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殺したい。でも、それ以上に

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 艶やかな茶色の髪。そして、琥珀のように透明な黄色の瞳。
 嫌なほど私の愛した人に似ている。
 少女は目の前にいる年下の少年を殺そうと思っていた。すでに彼の両親は少女の手で殺している。

 「君は……誰?」

 部屋の奥で突っ立っている少年は無垢な瞳で金髪の少女を見ていた。
 その部屋は小さな少年にはあまりにも広すぎる。これが侯爵家の子息なのか。
 少女は返り血がついてしまった服から着替えていた。少年はまだ自分の両親が殺されたなんて思っていないようだ。

 少女の名前はレミア・バーナード。
 これは現在の名前。
 彼女は前世の記憶があった。前世での名前はオフィーリア。
 オフィーリアは少年の父親の愛人であった。

 オフィーリアは愛していたその人に裏切られ、死んだ。
 しかし、死んだオフィーリアは魔導士の血を持つ少女レミアに生まれ変わり、復讐のため裏切った憎き彼と彼を奪った女を先ほど殺した。

 だから、目の前にいる少年も殺したい。裏切った彼の子どもなんて目にしたくない。

 ――――――――――――消えてしまえ。

 そう思いながら、レミアは氷魔法で剣を作り右手で握る。
 目の前にいる少年は憎いほど可愛い。
 もし、自分の子どもだったらと考えてしまい、右手が動かない。

 ――――――――――――殺したいのに。

 窓から差し込む光に照らされる少年の髪は輝いていた。彼の姿は神々しく、天使を連想させた。

 「君は……」

 少年はそっと呟く。後半はなんて言っているか分からなかった。

 「エヴァンズ様! お逃げください!」

 そんな声が、遠くの方から聞こえてきた。
 もう人が来た。捕まるのも時間次第。
 でも……。

 レミアは少年に向かって走り出す。
 そして、自分よりちっさい少年を抱え、自分よりもずっと大きい窓を左手で豪快に開ける。

 「ちょっ、何を!」

 少年はレミアに何か言っていたが、今はそれどころではなかった。
 レミアは右足を窓枠に掛ける。

 「逃げるよ」

 すると、レミアの背中から白い翼が現れる。
 彼女のゴールドの髪がなびく姿はまるで天使。白い羽がひらひらと数枚落ちていく。
 翼を広げたレミアは少年エヴァンズとともに空を飛び部屋から去っていった。



 ★★★★★★★★



 「すごい! 空を飛んでる!」
 「…………うるさい」

 私、レミアとエヴァンズは空を飛んでいた。
 足下には城下町が広がっている。かなり高いところを飛んでいるためか街の人たちは私たちに気づいてないようだった。

 先程まで「何すんだ! 離せ!」とうるさく言っていたエヴァンズは興奮して絶景に見とれていた。
 なんでこの子を連れてきてしまったんだろうと今さながら後悔している。

 私はもともと彼の一家セブルス家を皆殺しにするつもりでいた。
 そのためにレミアに転生後必死に魔法を練習したし、勉強もした。
 レミアは孤児院だったから抜け出すのは容易だったし、セブルス家に行くのも簡単だった。

 そして、憎き相手も殺せた。
 彼は私の正体なんて知らなかったから簡単だった。
 でも、エヴァンズコイツだけは剣を心臓に向けることはできなかった。

 それどころか今は一緒に逃げている。

 「ねぇ」
 「……なに? 落としてほしいの?」
 「そ、そんなことしたら僕は死んじゃうじゃないか!」
 「……本当はその予定だったし」

 私がそう呟いたが、彼には聞こえていないようだった。

 「そうじゃなくて、君は誰? なんて名前?」
 「私はレミア。じゃあ、もう落としてもいい?」

 「ダ、ダメだって! レミアって言うんだね? 僕はエヴァンズ! レミアはさ、僕と遊びに来たの?」
 「ちが……」
 「よし! じゃあ、森に行きたい! 僕、行ったことないんだよね! ねぇ! 行こう!」

 エヴァンズはキラキラと目を輝かせ私に訴える。
 これだから子どもは……。
 話を聞かないのは坊ちゃまだから?

