どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた

布施鉱平

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第二章

家の中で

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「明かりをつけてもいいか?」

 マリアベルの家に入り、リディアが発した第一声はそれだった。 
 家の中は星の光が無いぶん、外よりも暗い闇に覆われている。

 それが日常であるマリアベルには問題ないのだろうが、いくらリディアでも完全な暗闇を見通すことは出来なかった。

「あっ、すみません! 家に人が来ることなんてほとんどなかったものですから……」
「分かるよ。私の家だって、ほんの数日前まではそうだったからな。──〈浮遊光フロートライト〉」

 リディアの発動した魔術により、部屋の中央に浮遊する発光体が生まれた。

「ふむ……」

 明かりに照らし出された部屋を見回して、リディアが納得したような声を漏らす。
 家には住人の人柄が現れるというが、まさにその通りだと思ったのだ。

 リディアであれば幸せな未来への願望から贅を尽くした家であったし、学者肌であるミゼルの家は本で溢れていた。

 狩人であるルナは森に手作りの小屋をいくつか持っていたし、逆に野生児のアレックスなどは家自体持っていなかった。

 そしてマリアベルの家を見たリディアが抱いた感想は、『清貧』の一言だ。

 見事なまでに、何もない。

 玄関を入ってすぐ目に入るのは、食事を取るためのテーブルと椅子が一つずつ。
 そして視線を動かすまでもなく、同じ視界にベッドとクローゼットが映り込む。

 部屋の端には扉がひとつ見えるが、家の規模から考えて別の部屋などではなくトイレと風呂場だろう。

 娯楽に関するものは、一切見当たらない。
 
 絵画などの芸術作品が置かれていないのは当たり前としても、香りを楽しむための香炉もなければ、音を楽しむための楽器なども置かれていない。

 外からの視線を恐れているのか、壁には換気のために空けられた穴が二つほどあるだけで窓すらなかった。

 それを『らしい』というのも失礼な話かもしれないが、やはりこのガランとした家が、私財のほとんどを児童擁護団体に寄付するようなマリアベルらしい家なのだろう。

「すみません、このような狭いところにお迎えしてしまって……」

 リディアの沈黙をどう受け取ったのか、マリアベルが申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、隅々まで掃除の行き届いた気持ちのいい部屋だ」
 
 事実、目の見えない人間が一人暮らしをしているとは思えないほどに、マリアベルの部屋は綺麗に掃除されていた。
 リディアの超人的な視力を持ってしても、ちり一つ見つからないほどだ。

「と、とりあえず、お茶でもご用意しますね。そちらに掛けて……あっ、椅子が……」
「大丈夫だ。野宿に備えて、携帯用の椅子はいつも持ち歩いている」
「す、すみません……」
  
 また頭を下げ、マリアベルはお茶の用意をし始めた。

 リディアは魔法の鞄マジックバッグから携帯用の椅子を取り出すとそれに腰掛け、マリアベルの動きをじっと見ていた。
 淀みのない、流れるような動きだ。

 魔力の反射で周囲を認識できるとは言っても、普通は大雑把に物の形が分かる程度のものだ。
 
 リディアも深い霧の中など視界のきかない場所で戦うことはあるが、それは魔力の反射だけでなく音や気配、探知スキル、培ってきた勘などを総動員して初めて可能となる。

 とてもではないが、魔力の反射だけで細かい部分までを読み取るのは不可能だった。

 しかし、マリアベルはティーカップの取っ手やスプーンなどの細い部分を、迷いなく指先でつまんでいる。
 
 視力を失ったことで、かえって繊細な魔力の扱い方が身に付いたのだろう。
 それが回復術の習得に役立ち、ひいてはリディア達の仲間になることに結びついたのは、皮肉な運命としか言いようがなかった。

(望んだことではないだろうにな……)

 マリアベルの本質を知っているリディアは、ひとり孤独な生活を続けてきたであろう少女の心中を思って、密かに嘆息した。

 傷つきやすく、打たれ弱く、自分で作り出した闇から抜け出す勇気もない。
 A級冒険者であり、世界に数人しかいない高位回復術司祭アークプリーストであるマリアベルの正体は、そんな気弱な少女に過ぎないのだ。

 過去の悲しい出来事さえなければ、自分の回復術師としての才能にも気づかずに平凡な一生を終えただろう。

 そして今彼女は、失うことへの恐れから希望に手を伸ばすのをためらっている。

 何が幸せかを決めるのは当人の自由だが、少なくともリディアには、希望に背を向けた先にそれがあるとは思えなかった。
 
「お待たせしました」
 
 ティーカップを二つ持って、マリアベルが戻ってきた。
 
「ああ、ありがとう」
「あまりいいお茶ではありませんけど……」
「気にするな。そもそも繊細な味なんて、私には分からないからな」
「……ふふっ、リディアさん、同じ茶葉で香りがなくなるまでくり返し飲んでましたものね」
「薄味には薄味のうまさがあるんだよ…………ん、うまい」
「私もいただきます」

 席につき、他愛のないことを話しながらカップに口を付ける。
 香りのよいお茶で喉と唇を潤し、テーブルにカップを置くと、リディアが口を開いた。
 
「マリア……アレックスが、妊娠したぞ」

 何を話すべきか、どう説得すればいいか、リディアはここに来るまでに色々と考えていた。
 そして、仲間の身に起きた素晴らしい出来事を知らせるのが一番だろうと結論を出した。

「えっ……?」

 予想外の言葉に、マリアベルが驚きの声を上げる。
 
「まあ、はっきりと確かめた訳じゃないんだが、アレックス曰く間違いないそうだ。体の中にわずかな気配を感じるらしい。一応ミゼルに〈生体検査メディカルチェック〉を頼もうと思ったんだが……」
「ダメですっ! 芽生えたばかりの命は、不安定なものです! 異なる魔力に晒してはいけませんっ!」

 リディアのセリフを遮って、マリアベルが大きな声を上げた。
 
「……と思ったんだが、ミゼルにも同じことを言われたからやめたよ。そしてこうも言われた『マリアに頼んで、〈保護プロテクション〉をかけてもらうのが先よ』、とな」
「あ……す、すみません、私……興奮して、最後までお話を聞かなくて……」
「いや、回復術師として当然のことだ」

 マリアベルが声を荒げたのは、仕方のないことだった。
 魔力とは指紋のように人それぞれ性質の異なるもので、他人の魔力とは自分にとって害を及ぼすものなのだ。

 ましてや、胎児にもならないような生命が浴びていいものではない。

 回復術とはまさにそれを行う魔術なのであるが、回復術師とは、自分の魔力を他人の魔力に同調させる才能を持つ者なのだ。
 数百人にひとりの割合でしか持ち得ない稀有な才能であり、しかもそれを極められる者など、その中でもごく一部の天才と呼ばれる者たちに限られた。
 
「それも踏まえたうえで、一緒に来てくれないか、マリア? お前がアレックスの子宮に〈保護プロテクション〉をかけてくれれば、アレックスも私たちも安心できる。お前ほどの回復術師を、私は他に知らないからな」

 ずるい言い方であることは、リディア自身がよく分かっていた。
 だが、自分の幸せの為に一緒に来てくれと言ったところで、マリアベルの迷いが無くなることはなかっただろう。

 しかし仲間の為、これから生まれてくる命の為と言われて、それを断ることの出来るマリアベルではない。
 
「分かり、ました。準備して、直ぐに向かいましょう」

 そして案の定、一瞬の迷いを断ち切ったマリアベルは、回復術師としての顔になるとそう答えたのだった。

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