どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた

布施鉱平

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第一章

絶望の冒険者

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(…………なぜだ)

 リディアは地面に視線を落とし、暗い気持ちで雑踏の中を歩き続けていた。

 この商業都市セバルに来てからもう三ヶ月が経とうとしている。

(どうして…………)

 握り締めた手からは鮮血が滴り落ち、地面に点々と跡を残している。
 だが、そんな痛みはリディアが感じている心の痛みに比べれば、蚊が刺すほどの痛みでもなかった。

 深呼吸をして心を落ち着かせ、リディアは停止していたスキル〈戦場把握フィールドサーチ〉を発動させる。
 これは、乱戦時に敵味方を把握するためのスキルだ。 

 途端に、周りにいるすべての人間が持つ、リディアに対する感情が流れ込んでくる。
 だがそれは────


 嫌悪、嫌悪、嫌悪、敵意、嫌悪、敵意、敵意、蔑み、嫌悪、蔑み、敵意、嫌悪、蔑み、嫌悪、敵意、嫌悪、恐怖、蔑み、嫌悪、恐怖、嫌悪、敵意、蔑み、嫌悪、嫌悪、嫌悪、敵意、嫌悪、敵意、敵意、嫌悪、蔑み…………


 歴戦の冒険者であるリディアすら吐き気を催すほどの、悪感情の波だった。

 ぐっと歯を食いしばり、リディアは悪意に耐える。

 そして探す。

 たった一人でいい、自分に対して好意を向けてくれる人物を。

 だが、どれだけの人間がリディアの近くを通り過ぎても、放たれてくるのはリディアの存在を否定する感情だけだった。

「…………っ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 息を荒くし、脂汗を流すリディアの横を、人々が距離を空けてすり抜けていく。
 彼女のことを心配して声をかけるものなど一人もいない。

 なるべく近寄らないように、なるべく視界に入れないように。

 目を逸らし、鼻を摘み、まるで汚物でも避けるかのような態度でリディアから遠ざかる。

 これ以上の悪意に耐え切れなくなって、リディアはまたスキルを停止した。
 それと同時に、心を押しつぶすような圧力が消える。

 だが、解放されたリディアの心は空虚だった。
 
(……それほどまでに、私が嫌いか。それほどまでに……)

 もはや涙も出ない。
 ここが最後の望みだったのだ。

 最も栄え、最も多くの人が集まる街、セバル。

 その人口は定住するものだけで十万を超え、日々訪れる商人や旅人も含めればさらに多くの人が集う場所。

 そんな人の溢れる場所だからこそ、一人くらいはリディアの外見に偏見を持たぬ者がいるかもしれない。
 そう思って、毎日のように雑踏の中でスキルを発動させていたのだが、流石にもう限界だった。

 リディアは、醜い。
 
 生まれた時から醜かった。

 細く引き締まった体、大きな胸に丸みを帯びた尻、割れていない顎、厚みの薄い唇、切れ長の目、クセがなく艶のある赤毛。

 醜いとされる全ての特徴を集めたような、悪魔の造形物。
 それがリディアだった。

 子供の頃から両親に愛されず、友もなく、成人した今でも当然女として愛してくれるような男はいない。
 
 生まれてこの方、好意や同情を感じたのはリディアと同じように自分の外見に悩みをもつ女からだけ。

 それでも二十になるこの年まで生き続けてきたのは、いつかは自分を愛してくれる人に出会えるかも知れないという希望からだった。

 多くの人と出会うために冒険者になり、世界を旅してきた。
 戦いの才には恵まれており、異例とも言える若さで冒険者の最高峰であるA級に到達もした。

 多くの依頼をこなし、多くの金を稼いできた。

 共に戦ってくれる仲間を見つけもした。

 しかし、本当の望みである自分を愛してくれる男に出会うことはなかった。

 せめて体だけでも人の温もりを感じたくて、行く先々の街で娼館に通ったこともある。
 だが男娼はリディアを見て勃つどころか、吐いたり泣き喚いたりするばかり。

 最後の手段として奴隷を買おうとしたこともあった。
 だが自分の姿を見て絶望の表情を浮かべる奴隷たちを無理に買うことは、リディアにはできなかった。

 おかげで、この歳になっても未だにリディアは未通だ。

 もう無理だと、何度も諦めかけた。
 でも、その度に次こそはと自分を奮い立たせ、立ち上がり続けて来たのだ。

 しかしそれも限界だった。
 これ以上は心が持ちそうにない。

 このセバルでの試みを最後に、もしここでもリディアを愛してくれる者が見つからなければ、命を絶つつもりだった。
 
 すでに三ヶ月が経過している。
 
 いったい、どれだけの人とすれ違っただろうか。
 
 毎日のように最も人通りの多いメインストリートを歩き、スキルで人の感情を読み取り続けてきた。
 
 結果は、心にさらなる傷を負わせるだけに終わった。

 フラフラと、おぼつかない足取りでリディアは路地に入り込んだ。
 もうこれ以上、嫌悪の感情や視線を向けられるのには耐えられなかった。

(死のう)

 自然と、その考えが頭に浮かんだ。
 どれだけ冒険者として優秀でも、どれだけ金を持っていても、そんなものは人生においてほとんど意味のないものだった。

 愛し、愛される関係の存在がいなければ、人は生きていけない。
 生きている意味がない。

 少なくとも、リディアにとってはそうだった。

 路地を歩き続け、治安の悪い場所へと踏み込んでいたが、もうそんなことは気にならなかった。
 自分で死ぬ手間が省けるから、殺すなら殺せばいいという投げやりな気持ちでリディアは歩き続ける。