 大はしゃぎのエヴァンズ。
 彼は背後にある城とは反対側にある森の方を指さしていた。
 別に城から離れるのだったらどうでもよかったので、仕方なく森の方に行った。

 コイツを森に連れていったら帰ろう。子どもだし、遭難でもして餓死してくれるだろう。
 そうして、私はエヴァンズを森に連れていくと、彼は私の手を取ってクルクル回り始めた。
 私よりずっと身長が低い彼は見上げて満面の笑みを向けてくる。

 ――――――――――――やめて。そんな顔こっちに向けないで。

 「レミア! 森だよ! 森だ!」

 ――――――――――――帰るわ。

 「……そうね」
 「遊ぼう! レミア!」

 ――――――――――――嫌よ、帰るわ。

 「……」

 エヴァンズは私の手を取って草木が生い茂る地面を踏み走る。
 私は無邪気に彼が走っていくままに付いていった。

 「ねぇ、どこまで行くの」
 「どこまでも! 森ってこんな感じなんだね! 本で見た通りだ!」
 「……森に来たことがなかったの?」

 金持ちなんてどこにでも行けそうなのに。侯爵家の子息なのに。
 森にすら入ったことがないのか。

 「ないよ。僕はほとんど家にいたから。庭で遊んでたよ」
 「そう」

 それからエヴァンズが遊ぶままに私は仕方なくその遊びに付き合った。
 こっそり帰ろうとするとエヴァンズに腕を掴まれ、逃げ出すこともできず。
 私たちは結局夕方まで遊んでいた。

 「遊んだ――!!」

 全力で遊んだエヴァンズは疲れたのかラベンダーが咲き誇る地面に寝転がる。彼は紫の花に囲まれていた。
 夕日が木々の間から光を放ち、幻想的な景色を作り出していた。ラベンダーの花は穏やかな香りを漂わせている。

 「……私、帰るから」
 「僕も帰るよ。ちょっと待って」

 私が離れようとすると、エヴァンズは起き上がって私の腕を掴んできた。
 ――――――――――――本当にやめて。

 「…………何?」
 「僕も帰るんだ。一緒に帰ろう?」

 ――――――――――――嫌よ。なんであの人の子どもあなたと仲良く帰らないといけないの。

 「……分かったわ」
 「良かった! 僕、ここから家までどうやって帰ればいいか分からなかったから、危うく迷子になるところだったよ!」

 もともとあなたを遭難させるつもりでいたからね。
 帰らずに迷子になってくれてもいいのに。

 「そう。良かったわ」

 私は結局エヴァンズと手を繋いで家まで歩いた。

 私が今暮らしている家はそれほど遠くはなく、すぐに着いた。
 街から離れ森の中にひっそりと建っている木造の家が私の家。
 これも魔法の力を頼って1人で作った。家の姿が見え、ドアの前まで行くと私はドアノブに手をかざす。

 「ここがレミアの家?」
 「そうよ」
 「レミアは誰かと一緒に住んでいるの?」
 「いいえ、1人よ。私以外誰もいない」

 ドアを開けると少し暗く前が見えづらいので、部屋の明かりをつけた。
 私の家はダイニングと書斎、寝室、洗面所と風呂場、そして未だ何も置いていない部屋の5つ。
 私はちょこまか付いてくるエヴァンズに部屋を案内する。

 そして、何も置いていない部屋に私が使っていたベッドを移動させると、エヴァンズに部屋に入ってもらった。

 「ここがあなたの部屋。自由に使っていいから」
 「分かった。ありがとう!」

 そう言ってドアを閉めようとするとエヴァンズはもぞもぞし始めた。
 まだ何か言いたいことでもあるんだろうか。

 「……何か私に用があるの?」
 「えーと、僕のママとパパは? どこに行ったのかなと思って」

 ――――――――――――死んだよ。私が殺したよ。

 「……」
 「あ、もしかして……」
 「……」
 「ママとパパが仕事で僕が1人になるからレミアが来たの?」

 ――――――――――――違うわ。

 「そうよ」

 コイツをこの家に置くなんてありえない。

 「だから、一時ここで過ごしてもらうから不便なことは我慢してくれるかしら」

 ――――――――――――嘘ばっかりだ。
 そして、エヴァンズの部屋となったドアを閉め、私はキッチンへと向かった。
 


 ★★★★★★★★



 「レミア」

 ご飯を作っていると、エヴァンズがリビングの方にやってきた。
 鍋には真っ赤なトマトが入ったミネストローネがぐつぐつと煮込んでいる。
 暖炉の近くにソファがあるのだが、そこを通り過ぎてエヴァンズはダイニングテーブルの方の椅子に座った。

