どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた

布施鉱平

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第一章

少年の目覚め

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 午前九時近くになって、ようやく少年は目覚めた。
 
 昨日の夜に力尽きて気を失ったのが大体午後九時頃だったので、まる十二時間は寝ていたことになる。
 おそらく、奴隷として過ごしてきた日々の疲れや心労が溜まっていたのだろう。
 
 もちろん、単純に昨日ヤリ過ぎたから、というのもあるだろうが。 

 体を起こし、少年は不安そうな顔を浮かべた。

 自分がどこにいるか分からず、戸惑っている様子だ。
 キョロキョロと辺りを見回すが、リディアを見つけるとほっとしたように笑みを浮かべた。

 その笑顔にキュン死させられそうになったリディアが胸を押さえる。

 次に少年の視線が動いた先は、当然その隣にいる見知らぬ人物────ミゼルだ。

 ミゼルは自分のローブの裾をギュッと掴んだ。
 
 もしこの少年に拒絶されたら…………
 そう思うと、手のひらや脇の下に嫌な汗がじっとりと浮かんでくる。

 少年がミゼルの顔を見た。
 そしてその下にある醜い巨乳を見た。

 ミゼルは逃げ出したい気持ちを必死に抑え込み、少年の反応を待つ。
 まるで死刑判決を言い渡される囚人の気分だ。
 
 今までに出会った男たちは、ミゼルの胸を見ると例外なく顔を顰めて目を逸らした。
 女からは侮蔑の言葉を浴びせられ、時には唾を吐かれることもあった。

 ごくり、と唾を飲み込んだ喉の奥に、苦いものを感じた。
 胃液が上がってきているのだ。

 緊張と不安から、ミゼルは嘔吐寸前だった。
 
 やけに長い時間ミゼルの胸を見つめていた少年の視線が、顔へと戻ってくる。

 そして少年は────


















 ────誰もが目を背けるミゼルの顔を正面から見つめると、恥ずかしそうににっこりと微笑んだ。

「う゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」

 ミゼルは床に崩れ落ちて号泣した。
 
 勝訴であった。
 崖っぷちギリギリからの勝訴であった。

 死に等しい恐怖から解放されたミゼルの心には、自分でも理解できないほど歓喜の感情が溢れ返っていた。

「う゛ぅ゛っ……う゛ぅ゛ぅ゛っ……」
「良かったな、ミゼルっ。良かったな…………っ」 
 
 むせび泣くミゼルと、その肩を抱いてもらい泣きするリディア。
 
 突然の事態を理解できず、少年は抱き合うふたりを眺めながら困惑の表情を浮かべていた。




 ◇


「……もう落ち着いたか?」
「ぐすっ……う、うん、もう大丈夫。ごめんね、リディア……」

 ひとしきり泣きはらしたミゼルは、大きく息をつくと少年に目を向けた。
 ミゼルと目が合った少年が、こてんと首をかしげる。
 かわいい。
 
「あの…………私のこと、気持ち悪いと思わないの?」
 
 ミゼルは高鳴る鼓動を押さえるように両手で胸を押しつぶしながら、少年に問いかけた。

「◇×#△$……///」

 だが、ぐにゃりと形を変えたミゼルの胸に視線を送っていた少年から返ってきた言葉は、今まで一度も聞いたことのないような言語。
 
「その少年は、言葉が分からないようなんだ。世界を転々としてきた私でも聞いたことのない言葉を話す。おそらくかなり遠方の生まれなんだと思うが、ミゼルには彼がどこの人間だか分かるか?」

 ミゼルの抱いた疑問に、すぐさまリディアが答えをくれる。
 だが、パーティーの中で最も博識であるミゼルにさえ、少年の操る言語は未知のものであった。

「……ううん、分からない。東方の島国の言葉じゃないし、南方の未開地に住む部族の言葉ともまるで違う…………
 いえ、そもそも私の知るどの言語とも根本的に違うわ。こんなの初めて……」
「そうか、ミゼルにも分からないか……」

 もしかして、ミゼルなら少年の正体について何らかの答えを持っているのではないかとリディアは期待していたのだが、ミゼルすら知らないということで逆に疑問が深まってしまった。
 
 リディアとミゼルがふたり揃って難しい顔をし、「う~ん」と唸り声を上げる。

「×#……△○&$□?」

 その様子を不安に思ったのか、少年が眉尻を下げて何かを問いかけてきた。

「あぁっ、ごめん! 君が不安に思うことはないんだ!」
「そ、そうよ? あなたがどこから来たんだろうってちょっと不思議に思ったけど、そんなことどうだっていいの。あなたが何者だろうと、どんな事情でここに来たんだろうと、そんなこと…………」

 どうだっていい、と言いかけて、ミゼルは途中で言葉を止めた。

 目の前にいる可愛らしい少年は、奴隷として売られていたのだ。
 リディアやミゼルを忌避しない天使のような存在であるが、まさか本当に天から遣わされた存在だということなどありえない。

 だとすれば、少年には帰る場所があるはず。
 そして、その場所には少年の家族が待っているかもしれない。

 昨日からずっと舞い上がっていたリディアも、ようやくそのことに思い至ったのだろう。

 二人は顔を見合わせると、気まずい表情を浮かべて少年を見た。
 少年は、相変わらず首をかしげたままこちらを見ている。
 かわいい。

「いや、「かわいい」じゃない。あ、かわいいことはかわいいんだが、その……」
「……ねぇ、リディア……この子の故郷を、探してあげるの……?」

 ミゼルに言われて、リディアはグッと唇を噛んだ。
 確かに、先ほどのミゼルの言葉を聞いた瞬間に思ったのはそのことだった。

 白金貨百枚という大金をはたいて購入した奴隷である以上、その金額をリディアに返すまで少年はリディアの所有物だ。
 奴隷商人に代金を支払うとき、普通であればありえないほどの大金を押し付けるようにして渡したのも、そういった思惑がなかったとは言えない。

 つまり、少年やその家族が支払うことの出来ないような金額を、あえてリディアは払ったのだ。

 人として最低な行為だと、ある程度冷静になった今は思っている。
 思っていはいるが、だからといって少年を手放すことができるかと聞かれれば、それは断じて『いな』だった。

「…………そのことは…………後で、考えよう…………」
「…………そうね…………アレックスやマリアベル、ルナもまだ来てないんだし…………」
「ああ…………皆がそろってから、話し合おう…………私たちがどうするべきかを…………」

 晴れやかな気分から一転、ふたりの心には重い雲が垂れ込めていた。
 
 ただ愛されたいだけなのに、そしてようやくそれが手に入ったというのに、自分たちにはその愛を手放しで喜ぶことすら許されないのだろうか。

 二人は顔を上げて少年を見ることができなかった。
 いつまでも見ていたいのに、見るだけで幸せを感じることができるのに。

 今は、その幸せが恐ろしかった。
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