 そして、どこをどう歩いたのか、いつの間にか一軒の奴隷商の店の前にたどり着いていた。
 店の前には、鎖で繋がれた何人もの奴隷が怯えたような表情でリディアを見ていた。

「奴隷、か」

 また、嫌な記憶が蘇る。
 金で命を売り買いされる奴隷にすら、リディアは嫌悪の感情をぶつけられたのだ。

 だが、人を見かけるたびにスキルを発動するのが習慣になっていたリディアは、無意識に〈戦場把握〉を発動させる。

 飛び込んでくる、奴隷たちの感情────


 嫌悪、嫌悪、恐怖、恐怖、嫌悪、恐怖、好意、嫌悪、恐怖、恐怖…………


「…………え?」

 最近は下を向き続けてばかりいたリディアの顔が、弾かれたように上がった。
 それに奴隷たちが怯え、中にはげえげえと吐き出す者もいたが、今のリディアはそんな事を気にしている余裕などなかった。

 神経を研ぎ澄ませ、もう一度奴隷たちの感情を探る。

 
 嫌悪、恐怖、恐怖、恐怖、嫌悪、恐怖、好意…………

 
(…………うそ)

 勘違いでも、幻でもなかった。
 この奴隷たちの中の誰かが、自分に好意を抱いている。

 愕然と、リディアは奴隷たちの顔を見渡した。
 
 そして、見つけた。

 ほとんどの奴隷が顔を背ける中、一人だけ自分を直視する奴隷。

 その奴隷と視線が会った瞬間、リディアの背筋に震えが走った。

 夜のように黒い髪と瞳、丸みを帯びて平たい顔。
 小さな鼻、どんぐりのようにつぶらな瞳。

 リディアを見ていたのは、そんな可愛らしい少年だったのだ。

 対象を絞って意識を集中したため、少年の感情がさらに詳しく伝わってくる。


 好意、興味、憧憬、慕情…………それに、情欲。


 リディアはその感情を受け取った瞬間、今までの人生がひっくり返るような衝撃を受けた。

 壊れかけた自分の心が見せている、都合のいい幻覚なのではないかと何度も確認した。
 だが、スキルはその度に何度でも同じ答えを返してきた。

 目の前の少年は、自分に対し何一つとして悪い感情を抱いていない。
 それどころか、リディアのような醜い女に対して情欲、つまり性的な興奮を抱いているのだ。

 リディアの体の奥深い部分が熱くなり、震えた。

 膝から崩れ落ちてしまいそうな歓喜が体を駆け巡る。

 少年を見つめるリディアの目からは自然と一筋の涙が流れ、乾いた地面に落ちていった。

 リディアの涙を見て、少年が目を逸らす。
 だが、伝わってくる感情は羞恥。

 少年はリディアを蔑むのではなく、自らを恥じているのだ。
 リディアの涙が、自分を哀れんで流されたものだと思ったのだろう。

「そんなわけがあるか……」

 小さく呟き、リディアは少年のもとにフラフラと近づいていった。
 少年が恥じることなど何一つない。
 
 少年を縛る安い鎖など、リディアなら素手でも引きちぎることができる。

 あと少しで少年が手に届く距離まで近づいたとき、店の扉が開いて中から奴隷商と思われる女が出てきた。

「その少年を買いたい」

 リディアは即座に交渉に入った。
 少年が欲しい。
 なんとしても欲しい。
 
 リディアを蔑まず、恐れず、嫌悪しない少年。

 それどころか、リディアのような女に対して情欲を抱くことができる男。
 
 何と引換えにしても手に入れるつもりだった。

 リディアの顔を見た瞬間、奴隷商は露骨に顔をしかめた。
 お前のような化物が奴隷を買うのか。そう心の中で言っている顔だった。
 
 だが、もはやそんなことはどうだって良かった。
 下衆な奴隷商人がリディアのことをどう思おうと、どれだけ蔑もうと、リディアの心には響かない。
 今リディアの心は、湧き上がる歓喜に満たされていたからだ。

「これで売ってくれ。今すぐ」

 リディアは腰にぶら下げた魔法の鞄から重い袋を取り出すと、商人の目の前に放った。
 訝しげな顔で袋を覗き込んだ商人が、中を確認して目を見開く。

 それはそうだろう。
 袋の中に入っているのは、全て白金貨だ。

 枚数にして約百枚。
 この商業都市の一等地に店を構えられるほどの金額だ。

 どれだけ高級な奴隷を買おうとしても、これより一桁少ない額にしかならないだろう。

 急にへこへこしだした奴隷商人は、リディアの気が変わる前にとでも思ったのか、大急ぎで奴隷を譲渡する準備を始める。

 気が変わるなどあるはずもない。
 なにせ、この金額でも売るつもりがないなら、リディアは奴隷商人を斬り殺してでも少年を連れて行くつもりだったのだ。

 少年が奴隷商人によって鎖を外され、リディアの前に連れてこられた。

 困惑の表情と感情を浮かべる少年に対し、リディアは、

「私が、君を買ったんだ」

 と短く告げた。
 
 だが、少年は言葉が理解できないのか、こてんと首をかしげる。
 かわいい。

 奴隷商に顔を向けるが、奴隷商は首をふるふると振ってそれに答えた。
 どうやら少年は言葉を理解できないようだ。
 この国の生まれではないのかもしれない。

 リディアは、ジェスチャーで少年に伝えることにした。

 少年を指差し、自分を指差し、鞄から金貨を一枚取り出してそれと商人を交互に指さす。

 次の瞬間、少年の心にパァーッと喜びが満ち溢れていくのが分かった。

(嬉しいのは私だ)

 リディアのような女に買われることを、心の底から喜んでくれている。

 気づけば、リディアは少年に微笑み返していた。

 こんなにも自然に笑えたのは、生まれて初めてのことだった。
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