 ソファの方が楽じゃないかしら。わざわざこっちに近い方にきて。

 「何?」
 「レミアはさ。何歳なの?」
 「さぁ、何歳でしょうね」

 見た目と実際の年は違うわよ。
 あ、違うのは精神年齢か。

 「僕より上? 下? それとも同い年?」
 「あなたは何歳なのよ」

 「僕は6歳! 最近6歳になったんだ! ママとパパと一緒に誕生日会をしたんだよ! 美味しものもいっぱい食べたんだ!」
 「……そう」

 両親が殺される前に誕生日会ができてよかったわね。
 私は鍋の火を止め、出来立てのミネストローネを2つのお皿に次ぎ分ける。ミネストローネは鮮やかな赤になっていた。

 「うーん。いい匂い」
 「わっ!」

 隣にはいつの間にか立っていたエヴァンズ。幸せそうな顔でミネストローネに目を向けていた。
 驚かせないでよ。

 「美味しそうだね! これが今日のご飯?」
 「そうよ。ちょっと待ってて。パンも用意するから。これ、先にテーブルの方に持って行ってくれる?」

 私はエヴァンズにミネストローネが入った器を渡す。

 「気を付けて。まだ、熱いから」
 「うん!」

 ニコニコ笑顔のエヴァンズは器に付いている取っ手を持つと、慎重にテーブルの方に歩く。
 私はパンの入ったバスケットとカップ2つを持ちテーブルに向かう。
そして、スプーンと水を用意して私たちは席に座った。エヴァンズと私は向き合って座る。

 「ねぇ、もう食べていい?」

 エヴァンズはお腹が空いて仕方ないのかよだれを垂らしそうになっている。

 「いいよ」

 私はスプーンを手に取り冷めないうちにミネストローネのスープをすくった。エヴァンズもミネストローネを食べている。
 一時黙って食べていたが、ミネストローネを食べ終えたエヴァンズが口を開いた。

 「ねぇねぇ。さっき聞いたんだけど、レミアは何歳なの? 僕より身長が高いから年上?」
 「そうね。私の年齢は15歳と言ったところかしら」

 実際の年齢は知らない。レミア自身気づけば孤児院にいたので誕生日なんてなかった。そのためかいつごろから私の年齢は適当になっていた。
 私が今ここにいるのは復讐するためにいたのだから。年齢なんてどうでもいい。

 カラン。

 金属が落ちた音が響く。
 前を向くとエヴァンズがスプーンを落としていた。

 「何しているの、汚いじゃ――」
 「レミアは誕生日会したことないの?」

 エヴァンズは目を見開いていた。

 「ないわ」
 「レ、レミアの誕生日はいつ?」
 「知らないわ」
 「……そんな」

 私に同情でもしたのかエヴァンズは絶望的な顔をしていた。
 なんでそんな顔をするのよ。
 すると、黙っていたエヴァンズが「よしっ!」と意気込んだ。

 「ど、どうしたのよ」
 「レミア! 今日がレミアの誕生日にしよう!」
 「え?」

 一体何を言ってるの?

 「今日、僕とレミアが出会ったから今日が誕生日! ね、いいでしょ?」

 誕生日なんてそんな簡単に決めないでよ。人の誕生日を。

 「…………そうね。いいかもね」
 「そうでしょー?」

 エヴァンズはさっきとは打って変わってニコニコ笑顔に戻っていた。
 つられて私もつい笑ってしまう。

 4月20日。
 その日が私の誕生日となり、エヴァンズの両親の命日となった。



 ★★★★★★★★



 「ねぇ、外に行こうよ。僕もうちょっと森を探検してみたいんだ」

 エヴァンズがやってきて数日後の朝、彼からそう言われた。
 面倒くさく思い、私は彼のお誘いを最初は断った。
 でも、彼はしぶとく、必死に懇願してくる。

 部屋のどこに行っても引っ付き虫みたいについてくる。

 「分かった。少しだけね」

 結局、私は折れた。
 白のワンピースに着替えると、ぽかぽか陽気の中外へ。
 私の家周辺は作った結界を張ってあるため、見つかりにくくなっている。
 だから人殺しの私は安心して外には出ることはできた。

 エヴァンズはルンルンな気分なのか私の前をスキップで駆けていた。時折私の方をチラチラと見ている。
 着替えがなかったエヴァンズには白のカッターシャツとこげ茶色のズボンを穿いてもらった。やはり大きかったのか袖が長く手が見えていない。

 「レミア! 今日はとってもいい天気だね!」
 「そうね」

 本当に純粋な笑みを向けてくる。
 私はあなたの両親を殺したのにね。
 春の木々は鮮やかな緑をしていた。眩しいぐらいにキレイで、黒い私の心も浄化されそうだった。

 まぁ、私の闇は消えるはずなんてないのだけれど。

 「見てみて!」

 エヴァンズは指をさす。その指の先には真っすぐな1本道があった。
 横には一定の間隔を開けながら、真っすぐなヒノキがあり、地面には紫のラベンダーが咲き誇っていた。
 そこに足跡もなく誰も踏み入れていないようだった。

 近づくとあの落ち着くラベンダーの香りが鼻に入ってくる。

 「ラベンダーがいっぱいだよ!」

 エヴァンズは私の手を掴み、走り出す。こけそうになりながらも、彼と一緒に走った。
 前を走るエヴァンズ。フフフと笑い声が聞こえてくる。
 ――――――――――――本当に楽しそう。

