤独な日々の中、彼は唯一の光であった少年セレを、手元に鎖で繋ぎ留めていた。 3年後、鎖を解かれ王城に連れ去られたセレは、光の勇者としてノアールの前に戻ってきた。それは、ノアールの罪を裁く、滅却の剣。 ノアールが死を受け入れる中、勇者セレが選んだのは、王城の命令に背き、彼を殺さずに再び鎖で繋ぎ直すという、最も歪んだ復讐だった。 「お前は俺の獲物だ。誰にも殺させないし、絶対に離してなんかやらない」 孤独と憎悪に囚われた勇者は、魔王を「復讐の道具」として秘密裏に支配下に置く。しかし、制御不能な力を持つ勇者を恐れた王城は、ついに二人を排除するための罠を仕掛ける。 歪んだ愛憎と贖罪が絡み合う、光と闇の立場が逆転した物語――彼らの運命は、どこへ向かうのか。

憎くて恋しい君にだけは、絶対会いたくなかったのに。

Q矢(Q.➽)
BL
愛する人達を守る為に、俺は戦いに出たのに。 満身創痍ながらも生き残り、帰還してみれば、とっくの昔に彼は俺を諦めていたらしい。 よし、じゃあ、もう死のうかな…から始まる転生物語。 愛しすぎて愛が枯渇してしまった俺は、もう誰も愛する気力は無い。 だから生まれ変わっても君には会いたく無いって願ったんだ。 それなのに転生先にはまんまと彼が。 でも、どっち? 判別のつかないままの二人の彼の愛と執着に溺死寸前の主人公君。 今世は幸せになりに来ました。

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

処理中です...