 「あっちになんかあるよ!」

 彼が指さす方向には1本道の奥には開けた場所があった。しかし、ここからだと逆光のせいで白にしか見えない。
 あっちには何があるのだろうか?
 ラベンダー畑を私たちは走っていく。

 そして、森を抜けるとそこには一面花畑が広がっていた。
 赤やピンク、黄色など様々な花が風に揺られている。
 そこは標高の高そうな丘になっていて、奥の方には山脈、麓には川が流れている。

 城がある場所とは反対側の位置なのだろうか一切街は見当たらない。
 私たちは足を止め、手を握ったままその絶景に見とれていた。

 「わぁ――――――!!」

 エヴァンズは思わず感嘆の声を上げていた。
 こんなところがあったとは。
 長い間この付近に住んでいる私でさえ、この場所に初めてやってきた。
 家から少し離れたところであるため、自然と避けていたのだろう。

 「あ」

 エヴァンズは声を出す。
 美しさのあまり声を出せなくなる景色を前にしていると、エヴァンズは何か見つけたのか走り出した。
 私も追いかけエヴァンズが足を止めた場所まで行く。
 すると、そこにはピンクと白、赤の小さな花が咲いていた。

 「見て、レミア」
 「…………この花は何?」
 「これはねプリムラっていう花なんだよ。特にこれはプリムラマラコイデスっていう花。僕、図鑑で読んだことがあるんだ」

 「へぇ」
 「この花のね、花言葉は『運命を開く』なんだよ」

 『運命を開く』ね……。

 「だから、レミアは僕の運命の人だね!」

 はぁ? なんでそうなるのよ。

 「私が運命の人?」

 ある意味そうなのかもしれないけれど。
 私はあなたの人生を大きく変えた運命の人、という解釈をすれば。

 「そうだよ! レミアは僕がずっと行きたかった森に連れて行ってくれて、いつか見たかったこの花を見せてくれたんだ。運命を開いてくれたんだ! 願えば叶うって!」

 願えば叶う――――――――――――願ってもあの人は私を殺したわ。
 『私はあの人と生きたい』と願ったのに。

 「……」
 「だから、運命の人!」

 ――――――――――――そんなことで私が運命の人になるの?

 「そうかもね。私はあなたの運命の人」

 私の運命の人はあなたの父親だと思ったのよ。
 


 ★★★★★★★★



 数十分間、私たちはその幻想的な花畑で遊んでいた。
 エヴァンズは楽しそうに1人大はしゃぎ。
 私は花畑の中で座り込んでいた。

 暇だったのでそっと景色を眺めていると、遠くの方でアゲハ蝶を追いかけていたエヴァンズがこちらにやってきた。

 「……どうしたの?」
 「レミア! レミアの翼で空を飛んでみてよ!」

 めんどくさい。

 「いやよ」
 「なんで? 僕、空を飛んでみたい!」

 空を飛んでみたい…………ね。
 私の背中に現れる翼は自分の力で習得したものではない。レミア・・・に元々あったのだ。
 だから、どうやってこの翼を手に入れたのか、なぜ手に入れたのかは知らない。

 エヴァンズに「翼を僕にちょうだい」なんて言われても私には答えられない。

 「空を飛びたいの?」
 「うん! レミアと!」

 私と……ね。

 「分かった」

 立ちあがると、エヴァンズは抱き着いてきたので、そのまま彼を抱きかかえる。
 背中に意識すると、翼がばさりと現れ、確認のため羽ばたかせた。
 ……大丈夫そうね。これなら問題なく飛べる。

 この翼は気まぐれ。飛びたくない時もあれば、飛びたいと勝手に現れることもある。
 今日はどうも飛びたい気分みたいだ。

 「……行くよ」

 そう呟くと、翼を思いっきり動かす。
 すぐに地面から足が離れ、空へと一直線に飛んだ。

 「わあぁぁ!」

 下を見るとすでに花畑は小さく見え、森を一望できた。
 エヴァンズは自分で言ってきたこともあり、怖がることなく楽しそうに笑みをこぼしていた。

 この子の笑顔なんて見たくない。苦しい。
 ――――――――――――お願いだから今すぐ消えて。
 
 エヴァンズが満足するまで空を飛ぶと、地上に降りることにした。
 バサバサと翼をゆっくり動かし、足を地面に下ろす。
 ちらりと見えるエヴァンズの顔は少ししょんぼりしていた。

 まだ、飛びたかったのだろうか?
 しかし、エヴァンズはもう一度飛んでとは頼んでこない。
 
 「ねぇ、レミア。なんで空を飛んでいるとき、悲しそうな、苦しそうな顔していたの?」
 
 ポケットからしまっておいたナイフを取り出す。
 
 「たまになんで生きているのか分からなくなるの」

 復讐も終えた。憎き相手を殺した。
 目的を果たした私は何をすればいいのか――――――――――――そう考えると、私にはもう何もないような気がする。

 「たまになんかじゃないわね。今だってなんで生きているか分からない」
 「……」
 「生きる理由がない私が生きている必要ない」

 自分でも分かる。声が震えていることぐらい。

 「だから私が死んだあと、家に帰ってちょうだい」

 私がナイフを首に近づけようとした瞬間、ナイフはどこかに消えた。
 地面に落ちている。
 ナイフは彼が振り払っていた。

 「レミアは僕の、僕の……」
 
 エヴァンズは必死に言葉を探しているよう。そのせいで口籠っていた。
 しかし、彼は顔をスッとこちらに向ける。
 その瞬間、優しい風が私たちの前を通っていった。
 
 「そう! 友達でしょ!? 僕の友達!」

 今更、私に友達だなんて。

 「だ、だ、だからどこにもいかないでよ」

 エヴァも涙を流しているようだった。
 なぜか私の視界もぐちゃぐちゃ。何も見えない。
 けれど、彼のぬくもりは私には分かった。

 「僕と生きて…………僕はレミアとずっと一緒にいるから、一緒に生きて……」

 エヴァンズはぎゅっと私を抱きしめる。痛いぐらいに。

 あなたなんかと……あの人にそっくりなあなたなんかと生きたくない。
 そもそもなんで私はあなたといるの?
 殺すはずだったのに。

 あなたの家族も、も死ぬはずだったのに。

 「……分かったわ。あなたと生きるわ」



 ★★★★★★★★



 時は過ぎて秋。
 エヴァンズがここにきて長い時間が経っていた。
 この短期間で身長が伸びたのだろうか、エヴァンズとの目線がまたさらに近くなった気がする。

 ぽかぽか陽気の中、私が庭の花畑で手入れをしていると、私の手伝いをしてくれていたエヴァンズが聞いてきた。

 「ねぇ、レミアは街に行かないの?」
 「行かない」
 「色んなものがあるのに?」
 「ええ。でも、エヴァが行きたいのなら1人で行けば」

 私は冷たい態度で言った。
 出ていきたいのなら、出ていけばいい。
 あなたがこの家から出ていけば、侯爵夫婦殺しの私は2度とあなたの前に現れることはないだろうから。

 私がそう答えると、エヴァンズは顔を俯ける。
 さすがに言い過ぎただろうか……………………いや、彼に情けを掛ける必要はない。
 立ち止まったままのエヴァンズは顔をクイッとこちらに向ける。
 彼の瞳は真っすぐに私を捕えていた。
 
 「じゃあ、僕も行かない」
 
 なんで?
 
 「…………行きたいんじゃないの?」
 
 そう尋ねると、エヴァンズは顔をそむける。彼の頬は少し膨らんでいた。
 私が行かないと言ったから、すねているのだろうか。
 
 「行ったら、レミアがどっかに消えそうだから行かない。僕はレミアといたいんだ」
 「……そう」
 
 両親に少しは会いたくはないのかしら……………………。
 まぁ、もういないけど。きっと彼らはお墓の中。
 エヴァが会っても絶望するだけなのだろうけど。

 なぜか分からない。
 自分の心なのにその感情が生まれる理由が全く分からなかった。

 なぜか、私の心の中にはどこか嬉しい気持ちがあった。



 ★★★★★★★★


 
 太陽が沈み、月が1人夜の空を散歩している時間。
 私は寝る前に書斎の机にある1つのノートと向き合っていた。
 エヴァが来る前よりも書いていた日記。

 その日記には憎き愛人のことを綴っていた。
 どのページをめくっても『殺したい』『殺す』といった物騒な文字ばかり。
 書いていた当時は憎悪の気持ちで溢れていた。

 しかし、ある日を境にそんな文字はあまり書かなくなった。
 エヴァンズが来てからは彼のことばかり書いていた。
 エヴァの身長が伸びていたとか、エヴァが魔術の本を読み始めたとかばかり。

 私の日記はエヴァンズの成長記録みたいね……。
 そんなことを思いながらも、どこかウキウキ気分で日記を綴り、眠った。

 空がカラッと晴れたその日、私は洗濯物を干していた。
 その洗濯物を干し終えると、書斎に戻った。
 その書斎には……。

 「エヴァ……そこで何をしているの」

 大量の本が置かれた書斎。絶対に誰も入れなかったその書斎にはエヴァがいた。

 「レミア……」
 「ここには入らないで言ったよね?」

 私はすぐさま机に置いていた日記を引き出しにしまう。

 「僕は……その…あの…………本を読み終えたから……別の本が読みたくて」
 「私に言えばよかったじゃない。すぐに持ってくるのに」
 「その…………レミアは忙しそうだったから」
 「別に忙しくない」

 この後の全ての人生、どうすればいいか分からないぐらい暇よ。

 「ともかくここには入らないで。絶対に入らないで」

 そうやって書斎から追い出したエヴァンズはどこか惜しそうな顔を浮かべていた。



 ★★★★★★★★
 
 
 
 そうして、2人で過ごすこと10年が経った。
 エヴァンズがこの家にきて10回目の春。
 彼はすでに私の身長を抜き、立派な青年となっていた。

 その姿はまるで私の手で殺した彼の父親の雰囲気が少し残っている。
 今日も10年前と変わらず、誰もいない森の中を2人で歩いていた。
 
 「ねぇ、レミア」
 「何?」
 「僕らが出会った時、ここで散々遊んだね」

 「何、そのおじいちゃんみたいな言い方。あの時の私はあなたの遊びに付き合わされただけよ」
 「でも、レミアも楽しんでいたじゃないか」
 
 フフフと笑うエヴァンズ。
 普段より上機嫌のようだった。
 何かいいことでもあったのだろうか?

 「ねぇ、レミア」
 「何?」
 「僕はレミアの本心を知ってるよ」
 
 そう言って、エヴァは優しい笑みを私に向けてくる。
 …………何にも知らないくせに。
 私は足を止めたが、エヴァは先に進んでいく。
 
 「ねぇ、レミア。僕たち年が離れてるけどさ」
 「ええ」
 「僕たち、結婚しな――」

 その瞬間。
 銃声の音が響いた。
 そして、自分の腹に痛みが走る。
 お腹の方に目をやると、血が滲み出ていた。服がじわじわと赤に染まっていく。

 撃たれたのね……。
 自分でも意外に思ったが撃たれても冷静な状態でいれた。
 …………これが私の運命。

 「レミア!」

 先を歩いていたエヴァは踵を返し、私のところに走ってくる。

 「エヴァンズ様! その女に近づかないでください! その女はエヴァンズ様のご両親を殺した者です!」

 背後からそう叫ぶ声が聞こえてきた。
 きっとあの人たちは国の者だわ。
 ――――――――――――ついに来たのね、私を殺しに。

 「あんたたちは何者だ! レミアを撃つなんて!」

 そう叫びながら、エヴァは倒れた私を抱き寄せる。
 
 「レミア! 死なないで! レミア!」
 
 エヴァは私の手をぎゅっと握る。しかし、私の手は徐々に力が入らなくなっていく。

 「あ、あ…………」
 「レミア! レミア!」

 ――――――――――――私と生きてくれてありがとう、エヴァンズ。


 
 ★★★★★★★★
 
 
 
 目を覚ますと、自分の両手は鎖付きの手錠をはめられていた。
 寝転がっていた私は起き上がる。

 私、銃でお腹を撃たれたはずじゃ……………………。

 お腹に若干の違和感があるものの、撃たれた傷はなくなっていた。
 助けられた?
 いや、でも、ここは――――――――――――。

 そこの地面は冷たく、じめっとしていて空気も悪い。
 全然助けられてなんかいない。
 ここは牢屋だ。

 私は捕まったのね。
 ということは、エヴァンズは元の家に帰ったんだわ。
 目を閉じ、彼のことを思い出す。

 私が何者か知ったエヴァンズはきっと驚いているでしょうね。
 そして、怒り狂って、私を憎むんだわ。
 あーあ。よかった。
私ったら、復讐相手の息子まで嫌な思いさせれたじゃない。

 ふぅと息をつく。

 「あんた、侯爵家の夫婦を殺したんだってぇ?」

 隣の囚人が私に声を掛けてくる。
 そうよ。転生してまで復讐のために殺したのよ。
 適当な理由で捕まったあんたらとは違うのよ。

 「若いのによくやるねぇ。どこかのお偉いさんに依頼でもされたのかい?」
 「……違う」
 
 あの人たちを殺したのは自分で決めてやったこと。
 だから、後悔はない。全然ない。

 ――――――――――――ええ、絶対ない。


 
 ★★★★★★★★
 

 
 牢屋で目が覚めて、数日経った日。
 私の所に彼はやってきた。

 「エヴァ…………」

 二度と会うことはないと思っていた彼。
 タキシード姿のエヴァンズはまるで別人のようだった。
 アハハ。これがエヴァンズの本当の姿よね。
 
 私は囚人で、牢屋の外にいるエヴァンズはお貴族様。
 これがあるべき状態だったのよ。悲しくなんかないわ。
 元々死のうと考えていた身だもの。

 全然…………全然悲しくない。

 ちらりとエヴァンズの顔を見る。
 以前はニコニコ笑顔を浮かべていた彼。今は悲し気な顔を浮かべていた。

 何も話さないと決めていた。
 だけど、自分の口が勝手に動いていた。
 
 「私はずっとエヴァにウソをついていたの」
 「…………知ってる」
 「だましていたの!」

 「…………知ってる」
 「だ、だったら!」

 怒るなり、無視するなりしないさいよ! 
 必死に訴える私。
 しかし、エヴァンズは目を逸らし、顔を俯ける。

 「そりゃあね、僕もさ……君が憎い。死んでほしいと思った時もあった」

 そうでしょ?
 だったら、私を殺して。消して。

 「君が眠っている間にナイフを持とうとした時もあった」

 え?
 
 思わず私は目を見開く。
 眠っている間にナイフを持とうとした?
 それって、エヴァンズは私が両親を殺したことを知っていた?

 ――――――――――――じゃあなんで、私を殺さなかったの?

 「今でも思うよ、君を殺したい、って」

 ――――――――――――なら、殺して。

 「でも、それ以上に――――――――――――レミア、君が好きなんだ」
 「え?」

 私は俯けていた顔を上げる。
 そこには真っすぐこちらを見る琥珀の瞳。その瞳は真剣そのものだった。

 私が好き? 
 ふざけないで。

 恨み、憎み、殺意。
 私に対しての感情はそんなのでいっぱいでしょう?

 「一緒にいたいんだ。ねぇ、レミアは僕のこと好き?」
 
 好き? 
 私がエヴァンズを?

 そういえばどうだったんだろう?

 思えば私はエヴァンズと10年間一緒に過ごしてきた。
 私はずっとエヴァンズをどう思っていたのだろう?
 私の本心はどうだったの?



 ――――――――――――エヴァンズが好き。愛してるわ。



 ずっとそうだったのかもしれない。出会った時から好きだったんだ。
 だから、私はエヴァンズとともに逃げ出したんだ。

 アハハ。
 よりによって、愛した人の息子を好きになるなんて。

 私はエヴァンズが好き。

 しかし、自分の口からその言葉が出ない。出してはいけないような気がした。
 黙ったままでいると、頬を赤く染めていた彼は徐々に真顔に変化。
 そして、彼は静かに私の前から去っていた。

 次の日もその次の日も彼が姿を現すことはなかった。
 そう……そうよね。
 これでお別れね。さよなら、エヴァ。

 そうして数日後。
 一生出ることはできないだろうと思っていた牢屋から、私は不思議にも出してもらえることができた。
 奇跡。

 嬉しさのあまり思わず涙が出る。
 これから何をしたらいいかなんて分からない。
 しかし、私にはまっとうに生きるため仕事を探そうという気持ちがなぜかあった。

 牢屋から出た私は快晴の中街に向かって歩き出した。



 ★★★★★★★★


 
 出所して、数日後。
 私は幸運にも仕事に就くことができた。
 囚人が出所数日後に就職できるなんて、本当に幸運。奇跡。
 私が出所できただけでも、奇跡なのに。

 「レミアちゃん、そのパンを2段目の棚に出しておいてくれる?」
 「はい!」

 エヴァンズがいる街からずっと離れた町。
 私はそこにあるパン屋さんで働いている。

 転生したばかりの頃の私にはきっと考えられないでしょうね、パン屋なんて。
 パン屋で働くとなれば早起きをしなければならない。

 それに慣れるまで…………まぁ辛かった。
 ずっと7時起きだったのに、4時起きに変えるのがなかなか難しかった。
 でも、パン屋で働く私は、今まで生きている中で一番生き生きしていた。

 雇ってくれたダコタさんも私に優しく接してくれ、近所の人との関係も良好だった。
 あまり笑うことができなかった私。
 しかし、地域の人々との交流が増えていき、次第に自然に笑えるようになっていた。

 それまでは私が笑えることが唯一できたのはエヴァンズといる時だったのに。
 そう、エヴァンズといた時。
 ふとエヴァンズの笑顔を思い出す。
 
 ――――――――――――もう、考えるのはやめよう。2度と会わないんだから。
 
 それよりも。
 私もこんな普通の人生を送れるんだわ。
 


 ★★★★★★★★



 出所して2か月後。
 セブルス家の主人がと結婚したという情報が耳に入った。
 セブルス家はエヴァンズのところの家。

 エヴァンズがきっと結婚したんだ。

 そんなことを考えながら、自分の部屋を見渡す。
 すでに夜になっており、部屋は暗くなっていた。
 私の小さな部屋。何もない部屋。

 かつて住んでいた家にはずっと行っていない。
 きっと取り壊されているのだろう。

 エヴァンズとともに過ごしたあの家は消えているだろう。

 真っ暗な部屋に入ってくる月明かり。その月明かりはぼやけていた。
 全ての世界がぼやけていた。

 エヴァンズの結婚に対して、私は別に特に何も思わなかった。

 ――――――――――――何も。

 その情報を聞いた次の日。
 私はいつも通り働いていると、ダコタさんが心配そうな顔を浮かべていた。

 「レミアちゃん、どうしたの?」
 「え?」
 「暗い顔をしてたもんだからさ。レミアちゃん、疲れが溜まっているじゃない?」

 疲れが溜まってる?

 「そんな、疲れが溜まっているだなんて。あ、もしかしたら、夜更かししたせいかもしれません」
 「夜更かしですって。お肌に悪いわ、レミアちゃん。ちゃんと寝てね」

 すると、ダコタさんは私に微笑み、

 「私はレミアちゃんを頼まれているんだから」

 と言ってきた。

 頼まれている?
 首を傾げながらも、私が「死んだ両親からですか?」と尋ねると、ダコタさんは大笑いしていた。



 ★★★★★★★★



 その日は晴れ。
 見上げると、青い青い空が広がっている。
 看板をいつもの所に置くと、私は両手を上げ、背伸びをした。

 「さぁ、今日も頑張ろう!」

 そうして、中に戻ろうとした時。

 「ねぇ、そこのお嬢さん。ここのおすすめのパンは何ですか」

 と尋ねられた。
 お客さんが来たんだ。
 よしっ、と呟くと私は気合を入れた。

 ダコタさんのためにも、ちゃんと接客をしないと。

 「はい、当店のおすすめは――――――」
 
 振り返ると、そこにいたのは茶髪の男性。その人の瞳はあの琥珀色だった。

 「なんで、なんで……………………?」

 なんでここにいるの?
 こんなところで出会うことは絶対にないと思ったのに。

 「久しぶりだね、レミア」
 
 そこにいたのは――――――――――――エヴァンズ。
 あのエヴァンズだった。

 「なんで、ここにいるの?」
 「なんでって、レミアに用があったからさ」
 「用って?」

 尋ねても、エヴァンズは答えない。フフフと笑みを漏らすだけ。
 そして、私に質問を返してきた。

 「今の僕たち、世間的な目で見たら、やばいと思わない?」
 「やばいというのは?」
 「だって、やばいでしょ? レミアは元囚人、僕はバツイチ」

 「いぇい」とお茶目に言うエヴァンズ。
 でも、私はそんな風になれない。困惑で頭いっぱいだった。
 だって、バツイチってことは…………バツイチってことは。

 「エヴァ、あなたまさか――――」
 「そうだよ、僕は離婚したんだ。この歳でね! 笑えるでしょ?」

 確か結婚相手は王女殿下だったはず。
 そんな人と離婚したっていうの!?

 「エヴァが離婚しただなんて、聞いてない」
 「そりゃそうだよ。だって昨日の夜、離婚が決定したんだもん」

 したんだもん、って。
 私はエヴァンズの背後をちらりと見る。
 そこには待機しているセブルス家の馬車が。

 離婚が決まってすぐに来たっていうの?

 「なんでそんなことを…………」
 「なんでって、僕がレミアと結婚したかったから」

 私は首を横に振る。
 自分の両親を殺した相手の結婚だなんて。
 そんなバカなことを。

 「私は! あなたの! 両親を殺した! それはどうやったって変わらない!」
 「そうさ」
 「なら!」

 すると、エヴァンズは私の両手をぎゅっと握る。振り払おうとしても、抑え込まれた。

 「ねぇ、聞いてレミア」
 「…………」
 「僕の父親は君を裏切ったし、君は僕の両親を殺した」
 「…………」

 「その事実は変わらない。でも、君を思う僕の気持ちももう変わることはない」
 「…………」
 「ねぇ、レミア。君の素直な気持ちを教えてくれないか」
 
 もういいんじゃないか。
 自分の気持ちを誤魔化すのは。
 彼だってもう気づいてる。

 自分だって、かなり前から気づいていたじゃないか。

 ――――――――――――エヴァンズが好きだって。愛してるって。

 震えながらも、私は言葉を発する。

 「ずっと…………ずっとエヴァンズが好きだった」

 ――――――――――――なぜだろう?

 「出会った時から、エヴァンズが好きだった」
 
 ――――――――――――勝手に涙が溢れてくる。
 
 「好きだったのっ!」
 
 その瞬間、私はぬくもりに包まれた。
 エヴァンズに抱き寄せられ、ぎゅっとハグをされる。

 「レミア、僕と結婚してくれ」
 「はい」

 2人の近くにある、レミアが買っていた植木鉢。
 そこにはピンクのスターチスの花が咲いていた。
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